マケドニアは、コソボに隣接した国です。
マケドニアとは言っても、
アレクサンダー大王のマケドニアとは少し異なるようで
古代にマケドニアが位置した現在のギリシャとの間に
「呼称問題」が起きています。
イメージとしては、
「旧ユーゴスラビア連邦内の北マケドニア地方」が
独立した、というイメージです。
民族的・言語的には、ブルガリアにかなり近いそうで、
「奥地ブルガリア」とも言えます。
首都のスコピエについては、
「コソボのプリシュティナから一番近い首都」として
以前にも紹介をしていますが
最近は、スコピエ以外のマケドニアに触れる機会が
ありました。
マケドニアを縦断してギリシャのテッサロニキへ
マケドニアを横断してブルガリアのソフィアへ
それぞれ行ってみたのです。
さて、このマケドニアですが、実際に行ってみると
首都スコピエ以外の地域は、広く田舎が広がって
いるようです。
ユーゴスラビア時代にも、低開発地域として、
国から開発資金が出ていたそうで、
日本で言うと、北海道東部、という感じです。
おとなし目の小奇麗な集落がパラパラとあり、
・コソボより風景が綺麗
・コソボより活気が無い
点が目につきます。
これぞヨーロッパの田舎、というような農地が広がり、
時折、ワイン畑が見えます。
ただ、ここに似合わないものがひとつあります。
高速道路です。
Motorway "Alexander of Macedon" と名付けられた
この高速道路は、この周辺国でも明らかに
道の状態が良いです。
何と言っても、ギリシャのテッサロニキ、から
マケドニアのスコピエへ、、
セルビア南部の都市ニースへ、そして
コソボのプリシュティナへ、、
の物流を支える、重要な交通路になっているのです。
ギリシャ~コソボ・ルート(Google Map)
マケドニアの国の予算でこれができるのか?
と言われると、かなり微妙です。
外国からの援助資金などで建設されたのではないか
と見受けられます。
テッサロニキについては、また次回、紹介をしたいと思いますが、
そこでは、海運の港があることの強さを見ることになります。
そして、マケドニアでは、そこからの陸運網、、
この重要性を実感することになりました。
実は、このルートですが、
コソボの側からすると、
最後にボトルネックがあります。
マケドニアの高速道路が終わってから、国境を越えるまでの
間の道が、結構険しい、、という点です。
がけ崩れの形跡もあり、結構命がけです。
ここがもう少し良くなれば、、と思います。
コソボからは、このルートとは別に
反対側の隣国アルバニアへ抜け、
アドリア海のドゥラスという海運港へ向かう、
新しい高速道路の建設が進んでおり、
こちらのルートにも注目をしています。
アルバニア~コソボ・ルート(Google Map)
こちらはまた別途レポートをしてみたいと思います。