戦後日本を統治するにおいて、当初は労働組合の結成促進を指導し、全国的な規模での大企業の団体の設立を禁止していたGHQでしたが、労働組合が余りに左傾化・過激化したので、1947年に労働組合に対抗する経営者を支援する方向にその政策を大転換しました。その流れの中で、翌1948年に強力な大企業団体としての日経連(日本経済団体連合会)が生れました(アンドルー・ゴードン著『日本労使関係史 1853-2010』〈2012年〉による)

 

日経連初代会長 石川一郎

【画像出展:Wikipedia File:Ichiro Ishikawa 01.jpg】

 

 以降、旺盛に活動を始めた日経連は、1962年に公表した報告書で、まず大企業からアメリカの慣行に倣った「職務給」(その意味は、すぐ後で説明します)を導入し、ついで「企業間で共通の標準的職務」の「賃率を横に揃える努力」を進め、最終的には「全国的な標準化」をめざすべきだと唱えています。「当時の日本政府(1962年当時は、「所得倍増計画」を推進した池田勇人内閣:筆者註)と日経連は、横断的労働市場と社会保障拡充の政策パッケージを提唱していた」と、社会学者の小熊英二はその著書『日本社会の仕組み』(2012年)に書いています。

 

 つまり、労働者の技能評価を市場全体で標準化して、さらに企業内福祉に頼らずとも国全体での社会保障が公正に受けられる環境をつくって、労働者が企業間を移動してもその賃金や生活保障が齟齬なく受容できる体制を理想として、それを目指すのがいい、と考えたというのです。

 

 

 これらの点を総括して、小熊は、「こうした一連の政策が実現していたならば、日本社会のあり方は西欧に近い形となっていたかもしれない。そうなれば、雇用や社会保障や教育のあり方も変わり、産業別組合を基盤とした社会民主主義政党が生まれ、政治の形も変わっていたかもしれない」と言うのですが、「しかし日本の経営者や民衆は、こうした方向性を受けいれなかった」、と重大な発見を伝えています。

 

 結局、日本はヨーロッパやアメリカとは異質の労使関係、労働市場、をもつに至った、ということを言っているわけで、だとすれば、1962年から69年までに日本の労働市場は世界標準から外れる方向への構造的転換を行ったということになります。

 

 

 ここが、日本の終身雇用制を理解するうえで最も重要なポイントです。

 

 今回は、以上のような重大な意味をもつことになった戦後日本の多くの企業で導入された終身雇用制の具体の形がどのようなもので、そしてそれがどのように日本の労働市場を世界でも特殊な形のものにしたのか、ということを説明します。

 

 

 先に述べた日経連報告書の公表から7年経った1969年に、日経連は別の『能力主義管理-その理論と実践』と題する報告書を公表しています。そしてその中で、1962年以降に日経連が提唱していた「職務給」導入論を放棄し、その代わりに長期雇用や年功賃金などを再評価して、「職能資格制度」を称賛したのです。

 

 「職務給」とは、業務の種類やその責任度合い、また業務に対する成果に基づいて賃金が決定される仕組みです。職務の内容のみで賃金が決定されるので、年齢や勤続年数に関わらず、労働者が実際にこなす業務の内容によってのみ賃金が決定されます。一方、これと対の概念をなす「職能給」とは、職務に対する知識や技能、経験、資格や職務に対する取り組み姿勢、リーダーシップなどに基づいて賃金を決定します。そしてその職能がどの程度のものであるかは、企業が労働者一人ひとりについて個別に判定・評価することによって定まります。

 

 「職能資格制度」とは、この職能給を算定するに当たって企業が労働者一人ひとりに企業の評価に基づき違った資格を与える制度のことです。企業は一般的に、勤続年数が長く経験が豊富な人ほど務遂行能力は高いと判定・評価するので、結果として年功序列を企業内秩序とすることになります。

 

 

 1969年の日経連の報告書では、「終身雇用制や年功賃金制には、『企業に対する忠誠心を植えつける』、『優秀な労働力を定着確保する』、『長期の人員計画および育成計画を行なう』といった利点がある」ので、「終身雇用制は企業と従業員との間の恋愛結婚である」とまで唱えたのです。

 

 1960年代前半までは、政府も企業も、工業学校や職業訓練制度を充実させることを唱えていました。しかし1970年代に入って高度成長が本格化すると、企業はその企業内でしか通用しない、つまり業界横断的ではない、「職能資格制度」を採り入れたのですが、これは経営者にとって社内教育で育成した人材を流出させない利点がありました。

 

 労働力が不足する傾向を強めていた高度成長時代に(1960~70年代前半までの日本の男の失業率は安定しておおよそ1%でした。1973年に起きた第1次オイルショックがもたらした混乱の下で失業率は一気に上がったのですが、それでもおおよそ2%と現在に較べると余程低い水準に留まっています。下のグラフを参照ください)、企業は、そして特に大企業は、労働技能の標準化を否定することにより有能な労働者の囲い込みを図ったのです。ある企業で評価された職能は、一旦その企業を辞めて別の企業に行くとゼロだとしか判定されないので、職能資格制度の下では労働者は容易に企業間を移動できないのです。

 

出典:日本については、厚労省『労働力調査』結果に示されたデータ(「完全失業率」)を素に、アメリカについてはFRB of St. Louisが示すデータを素に作成。

 

 こうして、人材はOJT(on-the-job training)などの社内教育や研修で育てるという日本の企業の考え方は、例えばアメリカの、先端技術が開発されて従業員の職務能力が陳腐化した場合には、大学院やコミュニティカレッジ、あるいは地域の職業訓練校(多くは民営)に戻って職務能力開発する、という発想と違っており、そのことは日本の人材開発が急速な先端技術の発展に追随することが困難になっている今日の状況を産んでいる元凶だ、というのが私の考えです(なお、1980年代~90年代にかけて企業構造改革を行った多くのアメリカの企業は、終身雇用制を破棄しながらも自社に勤務する労働者の先端技術の獲得についての自己開発については支援することを約束しています)

 

 一旦時代の技術革新の波に乗り遅れた日本の企業では、社内教育や訓練をやろうとしても、必要な先端技能を与えてくれる「先輩」社員はいません。先週水曜日(2022年8月31日)付の日経新聞には、最近IT技術者の獲得に多くの企業が熱心で高い給与を提示しているところで、「重厚長大産業の大企業は人事制度が硬直的で動きが鈍い」との指摘がある(転職サービス『doda』の大浦征也編集長による)と伝えています。

 

 この記事中に、「メーカーは社内に理系人材を多く抱えており、中途採用に依存しなくてもリスキリング(reskilling:学び直し)で対応しやすいとの指摘もある」とありますが、しかしその理系人材についても最先端の、特に異分野の最先端の、技術を獲得している人はまったくいないか、ほとんどいない、というのが実態ですが、そのことについて企業経営者も、あるいは技術者自身ですら、十分には気づいていない、というのが日本の企業の問題点です(例えば、革新的なフラッシュメモリを開発した東芝の舛岡富士雄の下で共に働いた技術者〈竹内健〉は、「失敗した別の事業の責任者が上司としてやってきて、あれこれ指図して、自分が書いた提案を却下することに耐えられなかった」と告白しています)

 

 つまり、高度成長時代に築かれた大企業の労働市場についての考え方は、アメリカでIT革命に伴って労働市場が大変革されてもそのことにはまったく関心が払われずに、今に至るも1960年代半ば以降に定着した古い観念を連綿と引き継がれている、ということなのです。

 

 

 日本の企業が職能資格制度を大事だと考えたのは、職務が限定されていないため、配置転換が容易だからという好都合な利点をもっていたからでもありました。

 

 高度成長が本格化するにつれ、大企業は新鋭工場を建設し、既設の古い工場を合理化しました。しかし日本の大企業は、1950年代の大量解雇が大規模争議を招いた教訓から、解雇ではなく配置転換でこれに対応しようとしたのです。つまり、新鋭工場にはその工場に最も適切に対応できる新しい技術をもった労働者を雇用して充てるのではなく、古い技能をもった自社の従業員を現場で訓練しながら生産活動に従事させればいい、と考えたのです。

 

 この頃の大企業はまだ、労働組合が大規模なストライキを起こして、生産活動が長期にわたって停止することをおおいに恐れていたのです。

 

 

 その必要な新技術と古い技術しかもたない労働者とのミスマッチを解消し、企業内での生産技術の向上を図るため、日本の企業では元々アメリカで開発されたQC(Quality Control)活動を本家以上に盛んにし、さらにはその対象業務範囲を広げて総合化したTQC(Total Quality Control)活動にまで高めたのです。そしてそのことは、1970年代から80年代の日本の高度成長を支えたのです。例えば日本企業の生産する自動車が故障の少ない高品質のものでアメリカ市場で大きな競争力をもったのは、このような品質管理活動に成功したためだと考えられもしました。

 

 しかしそれは、例えば自動車産業については1920年代にアメリカのフォードが1ライン単一車種の大量生産方式を、次いでGMが一つのラインで多様な自動車を効率的に生産する多品種大量生産方式まで発展させた生産方式をさらに洗練させる効果はもったものの(その象徴がジャストインタイムを実現したトヨタ自動車の「カンバン方式」です)、1970年代末から80年代にかけてアメリカが旧来のものとはまったく違った分野のIT産業を開発するに及んで、その限界も見せたのです。

 

 

 例えば、格子状に整然と回路を焼き付ける記録用半導体を生産するには、それはおおいに有効であったのですが、抽象画に似た複雑なCPU等の演算用半導体を製造する技術について、日本の電機メーカーはアメリカ企業に追随できなかったのです。「カイゼン」は得意だが、「イノベーション」には弱い日本企業の構造がができ上ってしまっていたのです。

 

 しかしこのことは、日本人にイノベーションを起こす力がないということを言っているのではありません。ただ、日本の大企業が伝統的な技術や年功序列・終身雇用制を第一と考えて、イノベーションを起こす新技術を開発した人を適正に評価し、あるいはそれを企業内に取り込む意識や力がないということを言っているのです。

 

 例えば、pinダイオード、光通信についてなどの革新的技術を開発して東北大学の西澤潤一教授を正当に評価しないで日本の電子産業の発展につなげられなかった、あるいはインテルの世界初のCPUの開発の一翼を担った日本のベンチャー(ビジコン社。主要な技術者嶋正利は後にインテルに移籍)の半導体技術を日本の半導体産業の発展に活用できなかった、或いは先にも述べたように自社内の革新的技術者によるフラッシュメモリという大発明を正当に評価できなかった、というのは、このような日本の大企業がもつ硬直的な雇用態勢にその遠因がある、と私は考えています。

 

 

 1960年代中に日本の大企業が確立した職能資格制度にもとづく年功序列、そしてひいては長期雇用の仕組みが今日まで引き継がれていることが、1990年代以降、日本の大企業が発展できないでいることの背景にある、というのが私の考えです。

 

 

 このように、企業内での訓練による技能向上を図り、そしてその評価をその企業独自のものとして産業界の中で共通化しないという企業の雇用政策は、結果として雇用市場の流動性を大きく阻害することになりました。高度経済成長期には、ほぼすべての企業の業績が上がり、必要な労働力を企業内で囲い込んでおくために労働市場の流動性は経営者にとっては不必要なものであったのですが、しかし高度成長が終わってしまうと、囲い込んだ労働者を解雇できないことによる経営困難な状況が生まれたのです。 

 

 1991年にバブルは崩壊し、それ以降製造業の実質付加価値(名目価値を消費者物価指数で割り戻した値)は減り始め、企業の財務を圧迫し始めたのですが、1990年代前半中は従業員数を減らさずにもちこたえていた製造業も、90年代後半に入るとついに従業員数を大幅に削減することを余儀なくされるようになりました(下のグラフを参照ください)。

 

出典:財務省『法人企業統計調査』結果データを素に計算して作成。

 

 これに対処するために各企業は、退職者の数より少ない新卒者を採用するという方法で対処し、つまり従業員数の自然減を図るという方法を採り、極力従業員を指名して解雇するという「整理解雇」を行うことは避けたのです。

 

 

 労働市場の流動化を止めて、1企業内だけで問題に対照しようとした結果、従業員の平均年齢は毎年上がり続けています。例えば、日本で最優良とされるトヨタ自動車の場合にあっても、2005年以降、毎年従業員の平均年齢は0.2歳ずつ上昇し、さらに近年至っては毎年0.4歳ずつ上昇しています(下のグラフを参照ください)。

 

出典:トヨタ自動車㈱の毎年度の有価証券報告書に記載されたデータを素に作成。

 

 しかし、年功賃金制の要素が強いにもかかわらず(各年齢毎の平均給与をシミュレーションした結果を下のグラフに示しています)、毎年度の平均給与はほぼ一定で増えてはいません。

 

出典:『就活の未来』がネット上に示しているデータを素に作成。

 

 トヨタ自動車の従業員の2021年度の平均年齢は40.4歳であり、これは52歳まで平均給与が上昇する途上にある年齢で、本来は従業員の平均年齢の上昇に伴って平均給与は増えてもいいところなのですが、しかし52歳以降、特に58歳を超えると急激に給与が下がるので、中年齢の従業員の給与上昇モーメントが若老年齢の従業員の急激な給与下降モーメントによって打ち消されている、と理解されます。

 

 つまり、トヨタの従業員の平均年齢が上昇することによって人件費が増して、それが収益を圧迫するということにはなってはいないのですが、しかし、それは50歳代半ば以上の年齢の従業員が増えているという事実を変えられわけではなく、そのことは先端技術に対しておおいに積極的であるとか、あるいは熟知しているというわけではない上司が増えているということなのですから、それがトヨタの技術革新の勢いを削いでいるという現実には繋がっている、と私は考えています。

 

 トヨタがハイブリッド車を当面のエコ対策車として、あるいは燃料電池自動車を未来の切り札とするという旧来からの発想を大きく転換するということを行えずに、結果として本格的なEVの大量生産体制の構築に未だに至ってない(トヨタは今年5月にようやく本格的量産EV、bZ4X、の販売〈但し、サブスクリプション〉を始めたのですが、6月末に不良個所が見つかってリコールを行って以来、新規発売を停止したままになっています)、あるいは、9月14日にオープンしたデトロイトモーターショー(北米国際オートショー)で、他の多くのメーカーとは違ってEVを前面に出した展示を行えていないというのはその証だ、と私は考えます。

 

 なお、日経新聞は本日付け記事『米 EVシフト、収益化難路 北米自動車ショー3年ぶり開催』の中で、EV事業の将来性を危ぶむ主張をして、EV化に背を向けたかのようなトヨタ自動車の展示のあり方を応援するような説明を読者に伝えています。このような大企業追従の日本のジャーナリズムの姿勢は、日本の大企業の企業構造改革、特に雇用態勢の革新を妨げていますが、それは、今の停滞・後退状態にある日本経済の回復にとって大きに不幸です。

 

 

 なお、以上を連載『深く終身雇用制を考える』の第4回とします。