先月のお盆が明けたての17日に、アメリカのニューヨーク大学の医学部が、全医学部生について55千ドル(およそ6百万円)の授業料を全額免除すると入学式の場で突然発表して、参加していた新入生が大歓声を上げるという衝撃的な映像がテレビニュースで流されました。

 

で、背後のアナウンサーの声は、「アメリカでは近年授業料が高騰して、学生が多額のローンを抱えて苦悩している。これは快挙だ」というような解説を流しました。そして日本では、「日本の大学も金儲けばかり考えないで、ニューヨーク大学に倣って授業料を安くしろよ!」といった声が飛び交っています。

 

けれども、これはアメリカの実情を正しく報道してはいません。日本のニュース番組が昼間のワイドショー化しているという、一つの現われです。真実を伝えるというより、話を面白おかしくして人々の嬌声を沸かせて視聴率を稼ぐ、その一つの典型です。

 

これは、ニューヨーク大学の人々の耳目を集めるためのショーでした。なぜなら、ニューヨーク大学は日頃より授業料が高いとアメリカでも評判であった大学の一つだからです。下にアメリカの教育省が公表するニューヨークにある各大学の学部生の在学中の授業料(年)と卒業後の初任給(年俸)の各大学の平均値を表したものを示しています。

 

出典:アメリカ連邦政府教育省の公表するデータベース“College Board”に記載されたデータを素に作成。

 

ニューヨーク大学は、アイビーリーグ(アメリカで著名な東部を代表する8大学)ほどではありませんが、有力大学の一つではあります。実際のところ、上のグラフからも分かるように、ニューヨーク大学の卒業生の初任給は、ニューヨークにある大学の中でアイビーリーグを構成する大学の一つであるコロンビア大学(平均初任給:年78,200ドル)に次いで2番目の高給となっています(年59,600ドル)。しかし同時に、ニューヨークにある大学の中で2番目に高い授業料をとる大学でもあるのです(平均年37,362ドル)。

 

そして一方、最も高い初任給を期待できるコロンビア大学の授業料は、ニューヨークにある大学の平均値以下で、ニューヨーク大学の6割に満たない年22,001ドルでしかありません。今回のニューヨーク大学の措置は、従来よりあったニューヨーク大学の授業料は高すぎるという批判をかわして、何とか優秀な学生を引き付けて経営改善を図りたいという意思を表したものなのです。

 

ここで読者は、いやアメリカの有名私立大学の授業料がそんな安いはずはない、統計が間違っているんだ、と思うかもしれません。では、別の教育省のデータを見てみましょう。

 

アメリカの201718年期の大学の年授業料は、最も安い地域内居住者向け公立大学の授業料が平均3,570ドル、そして一方私立大学の平均値は34,740ドルとされていて、およそ10倍ほどの開きがあります(下のグラフを参照ください)。では、コロンビア大学の年授業料22,100ドルというのは、全米の中でもとても低い部類に入るのかというと、実はそうではないのです。

 

出典:アメリカ連邦政府教育省著“Trends in Higher Education”に掲載されたデータを素に作成。

 

アメリカの有名大学の経営は、豊かな資産と毎年の多くの卒業生などからの多額の寄付によって援けられています。コロンビア大学の授業料が年22,100ドルであるというのは、実際にコロンビア大学に在学した学生たちが負担した授業料です。大学は、例えば親の所得に応じて授業料を全額免除したり、あるいは一部免除したりということを行っています。だから、本人の学業能力が随分と高いと大学に判定されれば、所得の低い家庭からも有名大学に通うことは十分に可能なのです。一方、大学の正規の授業料を支払うことができるほど裕福だと判定されれば、高騰した授業料を支払うことが要求されます。

 

22,100ドルというのは、そうした幅広い家庭の所得階層ごとに違う授業料、正確にいうなら正規の授業料から無償の奨学金を差し引いた本人が最終的に負担する授業料の平均値なのです。22,100ドルというのは日本円でおよそ年240万円ということですから、日本とアメリカの所得が大きく違うことを勘定に入れれば、日本の私立大学に比べて決して高いとは言えないでしょう。

 

まだ、感心しないでください。下に、アメリカの有名大学の授業料と卒業生の初任給を表したグラフを載せています。ここからわかるように、日本人に最もよく知られているアメリカの大学であるハーバードの年平均授業料は、わずかに14,981ドルです。コロンビア大学の3分の267.8%)でしかありません。運営費が多くかかる工科大学のMITですら、コロンビア大学とほとんど同じです(22,549ドル)。

 

出典:アメリカ連邦政府教育省の公表するデータベース“College Board”に記載されたデータを素に作成。

 

なぜ、ハーバード大学の方が授業料を大きく減免できるかと言えば、ハーバード大学はアメリカで最初につくられた大学で(1636年に牧師養成学校として出発)、歴史が古い分有力な卒業生に恵まれ、長年にわたって続けられた富豪や卒業生の多額の寄付が積みあがって巨額の資産となり、さらにそれを毎年プロを雇って高利の資金運用をしているために財政が豊かで、在学生に対する無償奨学金の提供をふんだんに行えるからです。

 

例えば、ハーバード大学の場合、年収6万5千ドル(およそ7百万円)以下の世帯を”低所得世帯”と定義して、その子女が入学した場合には授業料を含めて学生の生活にかかるすべての費用(寮費や食事費等を含む)を大学が負担します。そして年収15万ドル(1千7百万円)以下の所得の世帯の子女についても大学生活にかかる費用の9割以上を大学が負担します(アキ・ロバーツ、竹内洋著『アメリカの大学の裏側』〈2017年〉による)。さらに西海岸のシリコンバレーの拠点校であるスタンフォード大学では、年収12万5千ドル(およそ1千4百万円)の世帯の子女については、必要経費のおよそ7割を占める授業料が全額免除となります(私立大学の所要経費〈援助前〉の推移を下のグラフに示しています)。

 

出典:アメリカのNational Center for Education Statisticsのホームページに掲載されたデータを素に作成。

 

その結果、正規の授業料がとても高い有名私立大学の実質的な平均授業料が、公立の大学のそれを下回るということは頻繁に起きています。ことに近年、必要経営費が高騰している中、州知事に大学援助に熱心でない政治家が就いたような場合には、そして実際そのようなことは多いのですが、私立大学と公立大学の実質的な授業料の逆転幅はさらに大きくなります。

 

これに比べて、寄付を受けることがほとんどない日本の私立大学では、正規の授業料のすべてを学生が負担しなければなりません。そして、親にその負担能力がなければ、学生は授業料に相当する金額を学生ローンとして借りる必要があります。

 

2018-19年期の在京の有力な私立大学の授業料(4年間の合計額を年平均値に置き換えた額)を下のグラフに示しています。アメリカの授業料と比較できるようにドル換算して、さらに日本とアメリカの1人当たりGDPで支払い能力を勘案していますが2017年の日本の1人当たりGDPはアメリカの64.6%なので、その逆数を日本のドル換算した授業料にかけて補正しました)文系については年額およそ15千ドル超、理系については年額2万ドル超というのが標準的なところです(日本大学と慶應義塾大学の理系は、それよりはるかに多くなっています)。

 

 

出典:ホームページ『大学偏差値マップ』掲載データを素に作成。年授業料は最低額と最高額の中間値とした。

 

こうしてドルに換算した日本の私立大学の授業料は、アメリカの有名私立大学のものとほぼ同じ水準にあると言えます。さらに、アメリカの大学にはシャワー設備と冷暖房設備が整った寮(個室、台所・居間付きシェアルーム等)とデザート、飲み物付きの豪華な日替わりの食事を提供する学生食堂が完備されていますが、その1月の使用料(年額を12で割った金額)は、それぞれ560ドル(6.2万円;光熱費はタダ)と440ドル(4.8万円;普通学期毎に通しのパスを買います)と非常に安く、これらの金額は授業料が高騰する中、増額のペースはゆっくりです(2つ上のグラフを参照ください)。

 

これらのことをすべて勘案すると、アメリカの私立大学の授業料は日本よりはるかに高いという日本での評価は正しくないと思います。むしろ、質を勘案すれば、日本より大いに安いと言っても言い過ぎではないと思います。

 

 

以上のことから、アメリカの有名私立大学の授業料はとても高額で、貧乏人の子弟は高等教育を受ける機会がないという日本で盛んに言われる説明は、真実ではないということがわかると思います。

 

事実は逆で、日本では富裕な世帯でないと高校在学中までの高額の私立高校や塾の授業料を負担できず、また私立大学の高額の授業料を負担できないことにより、社会格差が固定化されるという問題が起こっています。そして、それについて政府は何ら解決の手立てを与えていませんし、日本人の間に自発的に大学に寄付しようという運動が起こっているわけでもありません。

 

日本とアメリカ、どちらにより大きな問題があるかは明らかでしょう。

 

次回は、アメリカの大学での学業がどれほどダイナミックに就職に反映されているかを説明します。