こんばんわ。
律子です。
昨年の今日の記事を見ていて、
何にも変わってないなと思ったり、
昨年にまして、今日という日がどうでもよくなってきたなと思ったり、
いろいろと、考えないようにしていたけれど、
結局こうやって、今日という日の終わりに記事を書いてしまっていたりします。
あの時、
なぜ結婚をすると決めたのか。
猛反対されつつ、
押し切って抜け出して二人で会った数年前の今日という日。
一緒に過ごしながら、
私の心は幸せなんてとんでもないくらい、
不安が渦巻き、
闇が襲いかかり、
普通にしゃべることさえままならなかったことを良く覚えてる。
「愛している」という言葉に口づけをのせて、
でもいったい、
あの人は、何を思っていたのだろうか。
新たな門出となるはずの日が、
人が死にゆくほどの不幸の始まりなると、
そんな事までも考えていただろうか。
何かをはじめると言うこと、
何かを終わらせると言うこと、
誰かを犠牲にすると言うこと、
誰かを好きになると言うことがこんなに重いことだと、
まだあの年のあの日には、思ってなかった。
幸せな家庭をみることが大嫌いだった。
休日に親子で出かけている家族をみていると胸くそ悪くなった。
それが今じゃ、
幸せな家族となるべく、子どもの命をすくうために毎日必死になっている。
そしてそんな自分にとっての大きな分岐点の日も、
年月が過ぎてしまえば、
他の男と出かけられるほどになるものなのか。
最近、
今まで何度も書いてきた言葉を、ブログに書いていない。
『過去が重い』
私はもう、そう思っていないのだろうか。