奈良県吉野の吉水神社 (よしみずじんじゃ) 。

室町時代初期の南北朝時代、後醍醐天皇が南朝皇居として居所とした地である。
元は、修験道のメッカ金峯山寺の僧坊であり、吉水院 (きっすいいん) と呼ばれていた。
・・・

吉水神社書院 (国重文)
南北朝の頃より時代は遡ること平安末期。
源平合戦の立役者、源義経は、様々な経緯から兄頼朝と対立することとなり、遂には朝敵として追われる身となる。
義経と弁慶、そして愛妾である白拍子静御前らごく少数の一行が最初に落ち延びた地が、ここ吉野である。
・・・

書院内の義経潜居の間。右手には、一畳ほどの「弁慶思案の間」がある。
ふたつ円座が並べられているが、義経と静御前が並んで座っていたかどうかは不明。。。
義経の逃避行には、郷御前 (さとごぜん) と呼ばれる正妻が終始同行し、最期も伴にしたとされる。
・・・

吉野に潜入滞在できたのも束の間、追われる義経一行は吉野落を余儀なくされ、義経終焉の地にもなる奥州へ落延びていった。
静御前は女人禁制であった吉野大峰山に入ることを許されず、義経から形見として鼓を持たされ、泣く泣く山を降りることに。
吉野修験道の僧坊吉水院が、女人禁制であったかどうかわからないけれど、 「世紀の切ない別れ」 があったと思いたいのは、判官贔屓 (ほうがんびいき) か?(⌒-⌒)ゞ。

吉水神社から金峯山寺蔵王堂 (国宝。東大寺大仏殿に次ぐ木造建築で世界遺産) をのぞむ。
山を降りた静御前は、蔵王堂で捕らえられる。
が、断固として、義経の行く先は明かさなかったといわれる。
そして、鎌倉に送られ、鶴岡八幡宮で頼朝の前に引き出される。
頼朝に命じられ、白拍子を舞いながら詠った。。。
吉野山峰の白雪ふみわけて入りにし人の跡ぞ恋しき しづやしづ賎のおだまきくり返し昔を今になすよしもがな

吉水神社書院の庭で、白い花が静かにはかなげに舞っているようでした。。。噫。
(*)つづき、南朝皇居の記事はこちら→ http://blogs.yahoo.co.jp/koshomasae/64870072.html
