
村下孝蔵
ブログ常連さんのキャッツさん(http://blogs.yahoo.co.jp/koi0123)
の記事の紹介で久しぶりに村下孝蔵さんの「踊り子」を聞いた。なんか自分の青春時代の音楽がよみがえり無性にギターが弾きたくなり唄ってしまった・・・(笑)
の記事の紹介で久しぶりに村下孝蔵さんの「踊り子」を聞いた。なんか自分の青春時代の音楽がよみがえり無性にギターが弾きたくなり唄ってしまった・・・(笑)
もし自分なら・・・あの叙情的な詩はかけない・・・あのメロディーラインは作れない・・・あのギターテクニック・アンサンブルは出来ない。きっと彼は努力家で大器晩成の道を・・・神様は歩ませたんだと思います・・・しかし46歳という若さで死去しました
ネットで改めて検索すると 村下孝蔵・・・・ 熊本県水俣市生まれ。生家が映画館を経営していたため、映画や外国のポピュラー音楽に親しむ。鎮西高等学校時代には水泳部で平泳ぎの選手として活躍。さらにベンチャーズや加山雄三のギターテクニックに憧れ、自作のギターを制作するなどしながら、音楽にも傾倒して行く。 高校卒業後、就職した広島ヤマハでピアノ調律師の傍ら音楽活動を開始し、自主製作アルバムを発表する。この頃、広島の音楽好きには知られた存在で、地元の中国放送でラジオ番組なども担当していた。 1979年、ソニーレコード(当時、CBSソニー)が主催した、第1回SDオーディションに合格。同期合格者にはHOUND DOG、堀江淳、五十嵐浩晃がいた。 1980年シングル「月あかり」でデビューするが、ニューミュージック全盛期の当時、叙情的なフォークソングはいまいち受け入れられず、全国各地でのライブを通じた地道な活動が続く。 その後、地道なライブ活動でコアなファンを獲得した事が実り、1981年「春雨」、1982年に「ゆうこ」が話題となる。1983年に発売したヒット曲「初恋」は、当時アイドルであった三田寛子(現在は歌舞伎役者、中村橋之助の夫人)や、プロ野球選手の田尾安志などがカバーして話題となった。続いて発売した「踊り子」、「少女」、「夢のつづき」も好評であった。 これらのヒットにより、英語を使わずに日本語を用いた丁寧な情景描写による歌詞と、旧来の歌謡曲と洋楽や日本のグループサウンズのメロディーを融合させた様な、繊細かつ親しみやすい曲調を奏でる、稀有なシンガーソングライターとして認知される。 「初恋」ヒット時、テレビ番組への出演は所属レコード会社の意向で一切なくて控えられていたが、本人は至って前向きな姿勢で後年機会があれば出るようになった。とくに、1990年代半ば、憧れだった加山雄三とテレビ番組で共演してからはかなり積極的になり、さらに村下のファンであった山田邦子と意気投合し、彼女の出演している番組に度々呼ばれるようになった。 1999年6月20日、コンサートのリハーサル中に脳内出血で倒れ、4日後の24日に逝去。46歳だった。現在、遺骨は茨城県つくば市の筑波茎崎霊園に埋葬されている。 ただ彼の墓に関する話はファンの間ではタブーに属している。 曲風と本人の人柄のためか生前はやや地味な存在であった。しかし、作詞作曲能力・歌唱力・ギターテクニックはいずれも非凡であり、歌手の中でもずば抜けていた。コンサートでは「ひとりベンチャーズ」なるギターソロを披露したこともある。あまりにも早い死と、それによって失われた才能を惜しむ声は今でも多い。 Byフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋させて頂きました。
TVに出演でも良く見かけたギターはヤマハ製・・・きっと彼は義理固いのでしょうね(ピアノ調律をしていた広島在住時代ヤマハに所属)・・・見かけたのはナチュラルトップとサンバースト・・・ギターはヤマハLSモデルかな・・・とても印象深いものです。
村下孝蔵さんの容姿は・・・ビジーフォーのグッチ裕三さんに似ていて(すいません)、すごくまじめな硬い印象受けます。とても音楽をしているように見えない・・・ところがあの歌唱力とギターテクニックで完膚なきまでノックアウトさせられた青春の思い出です!
ぜひじっくり聞いて、見てください。こうゆう人もいた・・・確かに・・・
キャッツさん思い出の曲有り難う!!(笑)