今回の国際大会で、日本は敗れ、ベネズエラが世界一に立った。多くの人は「身体能力の差」「経験の差」と言うかもしれない。しかし、試合を通して感じた本当の差はそこではない。
差は――「誰のために戦っていたか」である。
ベネズエラは、経済的に厳しい状況にある国だと言われている。日々の生活に不安を抱えながら暮らしている人も少なくない。その中で、野球は人々にとって希望であり、誇りでもある。
代表チームの監督は、母国のために無給で指揮を執っていたと伝えられている。そして優勝が決まった後、国全体が祝福に包まれ、特別に休日が設けられたとも言われている。それほどまでに、この勝利は「国民のもの」だった。
選手たちは、自分のためだけに戦っていたわけではない。祖国の人々に喜びを届けたい。苦しい状況の中にいる人たちに、少しでも明るい気持ちになってほしい。その強い思いが、チーム全体に浸透していた。
人は自分のためにも努力できる。しかし、最後の一歩、限界を超える力は「他喜」から生まれる。家族のため、仲間のため、応援してくれる人のため――自分の外側に大切な存在が見えているとき、人は踏みとどまり、さらに一歩前に出ることができる。
高校野球も同じである。自分の結果や評価だけを考えているうちは、本当の力は出し切れない。
誰のためにこの一球を投げるのか。
誰のためにこの一打を打つのか。
誰のためにこの一歩を走るのか。
その答えがはっきりした瞬間、プレーは変わる。粘りが生まれ、勝負どころでの強さが生まれる。
勝つことは目標である。しかし、その先にある「目的」が曖昧になれば、勝利への執念は弱くなる。逆に、自分たちの勝利が誰かの笑顔につながると確信できたとき、一球一打の意味は大きく変わる。
本当に強いチームとは、技術が高いチームではない。
「誰かのために戦えるチーム」である。
人を最後まで立たせるのは才能ではない。自分の先に、誰の笑顔が見えているかである。