子供が泣いたら抱きしめてあげて下さい | 知性の育成に力を入れている、世界に類のない気功院

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子供が泣いたら、抱きしめてあげて下さい



欧米の有名な“ある育児書”では、これは“いけないこと”と記されています。
「厳しい社会を生き抜くには、甘やかしてはいけない」という教えです。
依頼、日本を含め、世界のスタンダードな考え方に定着しています。



欧米らしく合理的と言えば、そうですが、実は、生身の子育てに合理性を当てはめるのは、かなり無理があります。





日本の伝統的な子育て法は、「泣いたらしっかりと抱き留めてあげる」です。


「泣いている我が子を、まず、無条件で受け入れてあげる」その事が、親子間の絶対的な信頼関係を築きます。


理由や解決法などは、その後でいのです。
まず抱きしめて、無条件で受け入れてあげたらいいのです。
親子相互に、愛着を形成する事が大事なのです。



子供は、安心と信頼の上に、情緒が育ち、また対人能力が育くまれて行きます
その安心と信頼の愛着形成は、胎児の頃から既に始まっています。


さらに、この世に生まれてからは、感覚をフルに使って親の愛情を求めます。

そして、幼児がもっとも母親の愛情を感じ、逆に母親がもっとも我が子に愛情を抱く時間とは、それすなわち授乳の時なのです。

このタイミングにしっかり愛情教育をしてあげる事こそが、人間形成における最も合理的な育児なのです。


しかし現実は如何でしょうか?

テレビを見ながら・・、携帯をいじりながら・・・等など  いわゆる「ながら授乳」です・・・。


「授乳の時くらいは・・・」という気持ちも分からなくはなのですが、

さすがに、そういった親の事情は子供には分かりません。
ただただ事実として、きちんとアイコンタクトを取ってくれた親子間と、

そうでなかった親子間とでは、
子の受ける安心感や、親子間の愛着形成の程度が、結果として異って来るものなのです。


ではなぜそのような行為が重要なのでしょうか?


それはいたって簡単です。
生物種としての本能がそうさせるのです。(本能につては、今度お話します)


その潜在意識の中にある本能という領域に、「自己防衛や種の保存」、あるいは、親に守ってもらう為の「愛着形成を目的としたスキンシップ」、我が子を可愛い・守ってあげたいと思う「母性本能」が、受け継がれているからです。


しかし、それは、何も人間だけのことではありません。


動物の種類によっては、他の種でも行っています。
まさに生物種ごとの特異な形で、存在します。

鳥でも魚でも昆虫でも、親子関係が成立していますよね?
誰にならったわけでもなく。



草食動物は、走って逃げることが生きることに直結するので、生まれた直後から強制的な立たせるいわゆるスパルタ式です。
あたりまえです。油断したら食べられてしまうような厳しい世界で生きて行くには、のんびり寝ている場合ではないからです。


欧米流のそれに似ていますね?



それに対して、肉食系は、敵に襲われる心配はあまり考えなくても良い強いグループですから、そんなことはしません。
無理には走る必要もなく、親が運んでくる餌を食べればいいのです。

そしてたっぷりの愛情のもと、ゆっくりと兄弟同士でじゃれ合って、その中から相互の愛着形成や狩りの仕方などを学習してゆきます。


日本のような先進国に生きる人間も、普通は他の生物に追われたりしません。
したがって、カテゴリーとしては、肉食動物グループです。


つまり、基本、欧米流のスタイルは、必要としないのです。


大切なものを引き換えにしてまで、幼少時から厳しく叩き上げる必要はないのです。
それは、社会に出るまでの間に、少しずつ総合的に育て挙げればよいのです。
人間の社会に、少年と成人の区切りを設けられているのは、その為です。


「社会に出てからの荒波にのまれないように・・・」という親心も間違いではないですが、それすらも根底には、愛情確かな人間力が必須な要素なのです。
「人間としての土台」をまず築かなければ、その後どれだけ立派な英才教育をしても、いわゆる“砂の城”となってしまう可能性の方が高いのです。

それよりも、それまでの間に、もっともっと人間にしか淘汰出来ない、高度な感性・愛情・社会性を、たくさん学ばせてあげてほしいのです。


つまり、欧米流の言う「合理的」は、社会システムとしての合理性であって、愛情あふれる「生き物」の視点からの合理性では全くないのです。


もちろんだからと言って、愛情一色でも、それはそれで困ります。
何事もバランスが大切です。


ただ、愛情をベースにして、その上に知識と教養の教育をさせてもらった子の方が、
より柔軟に、発展的に、社会性に富んだ人生を営むうえで、より有利であることは間違いのないことだと思います。


我が子をどのように育てたいかによって、その教育論の視点は全く異なるものです。




詳しくお知りになられたい方は、下記のホームページも御覧下さい。



子供の可能性を広げる気功院 優気功院ホームページ
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特に、日本と欧米では、思想も文化も歴史もが違いますので、欧米の合理性を、それをそのまま取り入れること自体が不合理なのです。