もともと介護用の車両で 何度か祖母を載せて通院やお出かけした車でした。
車いすを乗せる時に、すこし音が気になりだし、祖母とそろそろ買い替えかな?
と、話すと 「私はこの子(スパシオ)がいい、音も気にならなよ」と祖母が
いうので、だらだらと3年ぐらい、私は我慢していました。
「孫が私の為に、若い子が乗る車ではなく、介護用の車にしてくれたんだよ」と
看護婦さんやお医者さんに言っていたのを後で知りました。
確かにこの車を購入するに辺り、何度か父と話し合いをし 普通の軽自動車が良いと
けんかをした事もありました。友達などはおしゃれな軽自動車や
スポーツタイプの乗用車と乗っていたので、介護車両はダサいイメージがあり
少しも援助しないでいいから 軽自動車を買いたいと父にお願いしたこともありました。
孫で祖母の近くに居るのは私だけで、当時はアルバイトだったので、
時間と祖母の病院の日は休みやすいのも私でした。
まだあの時代は今みたいに、介護車両も少なく、
病院の送迎も、なかなか無くて、あっても介護タクシーで予約制と
少し不便でした。私は父だけではなく、母や兄弟、叔母らに説得され
しぶしぶ介護車両を買うことになりました。いろんな自動車販売店、中古車販売店
いろいろとみて、ある中古車販売店のオーナーさんといろいろ話すうちに
この車に決めようと思いました、まず見た目で介護車両と分からない!!
次に車いすごと乗せられる!もう完璧!この車だと思い 契約書を交わす時に
オーナーさんから「これでたくさんおばぁさんと出かけられるね」と
言ってくれました。いよいよ納車の日には、車いすの乗せ方なども習いたかっあので
祖母も一緒にいきました。オーナーさんも祖母に「これでたくさんお孫さんと
出かけられますね」と声をかけてくれて 祖母がすこし涙ぐんでいたのを
今でもおぼえています。病院だけではなく、一緒に夏はホテルにも泊まりに、花火大会
ひ孫の運動会、車いすだったけど祖母はたくさんお出かけできたと 車いす生活は
苦ではなかったと、父も叔母達も言ってくれてました。私と買い物に行くと
必ず母に内緒でアイスクリームを食べるのが楽しみな祖母でした。
私はあの時、祖母の役にたてたのかなと、喜んでくれたかなと、思う事がありましたが
今となっては、あの時この車を選んでよかったなぁと思います。
祖母が亡くなったのをきっかけに廃車をする事になり、
すこし寂しい気持ちもありましたが、がんばってくれたスパシオに感謝です。