前回までに、アメリカの財政赤字をなくしつつ、負の所得税によりアメリカの社会・経済構造を改革することが望ましい、と私は主張してきました。

 

さて、それが実際に実行可能なものなのかどうか、試算してみた結果を下のグラフに示しています。 

 

出典:筆者作成

 

ここでは、基準所得額を4.5万ドル、個人所得税率を40%としています。その結果、所得ゼロの世帯の個人所得税はマイナス1.8万ドル、つまり1.8万ドルの現金交付を受け取ることができます。所得4.5万ドルの世帯の個人所得税はゼロですので、改正前後で所得は変わらず課税後の所得も4.5万ドルです。

 

2016年のトップ50%目の世帯の所得、つまり世帯所得中央値の世帯の所得は4万ドルですが、その世帯の個人所得税はマイナス0.2万ドルとなり、2千ドルの現金給付を受けることができることとなります。つまり、アメリカの世帯の半数以上は個人所得税を支払うのではなく、現金交付金を受け取ることができることとなります。その様子を2016年(tax year)の各階層毎の実効所得税率(課税前の所得税に対する個人所得税額の占める割合)、そして前前々回に示した財政赤字をゼロにすることを目的とした税率改正案と較べて見たのが下のグラフです。

 

出典:筆者作成

 

かなりドラスチックな変化をしています。最も変化が大きいのは、下位50%に属する世帯で、平均実効所得税率はマイナス50%となっています。その分上位50%の世帯の実効所得税率が高くなっているのですが、一番大きな変化があるのは、トップ1%~25%に属する高所得者です。特にトップ1025%とトップ510%の世帯の所得税率は、現行税率のおよそ2倍となっています。一方、トップ1%の世帯の実効所得税率は4割増と比較的増加率が低くなっています。

 

負の所得税をできるだけ原理に近い形で税率を1つとしてチャレンジしてみたのですが、トップ125%の世帯についての増税率が非常に大きくなって、一定期間をかけて漸次移行するにしてもその所得層に属する人たちの反発は大きくなりそうです。そこで次善の策として、下のような負の所得税の導入を計画してみました。

 

出典:筆者作成

 

このとき、5.5万ドルを基準世帯所得とし、個人所得税率は一律40%としていますが、5.520万ドルの間の個人所得税率は30%として、二つの税率を合わせて使うという変則的な累進税率としています。上の税率を適用した結果を現行の税率と、そして現行の財政赤字を解消することを目的として構想した累進税制の改革案とを比べて見たのが下のグラフです。

 

出典:筆者作成

 

たった一つだけ余分に所得税率を加えただけで、現行(2018年税制改正前)の個人所得税率に比べて増税が行われる各層についてはおおいに滑らかな増税となっていることが見てとれます。

 

このような負の所得税の導入により、アメリカ連邦政府の単年度での財政赤字は解消され、所得ゼロの世帯についても2.2万ドルの現金交付が行えます。2.2万ドルが、各種福祉サービスが民営で供給されることを前提に最低限文化的な生活を営むに足りるだけの金額であるかの正確な検証を行ってはいませんが、現在連邦政府が勤労者所得税控除として交付している現金の額2019年現在、2人の子供を持つ共働き夫婦については、年収が52,493ドル以下の世帯が対象となり、最大給付額は5,828ドルよりははるかに大きな金額となっています。

 

そして多少でもより多く働けば、その世帯の課税後の所得(可処分所得)は確実に多くなることが保障されています。

 

さて、今までのアメリカの財政赤字をなくし、アメリカの社会・経済構造を改革するために、連邦政府の最も主要な財源である個人所得税の改革のあり方について議論してきました。そして、おおよそ満足できる結果を得られたのではないかと自賛しています。

 

ところで、この検討からは連邦政府が自ら運営している老齢年金制度のための歳入財源である社会保障税については議論の外に置いてきました。アメリカの老齢年金制度の現況については、今年628日付ブログ『トランプが日米安保破棄で迫るのは、年金制度を守るため!』で詳しく述べているとおりです。

 

アメリカでも、団塊の世代が退職年齢を迎えたことにより、老齢年金制度の収支が2010年代に入って以降赤字になり、かつ毎年その程度を悪化させています(下のグラフを参照ください)。

 

出典:アメリカの社会保険庁が著した“2019 OASDI Trustees Report”中に示されたデータを素に作成。

 

そしてその結果、老齢年金基金は今からおよそ10年後には適正必要水準と思われる年金支給総額1年分のレベルを割り込み、さらにその5年後の2035年頃にはゼロになってしまう(中位推計)と予測されています。 

 

出典:社会保険庁が著した“2019 OASDI Trustees Report”中に示されたデータを素に作成。

 

大恐慌中に民主党選出のフランクリン・ルーズベルト大統領とリベラル派が連携して社会保障法を制定して(1935年)、その一環として老齢年金制度を始めたのですが、その時すでに人口の高齢化により30年後には制度が破綻することは予測されていました。しかし、それを議会で公表せず、アメリカ市民に報せることなくアメリカの老齢年金制度は開始されました。

 

そのような誕生の歴史をもつアメリカの老齢年金制度が、再び破綻の危機に陥り始めているのは、連邦政府の官僚とそれに連携した福祉専門家には、制度を健全に運営する意思が欠如しているからだ、と判断せざるを得ません。問題が起きれば、議会で税制度を改正し、あるいは新たに補助制度を起こせば何とかなると安易に考えているのでしょう。そして、そのような態度の人に任せていて、安定し、且つ効率的なサステナブルな制度運用は望めません。それが、フリードマンが大きな政府のあり様の大きな問題の一つとして、この老齢年金制度のあり様を批判してきた所以〈ゆえん〉です。

 

ですから、フリードマンはこのような大型の年金制度を連邦政府の官僚が独占的に運営するのではなく、連邦政府をスリム化してそれを自由な市場で企業が競争しながら運営する年金保険に入れ替えるべきだと主張したのです。この趣旨に賛同する私は、今後放置すれば老齢年金制度が連邦政府の赤字をさらに拡大することを予知しつつも、それを未然に防止する増税策については検討してきませんでした。

 

そうではなく、負の所得税導入は、国防、外交、その他連邦政府でなければ取り組むことができない最低の行政のみに連邦政府の業務を限るという原則とともに実施されることが基本です。それが、負の所得税導入は、アメリカの社会・構造改革に資するとする第1の論点です。

 

そして第2の論点は、社会格差についての理解の視点を改めるということです。既に何度も説明しているように、格差とか社会の断絶という問題は、所得が特に多い者とそうでない者、あるいは資産の特に多い者とそうでない者が基本的に所得や富を奪う者と奪われる者だという対立の構造として見ている限りは、フリードマンが1962年に『資本主義と自由』を書いた時のように、近代資本主義と社会主義という理念の基本的対立の結果という結果しか生みません。そして、その態度こそが問題です。

 

私がこのブログで既に何度も指摘しているとおり、アメリカの高所得者の所得の増加は、彼らが1970年代以降のアメリカの第3の産業革命の牽引者で、アメリカの経済を毎年実質2%以上の経済成長をもたらしているものだからです。

 

中所得者の所得が伸びないのは、経済がグローバル化して、世界的に労働者賃金が平準化してきており、伝統的産業について、アメリカの労働者だけが世界水準より高い賃金を要求することはできなくなったからです。

 

そして、低所得者の賃金が停滞、あるいは減少したのは、メキシコから大量移民が流入して、熟練を要しない労働についての賃金水準を下げ続けたからです(近年、メキシコ国境管理が特に厳しくなったことから所得第Ⅰ五分位の労働者の賃金はわずかながらに上昇傾向に転じています)

 

アメリカの所得格差の拡大は、アメリカが世界市場の中で成長を続けるために起こった必然の結果であり、それは以前より金持ちが強欲になって中・低所得者に必要な賃金を払わなかったり、あるいは不公正な手段で中・低所得者から所得や富を奪ったからではありません。そこは、経済後退を続けている中で(実質ドルベースでのGDP1995年以降げんし続けている)、高所得者や富裕者が非正規雇用率を増すと言った不公正な手段で社会格差を増大し続けている日本とは違っているところです。

 

かつて、アメリカが南北戦争以降1920年代初頭まで第2の産業革命を続けた頃には、アンドリュー・カーネギー(鉄鋼王)、ジョン・ロックフェラー(石油王)やリーランド・スタンフォード(鉄道王)が巨額の資産の多くを大学の設立や移民救済の慈善事業に投じて、連邦政府や地方政府の行政の不備を補なってきました。そして現代になっても、投資家であるウォーレン・バフェットは自らの資産の85%を慈善団体に寄付することを宣言し、ビル・ゲイツらと連携して資産の半分を寄付する運動を行っています。

 

カーネギー(左)とバフェット(右)

【画像出展:Wikipedia File:Andrew Carnegie, three-quarter length portrait, seated, facing slightly left, 1913-crop.jpg(カーネギー)、File:Warren Buffett KU Visit.jpg Author:Mark Hirschev(バフェット)】

 

ロックフェラーが援助したシカゴのハルハウスは、社会福祉の母と呼ばれるジェーン・アダムスの指導の下、公共福祉施設をつくってそこに福祉対象者を収容するのではなく、福祉専門家が貧しい地域に住み込んで日常的に貧民、移民の生活を扶助するというセツルメント運動を展開しています。カーネギーに至っては、「富を持って死ぬものは不名誉である」とまで書いています(『富の福音』〈1889年〉)

 

富者と貧者の対立は不可避だとする社会主義の見方ではなく、富者と貧者がともにつながりながら経済的に成長し、そして精神的に安定的にする、アメリカ建国の祖が目指した近代資本主義の理念に立ち戻るのがいい、というのが、私のアメリカ社会・経済構造改革構想の提案です。

 

以上で、連載『アメリカの経済構造改革提案』を終わります。