広島旅行の続きです…鉛筆


平和記念公園。
被爆前は家屋や施設が並び
多くの方々の生活があった
中島地区という街だったので、
すごく広くて見るところも沢山あります虫めがね




【動員学徒慰霊碑】
労働力の不足を補うために
勤労奉仕に動員され戦禍にたおれた学徒と、
原爆の犠牲者を含めた約1万人の学徒の霊を
慰めるため建てられた石碑です。

この裏には学徒の出身校352校の名前が
掘られていて、それは全国に及びました。

私の半分くらいの年齢の未来ある若者が
こんなにも多く犠牲となったのだと思うと
すごく悲しかったです。





【韓国人原爆犠牲者慰霊碑】
原爆で犠牲となったのは
日本人だけではありません。
韓国人とありますが、
韓国人含め当時日本に渡っていた
朝鮮半島の方々の慰霊碑です。

龍と亀を象った韓国式の慰霊碑。
ハングルの文字でも説明があって、
韓国からの旅行者が真剣に読んでいました。





【被爆した暮石】
暮石の土台となるものを挟み、
対角線上に暮石の上に乗っていたものが
落ちているのがわかるでしょうか?

原爆は上空600mで爆発したため
想像を絶する勢いの爆風が上から来ました。
だから1つの方向に落ちたのではなく
散らばった…それがまざまざとわかります。










【原爆ドーム】
教科書や写真、映像では
もちろん見たことがありましたが、
実際見ると、言葉にならない怖さと
悲しみや悔しさがこみ上げました。


チェコ式の洋館だった産業奨励館で
どれほどの人が明るい日本の未来を描き
前を向いて働いていたのだろう…


この負の遺産を全世界の人が見たら、
戦争はなくなると思える凄みがありました。


資料館で見た原爆投下後の写真では
こういった頑丈な建物が僅かになんとか
その存在がわかる形で残っているだけで、
他は真っ暗闇の惨状でした。


肌色の鉄骨は当時のまま残されていて、
錆びて壊れてしまうのを防ぐために
茶色に塗られているものもあります。


こういった説明を聞いていても
ぐにゃりと不気味に曲がった鉄骨や
中に散らばる瓦礫を見ると
「酷い」という言葉しか出ませんでした。


誰もが知っている原爆ドームですが、
一度は実際に近くで見てほしいです…。




これは元安川を挟んで見た原爆ドーム。
そして、その左側に見える相生橋は
初の丁字路型の橋だったそうです。


大変栄えていたため、
この相生橋が原爆投下の目標でした。






【爆心地】
実際は、公園の外に出て
原爆ドームの1つ隣の道にある、
島病院あたりが爆心地となりました。


当時から病院が続いていたそうで、
人々の命を守る施設が爆心地となったなんて
皮肉にも程があります。


ここで上空を見上げ、この600m上で
原爆が落ちてきて爆発したと思ったら…
それが74年前という、
そう遠くない過去に起きたと思ったら…
言葉にはならない辛い感情が
ぎゅーっと込み上げました。
(↑うまく表現できず申し訳ありません。
でも、的確な言葉が見つからないんです…)





ヒロシマピースボランティアの方には、
すごく暑い中ゆっくり丁寧に教えて頂き
本当に感謝しています。


戦後すぐ生まれて広島の復興を
近くで見てきたそうです。


こういった活動をされている方の
存在の大きさも感じた時間でした。
ありがとうございました地球




公園内を案内して頂いた後には、
今年の4月に改装されたばかりの
原爆資料館へ。


お盆休みに入ったばかりだったこともあり
入るのにも行列ができているほどでしたが、
ぎゅうぎゅうになりながらも
全員がひとつひとつをゆっくりと見るので
自然とペースが合うんですね。
展示物をじっくりと見ることができました。


救護所での被爆された方の写真や
当時を描いた絵画は、
直視できないほど辛いものでした。


子供達も見にきていましたが、
「こわい」「見たくない」と
親御さんにしがみついていて…
私も小さい頃だったら
恐ろしかっただろうなと思います。


実際、絵画の中にはその状況を
言葉で書き留めているものが多く、
「鬼」と表現しているものもありました。
本当にこの世のものとは思えないような
惨状だったんだなと伝わります。


ぐちゃぐちゃになった衣服や生活品、
家族にのこした手紙や手記、エピソード。


原爆が投下された日は命があっても
放射能によって蝕まれ失われた命。


月並みな表現になってしまいますが、
たくさんの尊い命が奪われたんだ…と
胸に突き刺さりました。


今、公園内に埋めた土を
掘り返しているところがあります。
新たに戦跡が見つかっているそうです。
これからまた資料館の展示が
増えるかもしれないですし、
多くの子供達も頑張って見ていたように
私も将来家族ができたら
子供を連れてまた訪れたいと思いました。


私自身もこの感情を書き留めておきたくて
この旅のことを記しているのですが…
私は戦争を体験していなく、
身近にも知る人はいません。
勉強不足な点ばかりだと思います。


これを読んで不快になる方がいらしたら
申し訳ありません。どうぞお許しください。




公園の外にも戦争遺構があり、
少しだけ巡れたのでまた書きます鉛筆