2009/10/02 朝日新聞

 【北京=西村大輔】中国・北京で1日に開かれた建国60周年の式典に、中国残留孤児国家賠償請求訴訟の原告団を率いた池田澄江さん(65)が招かれた。希望を胸に帰国した祖国日本で冷遇された池田さんは、華やかなパレードを見て涙を落とした。「中国は私を忘れていなかった」

 終戦直前、ソ連軍の侵攻を受けた黒竜江省牡丹江で、赤ん坊の池田さんは、子に恵まれなかった中国の養父母に引き取られた。

 新中国建国が宣言された49年10月1日。養母に抱かれ、練り歩く人々を見た。爆竹と「毛主席万歳」の声。みな笑っていたのを覚えている。

 極貧生活でも、養父母は娘にトウモロコシ粉のまんじゅうを与え、学校でいじめられるとかばってくれた。師範学校を出て教師となった。

 北海道の男性が実父の可能性が高いとわかり81年に帰国したが、別人だった。当時は身元が確定しないと戸籍を得られなかった。日本人孤児と認めた中国の証明書を頼りに提訴し、82年に戸籍取得。その後、実姉に再会した。

 3人の子を抱え、生活は苦しかった。行政の支援はない。「私たちが中国に置き去りにされたのは誰の責任か」。孤児約2千人を束ねて02年、生活保障を求め国賠訴訟を起こした。国を動かし、給付金制度を盛り込んだ改正中国残留邦人支援法が07年に成立した。

 9月7日、東京の自宅に中国大使館から招待状が届いた。帰国から28年、遠くなった古里からの招きに驚き、恋しい気持ちで胸がつまったという。「中国は私に命をくれた国。日本を愛している。でもそれ以上に中国も愛している。そう実感しました」

 【写真説明】

 1日の式典に参加した池田澄江さん