今日から、新連載『2020年代、ゼロサム経済の世界』を始めます。

 

国連の統計は、世界のGDPは、アメリカドルで表示する名目値では2014年から2015年にかけてわずかに減少したが、2017年には元の成長路線に戻っている、そして名目GDPから物価変動、つまりインフレ、の要素を取り除いて計算される実質GDP値は、2008年に起こったリーマンショックに端を発した世界的景気後退に若干減り、あるいはパンデミックの影響を受けた2020年に減少した以外は1960年より一貫して増え続けてきたとしています(下のグラフを参照ください)。

 

出典:国連統計を素に作成。

 

では、1960年以降、世界の物価はどの程度上昇してきたのか?

 

以前にも説明した通り、実質GDP統計値を計算するときに使われる物価変動の速さを示す指標は消費者物価指数ではなく、消費活動だけでなく、それ以外のものを含むすべての生産活動についての物価変動を表す総合的な物価指数である”デフレーター“という値を使っています。そして、名目GDP値をデフレーターで割ると実質GDP値が計算されるという仕組みになっています。

 

逆に言えば、名目GDP値と実質GDP値の両方が一つの統計機関から公表されている場合には、実質GDP値を名目GDP値で割ると、その統計機関が想定しているデフレーターの大きさが計算されるということになります。

 

で、国連の公表する実質GDP値を名目GDP値で割って、国連の想定しているデフレーターを計算してみた結果は、下のグラフに表す通りです。

 

出典:筆者作成

 

これで見ると、世界の平均的物価は、2011年以降停滞、もしくは下落したということになります。つまり、「2010年代の世界はデフレであった」、と国連は主張していることになります。

 

あり得ない、ことです。では、なぜこうなったか?

 

国連統計では、名目の世界GDP値を世界の平均的物価変動指数で割って実質GDP値を算出したのではなく、各国のドル表示の実質GDP値を足して世界の実質GDP値としているのです。6月25日付ブログ『国際機関のGDP統計は、間違っている!-正しい経済統計は、日本の「経済後退」を明らかにする』で説明したように、国連統計で名目GDP値と実質GDP値がドルで繋がっているのは2015年だけで、その他の年の各国の実質GDPは、それぞれの国、その国の通貨ベースで表された物価変動指数、デフレーター、で2015年以外のドルベースでの実質GDP値を計算して出しているのです。

 

もし、それらの国のデフレーターが、アメリカほどに科学的で適正なものであったのなら、各国の“実質GDP値”を計算するために使われた各国のデフレーターを総平均した“世界デフレーター”とでも呼ぶべきものと、国連の名目GDP値と実質GDP値とから算出される“国連GDP統計デフレーター”とでも呼ぶべきものはおおよそ整合し、その結果、“国連GDP統計デフレーター”が異常な世界デフレを思い起こさせる物価変動は示さないはずです。

 

これは、各国のデフレーター統計が、必ずしも適正に定義されたものではない、ということを示唆しています。

 

例えば、国連統計で日本の名目GDP値と実質GDPの変動を見ると、下のようになります。

 

出典:筆者作成。 

 

名目GDP統計値では1995年以降、円/ドル為替レートの変動によって毎年のGDP値には大きな変動があるものの、平均しておおよそ5兆ドルの水準で停滞しています。しかし、実質GDP統計値では、1995年から2019年までの24年間にわたって、日本のGDP5兆ドル弱(5.06兆ドル)から6兆ドル強(6.19兆ドル)へと22パーセント伸びているのです。これは、その間日本のGDPは年平均1パーセント近く(0.84%)成長していたということを意味しています。

 

そしてそのことは、大半の日本人の“実感”と大きく違っています。それならば、日本は高度成長とまでは言えないが、年1パーセントほどの安定成長を続けていた、ということになります。

 

そうなのです。これは2018521日付ブログ『実質GDPを計算するデフレーターが改ざんされた!-日本のGDP統計はぐちゃぐちゃ(2)』で詳しく説明したところですが、日本政府が日本のGDPが安定成長しているということを日本人そして世界の人に対して主張するためにつくり上げた「フィクションの数字」なのです。その様なことが他の国でもなされたのだとすれば、「2010年代の世界はデフレ状況にあった」というシナリオが成立するというわけです。

 

こう話せば、国連の実質GDP統計が正当な値を示すものではない、という私の主張が理解されるでしょうか。 だとすれば、世界のGDPは”実質的に“どれほど成長していると見ればいいのか? そして私は、それは世界の名目GDP値をアメリカで公正に算定されているデフレーターを援用して計算するのがいいだろう、と考えるのです。

 

そうして計算して見たのが、下のグラフに太い青線で示す値です。 

 

出典:国連の名目GDP統計とアメリカ政府の公表しているデフレーターを使って計算して作成。

 

これからわかることは、世界の実質GDP、つまり名目GDPからインフレ要素を取り除いた実力としてのGDPは、「1990年代以前から2000年代にかけて経済成長を加速していた世界は、2010年代に入って経済成長のペースを落とした」、ということを表しています。しかも、その成長ペースの鈍化は、2010年代後半に顕著になっているように見えます。

 

この趨勢が続けば、2020年代に世界のGDPはほとんど増えなくなる、そう、このグラフはこれからの世界を予言している、と私には見えます。 

 

 

これでもまだ信じられない読者に、別の数値を紹介しましょう。

 

下のグラフは、二つの方法で算出された世界の実質GDPと、世界の一次エネルギー消費量の推移を同時に見たグラフです。

 

出典:GDPについては既に述べたデータ、一次エネルギー消費量についてはIEA(国際エネルギー機関)が公表するデータを素に作成。

 

このグラフから、実質GDP値が一時エネルギー消費量と同じようなペースで増加していることがわかります。しかしこのグラフからだけでは、国連が示す実質GDP値と、名目GDP値をアメリカ政府の公表するデフレーターで調整して得られる実質GDP値と、どちらの値によりよく整合しているかがよくわかりません。

 

そこでまず、アメリカ政府の公表するデフレーターで調整した実質GDP値と一次エネルギー消費量の整合性を見たのが下のグラフです。なお、実質GDP値が多少増減するのは、ドルと他の通貨の為替レートが変動することの結果ですので、数年の変化の傾向を見てください。

 

出典:同上

 

2つのデータがよく整合していることが、わかると思います。特に注目して欲しいのは、2010年代に入って一次エネルギー消費量の伸びが鈍化していることと、このグラフに示す実質GDP2010年代に入って成長率が落ちたことがよく整合している点です。

 

次に、国連が示す実質GDP値と一次エネ消費量の推移を同時に見たのが下のグラフです。

 

出典:同上

 

1985年から2000年代まで、完全に近いほどの整合性を見せていた二つのデータは、2010年代に入ると突然大きく乖離します。実質GDPはそれ以前と同じ勢いで増えているのに、一次エネルギー消費量の伸びは鈍化するという不自然な関係を見せるのです。

 

 

もう一つ、別の例を見せましょう。

 

世界の実質GDPの伸びと世界の鉱工業生産指数はおおいに相関していると推測されます(鉱工業生産指数〈industrial production index〉とは、価額の要素は考慮せずに、鉱工業製品の生産量だけを基準年を100として指数化した値です)。そこで、国連統計による世界の実質GDP値と世界の名目GDP値をアメリカ政府の公表するデフレーターで調整したGDP値とどの程度に整合した変化をしているかを、2つの指標を同じグラフ上に載せて見てみます。

 

先ずは、世界の名目GDP値をアメリカ政府の公表するデフレーターで調整したGDP値と世界の鉱工業生産指数との相関を見てみたのが下のグラフです。

 

出典:鉱工業生産指数については、OECD統計の示すデータを使用。

 

非常によく相関していることが、見てとれます。一方、国連の世界の実質GDP統計値と世界の鉱工業生産指数の相関を見たのが下のグラフです。

 

出典:同上。

 

2008年に起きたリーマンショックに端を発した世界的景気後退期以前にはほぼ完全な相関を見せていた2つの指標が、2010年代に入って以降はほとんど互いに相関していないことが読み取れます。

 

ここでもまた、世界の産業活動量の大きさの変化を表す鉱工業生産指数とよりよい相関関係を示したのは、国連統計による実質GDP値ではなく、名目GDP値をアメリカ政府の公表するデフレーターで調整して算出された世界の実質GDP値でした。

 

 

鉱工業生産活動量が増えれば実質GDPが増え、そしてその過程で、あるいはその結果としてその変化に応じて消費エネルギー量が増える、その関係をよりよく表現できたのは国連の実質GDP値ではなく名目GDPをアメリカ政府の公表するデフレーターで調整して得られた実質GDPである、ということが理解されたかと思います。

 

 

少しくどいですが、世界の粗鋼生産量の変化も、国連統計による実質GDPの変化より名目GDP値をアメリカ政府の公表するデフレーターで調整した世界の実質GDPとその変化の様子がよく近似されていることも確認できます(下の2つのグラフを参照ください)。

 

出典:粗鋼生産量については世界鉄鋼協会(World Steel Organization)の公表するデータを使用。

 

出典:同上。

 

 

最後に、決定的に重要なデータを提出しましょう。

 

世界の(名目)輸出総額は、2012年から増えなくなっており(下のグラフを参照ください。実質値を提供する国際機関は、名目値についも他の国際機関と違った数値を示し、その推移の様子についても常に成長し続けると主張する国連のものだけでしたので、無視しました)、世界の経済専門家たちは、この現象を「スロー・トレード」と呼んで、「これが、世界経済が低成長に陥った一因である」としています。そして、その理由として、新興国が先進国からの直接投資を受けて自国内で先端工業製品を生産することができることとなったので、その輸出依存度が低下したことがある、などと言います(日本総研著『スロー・トレード再来の兆し』〈2018年〉による)

 

出典: UNCTAD(国連貿易開発会議)の示すデータを素に作成。

 

世界経済は常に安定的に成長し続けている、と主張する国連の実質GDP統計を信じる人たちにとって、世界の実質輸出額が2010年代に入って突然増えなくなったことは異常な出来事で、その理由を新興国の輸出依存度の低下に見出すなど、その原因の追究に耽り、世界のサプライチェーンの変化の様子などを見て、「スロー・トレード」は今後長期化するのであろうか、などと議論をするのです。

 

しかし、本当の世界の実質GDP値の推移は、国連が公表する世界の実質GDPによってではなく、世界の名目GDP値をアメリカ政府が公表するデフレーターで割った算出される実質GDPで表されるのだ、ということを理解していれば、2010年代以降にも世界の輸出総額と世界のGDPはまったく同じような調子で推移しており、それら2つの指標の間には、ほぼ完全な相関関係がある、ということが知れるのです(下のグラフを参照ください。

 

出典:(名目)世界の輸出総額はUNCTAD(国連貿易開発会議)の示すデータを、名目GDPは世界銀行の示すデータを使用。実質GDPについては世銀の示すデータと上の説明通りに筆者が名目GDPをアメリカ政府の公表するデフレーターで調整して計算して得た値を使用。以上を使って、グラフを作成。

 

太い黒の二重線で示す名目輸出額の推移グラフは、赤点線で示す世界の名目GDP値のグラフとまったく整合していませんし、赤の実線で示す国連の世界実質GDP統計値の推移グラフとはもっと整合していません。しかし一方、青実線で示す名目GDPをアメリカ政府の公表するデフレーターで割って得た実質GDP値の推移グラフとはおおよそ整合しています(実質値を計算するための基準年は、2010年としています) 

 

私が提案する世界の実質GDP統計値を採用すれば、たちどころに「スロー・トレード」などという、「世界のサプライチェーンの構造が、年によって変化した」などというよほどの無理を重ねないと説明できな奇妙な現象は消え去ってしますのです。世界の生産高と輸出総額は整合して変化する、ただ、それだけのことです。

 

 

これほど多様で基礎的な世界経済に関するデータを示せば、読者は世界の実質GDPが20111年以降その伸びのペースを急速に落とした、ということを信じてくれるでしょうか?

 

世界の経済は2000年代に1990年代より加速していた成長を、2010年代には成長のスピードを大きく下げた、そして2020年代にはその成長の速さがさらに低下して、世界全体でゼロ経済成長の世界が出現することになりそうだ、ということなのです。

 

しかし、極低成長、さらにはゼロ経済成長の世界は、一部の学者たちが言うような、すべての国の成長が止まる、というような状態では実現されそうにはない、と私は考えていますゼロ経済成長の社会では、すべての国の成長が停止するのではなく、「勝者国」と「敗者国」の両方が現われ、「勝者国」は成長し続け、そして「敗者国」は後退し続け、その両者の正負の経済成長を合わせると、”ゼロ経済成長”となるのです(下にその概念図を示しています)。言い換えると、2020年代は、「ゼロサム経済」の世界となるのです。

 

出典:筆者作成。【画像出展:笑顔=wikipedia File:Iraqi girl smiles.jpgAuthor:Chrisutian BriggsFile:Tears .jpgAuthor:Reiji Jacob

 

 

「ゼロ経済成長社会」は、決して「安定社会」ではないのです。

 

次回は、「ゼロ経済成長」の安定した社会であったと学者たちが説明する日本の近世、徳川時代、が、実際にはまったく安定した社会ではなかったということを明らかにします。