こんにちは!子育てアナリストの田中健太です。

 

今日は父の日ですね。

人生初の「とーちゃん」として迎える父の日です。

子どもたちからプレゼントをもらい、早速今日の夜から使います。

 

本当にありがたいことですね。

 

 

そんな日だから思ったことを書きます。

 

 

私にも父がいますが、いま66歳。

私は父22歳、母21歳のときに生まれました。

1680gの未熟児だったことは、このブログでも書きましたが、

2人とも高卒で社会人になっていたので、

とても若いときの子どもです。

 

 

子どものとき、親が若い、ということがどういうものか

よくわかりませんでしたが、

例えば高校2年生のとき、

国際コースだった私のロサンゼルス研修の帰り、

伊丹空港に迎えに来てくれた両親。

特に母親の若さを見て、クラスメイトの女の子から

 

「けんちゃんのお母さん、若くない?何歳なん?」

「えー、39歳やで」と答えて、

「すごーー」と驚かれたことを覚えています。

 

そのとき「そうか、うちの母親は若いのか」と思った記憶があります。

 

父もまだ40歳で若かったのですが、

私とそっくりでおじさん顔なので

何もふれられなかったのでしょうか・・・(笑)

 

 

さて、私はいま44歳。

父が44歳のとき、私は22歳で大学4回生でした。

いま考えると、今の自分に大学生の子どもがいること、

子どもを持つことなんて、全然考えられません。

父も母もすごかったんだなあ、と思います。

 

父は、小さいころからレコードが大好きな少年。

そして松下幸之助さんに憧れ、高校は工業高校の電気科に。

工業高校を首席で卒業し、

念願の松下電器産業株式会社に入社。

しかも希望のオーディオ事業部(ブランド名はTechnics)に配属され、

四国ショウルーム、梅田阪神6階のショウルームで勤務していました。

 

正に少年の夢を叶えた道。

 

大好きなオーディオに囲まれ、楽しく仕事をしていたと思います。

私も小さいころ、梅田のショウルームに何度か行きましたが、

父が朝礼で私の話をしていたらしく、

 

「あなたがけんたくんねー」

と声をかけられたのを覚えています。

 

社内でもかなり有名人だった父。

20歳以上という年齢制限のある社内資格を

「あなたはまだ20歳ではない」と言われるも

 

「それでもこれになりたいんです!!!!」と話し、

19歳で認められたという話もあるくらい。

 

その後、「自分で売ったほうが、もっとうまく売れる。

お客さんの幸せになる」と

脱サラし、26歳のときに街の電気屋さんを始めた父。

この苦しい時代に、量販店が立ち並ぶこの時代に、

40周年を迎えることができました。

 

 

お得意さんから「お兄ちゃんの部屋のエアコン、

壊れたから新しいのをつけてほしい」と言われ、

「お兄ちゃんの部屋か・・・じゃあ階段上がった

右の部屋の窓の上にあるやつやね」

と答え、お客さんがびっくりして

「任せるから、ええもん持ってきて」

と答えることもありました。

 

 

頭の回転が早く、マニアックで、よくしゃべる父を

うっとうしいなあと感じたこともあるのも事実です。

 

 

しかし、同時に

「プロの仕事」とはこういうもんだ、と

背中で見せてくれたのも父です。

 

私が、いま独立して「プロとして」を大切にして

こだわっているのも、父の背中を見てきたからだと思います。

 

 

時代がちがうとはいえ、

脱サラして、独立して、電気屋さんをして、

それをまた維持していくことは本当に大変だったと思います。

 

長男の私だけではなく、弟2人も高校は同じ私立高校、

大学も国立大、私立大、公立大と

3人とも大学まで行かせてくれました。

 

そこには父の並々ならぬ努力と仕事、

そしてそれを支える母の大きな存在があったからこそだと思います。

 

 

自分が親になって、子どもたちにやりたいようにさせてあげたいと

思いつつ、アニメや絵画の専門学校の資料などを見ていると

「学費すげー高ー(´;ω;`)」と、昨日も妻と言っていました。

 

親の努力、ありがたみを感じた瞬間でした。

 

いろんな親子相談や、塾・予備校時代にも

学費の話を親子にしたことは何度もあるはずなのに、

自分のことになると一気に冷や汗がでました。

 

「いまから計画しておかないと」と思いました。

 

 

 

父の日ですね。

本当の意味で今日は父に感謝の気持ちを持ちました。

 

好きなように、好きなことをさせてもらい、

兄弟、家族楽しく過ごすことができて、

そして、いまは自分が大切に思っている家族がいる。

 

わがままも、喧嘩もたくさんしたけども

父母に大きな感謝をこれからも大切に、

いつまでも元気でいてほしいと思います。

 

 

私のこの性格は、まちがいなく父譲りです。

独立したくなったのも、まちがいなく父譲りです。

猛烈なプロ根性も、まちがいなく父譲りです。

 

 

これらは、私の子どもたちにも譲っていくものだと思っています。

 

父に感謝します。

ありがとう。

体に気をつけて、

これからもみんなに愛される街の電気屋さんとして

一人ひとり丁寧にお仕事に励んでくださいね。