一昨日(2019年4月1日)、新元号を“令和”とすると菅官房長官と安倍総理からの発表と説明がありました。
“令和”は、万葉集第5巻に納められている梅の花についての歌32首の序文(題詩;下記に示しています)の中の漢字2文字から採った、というんだそうです。
于時初春令月 氣淑風和梅披鏡前之粉(時は初春の良き月、空気は美しく風も和やかで、梅は鏡前で装うように白く咲き)
筆者撮影
ならば、その序文の下でどんな歌が詠われたのかということを知らなければならないでしょう。
32首のうち、素直に梅の花を愛でた歌は19首ありました。全体のおよそ6割に当ります。
例えば、山上憶良〈やまのうえおくら〉は、
春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ
(春が来るとまっ先に咲く庭前の梅の花、この花を、ただひとり見ながら長い春の一日を暮らすことであろうか)
と、とても素直に詠んでいるように見えます。ただ万葉学者の伊藤博によれば、これは主人の大伴旅人が最近亡くした妻を思いつつ独りでの生活を強いられていることへの思いやりを示すもので、「わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。32首中、出色の作といってよい」とのことです(伊藤博著『萬葉集』〈2005年〉より)。
で、気になるのは、残りの4割に当る13首が、”梅の花が散る”ということを歌っていことです(下のグラフを参照ください)。この歌会では、32首が連歌のように詠い継げられ、途中、咲く花と散る花の歌が交互に詠い継がれている部分もあります。
筆者作成
その結果詠われた32首のうち10種は、梅の花が散ることを憂いて悲しみを著しています。例えば、
我がやどの 梅の下枝に遊びつつ うぐひす鳴くも 散らまく惜しみ(摩高氏海人)とか、
うぐひすの 音聞くなへに 梅の花 我家の園に 咲きて散る見ゆ(対馬目高氏老)とかいうのがあります。
その他に、梅の花は必ず散るとされているけれど、これから先も咲き続けて欲しいという願いを著したものが3種あります。例えば、
萬代に 年は来経ふとも 梅の花 絶ゆることなく 咲き渡るべし(筑前介佐氏子)とか、
うぐひすの 待ちかてにせし 梅が花 散らずありこそ 思う子がため(筑前橡門氏石足)というのです。
ただ嘆くだけでなく、もう少し前向きなのは、
梅の花 咲きて散りなば 桜花 継ぎて咲くべく なりにてならずや(薬師張氏福子)
と、桜の花へ春の華やかさがバトンタッチされていくことを指摘して歌っています。
大伴旅人
【画像出展:Wikipedia File:Otomo Tabito.jpg】
“令和”をその状況説明として、天平2年(730年)に太宰府長官であった大伴旅人ほか招かれた山上憶良〈やまのうえおくら)初め、一人の無位の僧を除き従五位〈じゅごい〉以上の、つまり貴族身分の、30人余の客が詠った梅の花を題材にした歌は、全首のうち4割がそれが散り行くことを意識したものであり、そのうち更なる桜の花への発展を期待した1首を除いては、「花は咲けば散る」と思って、哀しみを込めながら一瞬の華やかさを愛でた、ということなのです。
どうして、全体の4割の歌が散り行く花を惜しみ、哀しんだ歌会の季節描写を新元号にしたのか、考案者の意図を私は測りかねています。そして、総理や官房長官は、いったい何を考えたのでしょうか?
案外、賢く政治嫌いの考案者が絶妙の罠を仕掛けた、のかも知れませんね。
一昨日、病院帰りの道で咲きかけたばかりの桜の花を見つけて眺めました。ソメイヨシノとしては老木の域に入っている太い幹の低いところから、枝を出さずに直接何輪かの花を咲かせていました。
「老いてもまだまだ花を咲かせるから!」という、こういう桜の木の花が好きです。天平の時代の歌人たちには、なにかそういった未来に向けての”意気!”っていうのを感じないんですよね。
“令和”の時代って、大丈夫でしょうか?
私は、2020年代初頭に大経済破綻した後、今度こそ日本人がこぞって革新的な未来をつくることがいい、と考えて、このブログを書いているんです。”令和”というぬるま湯感覚をぶっ飛ばしましょうよ。
”令和”って、「意に沿わないことを命令されても争わずに、権力者に和す」とも読めるんですよね。辺野古基地に向かう沖縄の人々に対する今の政権の姿勢を見ていますとね、、、。