皆様こんばんは~ニコニコ
いつも私の日記的な文章をお読みくださりありがとうございます(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)

さて、前回は看護師時代に突然、適応障害という診断を受けたところまでをお話させて頂きました。

もしご興味があればお読みください。
過去記事はコチラ下矢印
 


今日は、適応障害の診断を受けて病休を頂き、病休中の過ごし方や心の葛藤などをお話させて頂きます。


これは私の心の整理のための日記なので、ご興味のない方はここでブラウザを閉じていただくことをお勧めいたします。



2019年5月の末頃に診断書を頂き、そこから半年間の病休生活が始まりました。

私はもともと朝起きるのが苦手ですてへぺろテヘ
(3交代の病棟勤務であり適応障害も相まって、昼夜逆転生活に拍車がかかったことが原因と思われます)

そんなこともあり、家族の朝食の準備はめっぽう朝が強い旦那にお願いしています。

適応障害になってからの私は、朝は7時起床。
そこから、3人の子供達を起こし、学校やら保育園に行く準備をします。

上の子2人は自分のことは自分でできる年なので、時間を見ながらそれぞれに口頭で確認するのみ。
末っ子はまだ当時は1歳でしたので、着替えやらごはんを食べさせたり、保育園に持っていく荷物を準備したりとパタパタしています。

同時に、洗濯を回したり自分の身なりの準備も行い、適応障害の私には、正直この時点でもうクタクタネガティブ

みんなを送り出したあとは、洗濯物を干す気力もなく、とにかく寝たい!
何となく罪悪感を感じつつ、鉛のように重たい身体を休ませてあげようとベッドへふとん1

1時間くらい仮眠をとり、洗濯物を干し、ソファーでゴロゴロ、昼食を食べ、またソファーでゴロゴロ。。。

そんなことを繰り返して、保育園のお迎えの時間に数時間ぶりに外へ🚗³₃

精神科の医師からは、
「人目を気にせずたくさん遊んでくださいね」
と言われていたものの、長年、仕事漬けでしたので、自分は何がしたくて何が嫌で、何に興味があってどこに行きたいか。。。わからないえーん

そんな自分を責めたり、自分はダメ人間だとレッテルを貼ったり、まぁまぁ笑顔のない生活でしたね。
感情が歪んでしまうので、いちいち人の言うことに反論したり、よく思わない人を攻撃したり。。。散々。

すごく苦しいのに、反論とか攻撃とかしたくないのにしてしまう。
そしてまた落ち込んで自分を責める。

思い通りにならない自分にイライラして、幼い子供達にも当たり散らし、当時の私は毒親だったかもしれませんもやもや



通院は初めの頃は月に1回。
今の状態の確認と診断書を頂くことがメイン。
何をして遊んでいいのかも、一人で買い物に行くこともできないこと(少なからず人目を気にしていた)、毎日ゴロゴロしている事など正直に話しました。

医師は、こんな私を責めることもなく、
「日中は一人なんでしょ?いいじゃない。誰に文句言われるわけじゃないんだから。今はたくさん寝たい時期なんだね」
とニコニコと穏やかな口調で私の言葉を受け止めてくださいました。

精神科ってすごくハードルが高いなって勝手に思ってたけど、実は風邪をひいたら近くのクリニックを受診するくらい簡単なところだったんだって気づきました。

何かで見たのですが、適応障害は「心の風邪」なんだそう。
だから、この時期をまだ大丈夫、もう少し頑張れるといって我慢して見過ごしてしまうと鬱になってしまうらしいので、万が一、これを読んでくださっている方の中に「普段となんか違う」とか「泣きたくないのに意味もなく涙が出る」とか「夜眠れず朝起きれない」という方がいらっしゃれば、一度、精神科を受診することをお勧めします。
また、このような症状の方が近くにいたら、本人は気づいていない可能性がありますので、タイミングを見て声をかけてあげて欲しいなって思います。

病休を頂いて2ヶ月ほど経った頃だったでしょうか。
市内の商店街のお祭りに子供達が行きたいというので、出かけた時でした。

翌日、職場の上司から連絡があり、とても嫌な感じがしました。が、私の病名をスタッフに言ってもいいだろうか?という確認の電話でした。

詳細を伺うと、具合が悪くて休んでいるはずなのに、外で遊んでいる姿を見かけたという事だったのです。

きっとお祭りの会場にスタッフがいたのでしょうね。

上司は、あなたが休んでいる間に働いてくれているスタッフに対して、今のあなたの状態を説明しなければ、スタッフのこともあなたのことも守れない、との事でした。

診断書を提出して医師の言う通りに行動しても、こうして人の目が私を責めてくることに苛立ちと情けなさと理解してもらえないという呆れとが複雑に私の心を蝕んでいきました。

確かにまだ所属部署に身を置いている分際ですからね。
私の代わりに働いてくれている方がいることも理解しています。が、何も悪いことをしたわけではなく、心のリハビリのために休んで、出かけて、自然に触れたり楽しいことに触れて心が動く訓練をしているだけなのに、悪く思われていることにガッカリしました。

きっと私の姿を見かけたスタッフは、私のことを心配して上司に相談してくれたのかもしれません。
しかし、当時の私は考え方が歪んでいましたので、悪い方に考えてしまったのですね。

上司からの電話には、「スタッフと私を守る」という言葉があり、両者を分け隔てなく理解してくださる言葉に愛を感じました。
なので、上司の提案には素直に応じ、同僚には私の病名や現在心のリハビリをしていることなど、洗いざらい話していただくようお願いしました。

このような事があってからはますます外出することが嫌になり、お家の中に閉じこもるようになりました。

外出は、朝夕の保育園の送迎と日中旦那や子供達がいる時に一緒に買い物に行ってもらう以外はずっと家の中。

薬も飲んでいたので、気持ちが落ち着いてくると「何しようかな~?」と思えるまでに回復しました。

そんな中、アマプラ(amazon prime)の会員だったことを思い出し、見たいもの検索を始めました。

私は韓流ドラマの中でも歴史物(朝鮮王朝時代の話)が好きだったことを思い出し、アマプラで見れるものを毎日見ていました。

この時間だけが私にとって至福で安らぎで気持ちが落ち着く時間でした。

日中、誰もいない家の中で一人、9時~15時までの6時間をアマプラを見て過ごす時間。
何とも贅沢で、もったいない時間。

仕事をしてたらこんな素敵な時間を味わうこともできなかったし、感動したり泣いたりキュンとしたり…心が動くってこんな感じだったんだ、と思い出しました。

病休取得から3か月が経つ頃には、元気を取り戻し、仕事復帰も見えてきました。

上司との面談を設けてもらい、復帰にあたってどのように復帰するか(時間的なところや復帰場所など)相談している間に、また意味もなく涙がポロポロ赤ちゃん泣き

そんな私の姿を目の前で見ていた上司からは、まだ焦らなくてもいいのではないかと助言を頂き、精神科で面談の様子をお話しました。

医師からは、追加で3か月の診断書が出され、この3か月間は月1の通院のみとなりました。

職場を離れていると気持ちも穏やかに過ごすことができるのに、少しでも職場に近づいたりすると動悸がしたり涙が出たり。。。

なんで自分はこんなに弱くなってしまったんだろうえーん
今まで胸張って頑張っていた自分はどこに行ってしまったんだろう???

そう。私は適応障害を受け入れられていなかったのです。

普段の生活の中で、向き合う怖さから逃げていたのかもしれません。

・アマプラを見て現実逃避
・子供達が帰宅すれば、子育てに追われ
・そうこうしている間に夕飯の支度をし…

何かを理由に適応障害の自分と向き合うことを避けていたんですね。

それに気づいた時から、少しずつ向き合おうと決めてはみたものの、すでに気持ちが上向きになっていたので、どん底まで落ち込むことが難しく、泣きたくても泣けない状態でした。

きっと、どん底の気持ちを思い出し、ワンワンと人目をはばからず泣くことができればスッキリしたのかもしれません。
しかしどうしても落ち込めない。

今度は落ち込めないことに悶々とする日々を過ごすことになりました。

しっかりと落ち込んで底辺まで行ければ、あとは這い上がるだけなので上しか見えませんが、この頃の私はまだまだ下に行けるのに…という思いに囚われていました。

そんな悶々とした生活を過ごしている間に、
「これ以上落ち込むことができないなら上を向くしかない」
という考えに至り、その日の体調を見ながらその時にできることをしていきました。

とはいえ、人というのは誘惑に流される生き物なので、アマプラ生活に戻ってしまいました🤗

自分がやりたいと思うことが見つかるまで、とことん自分を甘やかして心の充電を心がけました。

通院の方はというと、3か月の期限を迎える前に受診した際に、適応障害で診断書を出せる期限が半年間であることを告げられ、その期限があと1か月と迫っていた中、今度は復帰するか辞めるかの選択を迫られました。

私の中では復帰した時の自分の姿が思い浮かばなかったこともあり、辞めることしか考えていませんでした。

なので、診断書が出せるギリギリの期限までの日付で診断書を書いて頂き、その診断書を職場に提出する際に、退職する意向であることを上司へ伝えました。

後日、看護部長との面談を設けられ、私の気持ちやこれまでの感謝をお伝えし、部長からはありとあらゆる手段で引き止めにあい、丁寧に丁寧に言葉を選んでお断りしました。

私が勤めていた病院は、市内に一つしかない総合病院でしたので、いつなんどき自分や家族がお世話になるかわかりませんので、いがみ合って辞めることは避けたかったのです。

私の意向が伝わり、退職の手続きが始まりました。

スムーズに退職手続きが終了し、あとは退職日を自宅で静かに迎えることとなりました。

そして、2019年12月31日。
私は17年の看護師人生に幕を下ろしました。




ここまで長々と書き綴った日記をお読み頂きありがとうございます。

適応障害を簡単に見てはいけません。
今一度、ご自分や近しい人に適応障害の症状が出ていないか確認していただきたくもあり、もし症状があるのであれば、これ以上我慢する必要はありません。
「風邪」のうちに対処すれば、必ず良くなります!
「風邪」を我慢するから悪化し、ひどくなるのです。

ぜひ、ご自分の「なんか変」を見逃さないでくださいね!

ありがとうございましたおねがい