「努力の環境づくり」①の続き。
私はおそらく元々努力ができる気質ではない上に、母とのぬるま湯関係でダラダラと適当に過ごしてしまいました。
努力できない自分に劣等感を抱きながらも、どうにかしようとも思わなかったしどうにかする必要性すら感じなかった。
だからこそ、子供には努力する力をつける環境づくりが必要だと心から思います。
でも努力する力をつける環境って何?って話。
私の中では、「目標や目的意識を持ち、嫌なことも投げ出さずにやり続けられる精神力」を努力というのではないかと思っています。
これは勉強に限らず、面倒なことや負荷がかかるような習慣を毎日続けていく生活過程から養われていく能力のように思います。
例えば「毎日庭の花に水をやる」
お手伝いや家族間の役割として子供にやらせたり、自身がやってきたという人も多い習慣ではないでしょうか。
私は小学生の頃、母に強制的に毎日花に水をやるよう言われた時期がありました。
もちろん結果は三日坊主。続くわけがありません。
やらなきゃお小遣いなしなどと脅された気もしますが、やらなくたって結局お小遣いくれるし。
私がやらなきゃ母がやることもわかってるし。
そもそも母が途中まで育てた、私にとってはなんの思い入れもない花に対して興味も責任感もあるわけなく、押し付けられたような気分で納得もいかないままイヤイヤやっていたわけです。
目標も目的意識も楽しみも何も感じない、ただただ中途半端に強制された水あげ。
こんなの遊びに忙しい小学生にとっちゃ、逆にどうしたら続くのって感じ。
家の中で自分の役割を持つこともそれまでしてこなかったし、家族の役に立ちたいという気持ちもその時点では大して湧いてきませんでした。
小学校低学年の頃に、出かけている母に代わって洗い物をしたら「逆に仕事が増えた」と陰でやり直されているところを目撃してしまい、それ以来手伝いをしようという気も起きませんでした。
そして三日坊主の私に母が言い放った言葉。
「本当にあんたは何にも続けられない子なんだから」
日頃から心理的に支配されている母から「自分はなにも続けられない人間である」ということを耳から再認識させられ、そうか私は何も続けられないダメ人間なんだなぁ。と、自己肯定感の一部がポロリと欠けました。
そして成功体験もないまま、本当に何も続けられない人間として育っていきました。
母がくれたのは、続ける工夫や気の持ちようのアドバイスはなく、できなかった私への否定的評価だけでした。
こんなことなら最初から水やりなんてやらされなかった方が何倍もマシ。
今回は失敗したけれど次頑張ればいいという前向きな思考は愚か、失敗から学ぶこともせず、「失敗体験」と「できない子という評価を下された」だけで終わったのです。
意味がないどころか、こうした無計画で突発的な家庭内の役割の強制が何度か気まぐれに繰り返されて、「努力できない私」が完成していったように思います。
もちろん母のせいだけとは全く思っていません。
私自身がまったく続かない性格だったのがそもそもの原因だったと思います。
けれど親に何ができたかと考えると、続けられない性格であることを踏まえた上で計画的な役割分担、励ましや続けさせる工夫をするといったサポートが必要だったのではないか。
脅しや否定的評価ではなく、失敗から学ぶ前向きな姿勢は示せなかったのか。
本人の興味関心、責任感、目標や目的意識を持たせるやり方を考えたりはできなかったのか。
もっと小さいうちから母親と何かを一緒に続けるという生活習慣をつけておくべきだったのではないか。
今大人になってそんなふうに思います。
私はそういったサポートや本人のやる気を利用して成功体験を積ませるなどの工夫を子供にはしてあげたいと心から思っています。
それが私の思う「努力する力を身につけさせてあげられる環境づくり」かな。