今日は朝から「小雨」の
スッキリしないお天気でした。
一日中、家でゴロゴロしていましたが
お買い物は夕方5時過ぎから。
最近は6時頃まで明るいので、
かなり陽が長くなりました。
雨も止んで、丁度良かったです~
【母の遺品から】
この1月に母の49日が終わってから、
いよいよ、実家の整理に入っています。
母がホームに入所して8年近く、
実家は空き家のままで、
弟夫婦が夏になると庭の雑草処理に
行ってくれていましたが、家の中はそのままでした。
住む人もいないので、家は処分するのですが、
その前に部屋の中の処分できるものは・・
と、弟と妹が日にちを合わせて、
整理に通ってくれています。
先日、弟から写真が送られてきましたが、
「賞勲局総裁○○・・」という名前で発行されている
「支那事変による功により金六十円を与える」
というような事が書いてある証書です。
昭和15年4月の日付ですから
母が高校生の時のものです。
誰もこの話を母から聞いた覚えはありません。
(聞いても忘れているのかも)
「何をしたんだろうね」
「スパイでもしたのかしら?」等と
lineで盛り上がりました。
でも、ネットで調べたら、
これと同じ証書の写真が載っていて、
多い人は千円近くの人もいたのですが、
何で貰えたのかは分かりませんでした。
いずれにしても、高校生だった母にしては
当時の60円は、今の貨幣価値にすると、
30万前後の値打ちがあったようです。
また母の独身時代の写真で、
「親友の○○さんと」と裏に書かれた写真もありました。
仕事先で撮ったもののようです。
お友達は着物を着ていましたが、
母はベレー帽をかぶり、
モダンな洋服を着ていました。
母の独身時代は
「役所に勤めていた」と言っていましたが、
その時の記念写真?でしょうか。
百人位の人数で撮った写真には
前には軍服を着て刀を立てた人達が並び、
その後ろに何人かの女性。
後ろの方は背広にネクタイ姿の男性が
いる写真でした。
少ない人数ですが
女性のほとんどは着物で
洋服姿は数人でした。
母はお洒落な方だったのでしょうね。
写真の裏に書かれていた母のメモには
「仕事には着物を着て行った事は無かった」とあったそうです。
また、母の仕事は
「陸軍行政本部・○○大佐付き」とも書かれていたそうです。
実家整理で
「へぇ~」なんて思う両親の事が出てきましたが
私の場合、写真を始め、殆どのものを処分しているので
子供達に「お母さんてこうだったんだ」なんて
思われるようなものは一つも無さそうです