今朝、自身が破水したと思い、娘と夫と三人で病院に向かいました。

休日なので夫や娘の付き添いはできないため、病院の前で夫と娘に「行ってきます」と別れを告げたのですが、夫曰く、娘はその後も全く泣かずに過ごしてたそうです。

 私が病院に行かなければならないことや、一緒にお風呂に入れないことなど、なんとなく理解しているようで、感心しました。

一応、日頃から娘には理由を説明するようにしているのですが、今後も継続して行こうと思います。

ちなみに昨日買ったアディダスのピンクのサンダルは足底がゴムでしっかりしてると思っていたのですが、今日雨の中、娘が歩いているの見ていると、マンホールやややツルッとした階段でかなり滑っていました。

こんなに滑る?というくらいです。これなら今まで使っていたものの方がまだマシだというレベルです。

まだ使って1日しか経っていないので、なんともいえないですが、転倒に関しては注意が必要だなと思いました。

 

 ところで、今日お昼にYou Tubeで「スウェーデンの幼児教育では子供がやだ!と言った時に褒める」という趣旨のタイトルの動画を見ました。掃除しながら聞いていたので、さっくりとした理解になりますが、多民族国家になりつつあるスウェーデンでは、個人の「Yes」「No」の主張をまずは尊重し(日本のようにYesと言っているけど本当はNoなんじゃないかといった空気を読むことは民族・文化が多くて不可能なため)、そしてそれを一旦は受け入れる「あなたはYesと思っているのね」という具合に。その際に意見が食い違っていても、そこからどうするか、妥協するのか譲歩するのかを幼児教育の先生が仲介役となって、双方で決めるというスタンスをとるようです。つまり、大人・保育者が「こうしなさい」という命令的なことは絶対言わないそうです。

私が感動した点は「嫌だ」という協調性や融通性のない、否定的な主張を言えるということ自体、自分の気持ちを素直に表現する力があるあり、本当は大事なんだと気付かされたことです。大人の私はついつい、良い人と思われたいなどの他者的視点で自分の行動を決めることがあるため余計にその視点はなるほどと感じました。

 その上で大人である幼児教育者はその子供の主張を認め、尚且つ双方の仲介役を行うという点が勉強になりました。娘が1歳差の従姉妹と遊んでいると、「貸して」「やだ」という会話が飛び交いますが、その際に私はついつい「貸してあげたら」とか言い、娘の「やだ」という主張を大人の都合で聞かず、娘に指示をしていたのです。これからは自信を持って娘の「嫌だ」を尊重できるなと思いました。

良い勉強になった一日でした。