日本の官僚の行動原則は“文書主義”ということです。そしてこれは“前例主義”ということとセットであるというのが、紀元620年に十七条の憲法ができて日本最初の官僚が誕生して以来、時代を超えて変わらないということを、今まで14回の連載を通じて紹介してきたつもりです。

 

どうしてそうなのか? それは一旦確立した官僚優位の社会の形を固定して、自分の身分と生涯を通じての高所得という理想的な環境を維持し続けたいからです。

 

1947年に新憲法、日本国憲法、が制定され、そのときから旧憲法、大日本帝国憲法(1889年制定)とは違って、官僚は天皇のためにではなく国民のために働く“公僕”になったのだ、と法学者や政治学者は説明します。憲法第15条第2項に、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」と書いてあるからです。そしてこれらの学者たちは、官僚の不公正な行状が報道される度に、「官僚は自ら公僕であることを自覚して行動すべきだ」と精神論を説いて、論説のまとめとするのです。

 

日本には、本音と建て前というのがあります。そしてこの“公僕”という概念は、その最も典型的なものの一つです。戦前の官僚と、戦後の官僚とで、その行動様式はまったく変わっていません。もっと言うと、幕末を統治した幕府官僚、明治・昭和前期を統治した軍官僚、そして戦後を統治し続ける大蔵→財務省官僚、これらの者を通して、それらの行動様式はまったく同じであると言えるのです。そのことを、今まで14回の連載の中で、細かに具体的に明らかにしてきたつもりです。

 

日本の経済学者は、日本は自由市場をもつ資本主義経済体制にあると言い、法学者と政治学者は、日本の統治体制は国民の自由な投票によって選ばれた政治家が構成する内閣の指示で下で、国民に公平に奉仕する公僕として官僚が行政実務を行う近代国家である、と説明します。しかし、それは学者たちもある種の文書主義に基づく思考・行動様式をもっている、つまり法文に書かれたものが実体を表すという考えをもっていることを示しています。

 

日本の歴史学者が、想像を働かすことより歴史文書の記述を詮索することの方がはるかに重要なことだと考えているのと同じです。

 

しかし、現実の日本は、政治家を上回る権力をもった財務省官僚を中核とした政府官僚が治める国家社会主義体制の国です。法律に何がどう書いてあろうがです。

 

日本は“法治国家”ではなく“官治国家”だ、と看破した者がいます。経済学者の池田信夫です。小塩丙九郎は、池田の論説全体をそのまま受け入れようとは思っていませんが、しかしこの部分に限っては、まったく同意します。

 

今盛んに話題になっている加計学園問題というのは、まことに不思議な問題です。この問題の背景は、明らかに前川次官が辞任に追い込まれた文科省官僚の天下り問題にあります。文科省官僚のうち大学等に文科省現役幹部官僚を含む組織的なあっせんにより、数十人の元官僚が大学の教授ポスト等に天下っているが、それは国家公務員法に違反する行為であるとして指弾され、多くの者が人事処分され、既に天下っている者がその職を辞することを余儀なくされたというのがこの事件の概要ということになります。

 

これが加計学園問題の背景にあるというのは、政府の幹部官僚の天下りというのは、文科省に限らずすべての省庁でやっていることなのに、どうして文科省官僚だけがやり玉に挙げられなくてはならないのか、という不満を文科省の現役官僚とOBたちが持っていて、この問題の処理の過程で、官邸が文科省官僚とそのOBに対して随分と冷たくてひどい対応をした、と恨んでいるということがあると思うからです。

 

マスコミや有識者たちは、「未だにこんな時代錯誤なことをやっている文科省はひどい!」と文科省1人を責めることに終始して、官僚の天下り実態がどのようなものであるのか、という点には論を及ばせませんでした。だから文科省官僚たちは、自分たちは官邸と社会全体からスケープゴートにされた、と感じたに違いないのです。そして実際、そうなのです。

 

多くの人は、官僚の天下りを批判しますが、しかし振り返って産業界や教育界をみても、どの社会でも天下りというのは一般に見受けられています。定年に近づいた大企業の幹部社員が子会社や下請け会社の幹部社員として出向し、そして定年を迎えてもそのまま役員として残るというようなことは、ごくごく一般に行われていることです。文科省の天下り問題を厳しく批判するNHKにも13の子会社と4つの関連会社がありますが、それらの会社の役員のほぼ全員はNHKからの天下りです。

 

官僚が現役期間中に受取る給与の額は、民間の同期の大企業の者のものを下回るほどでしかありませんが、定年少し前の時期から天下る先の役員として受取る年棒は高く、そして所得税率が低い退職金の額は高額です。そして多くの者が定年をはるかに超えた高齢まで役員としての待遇を受け続けることになるので、生涯所得は、同期入社の大企業社員よりはるかに高額になるという仕組みです。

 

そして、そのような仕組みが、近年なくなったわけではありません。長年にわたって予算を教育予算を減らされてきた弱小官庁である文科省が(文教予算額の推移については下記URLにグラフを載せています)、関連団体の充実を思い通り行えなくて、結果、団塊の世代以降増えた退職者の天下り先の確保に難渋して、大学教授という大学の研究者が切実に望むポストを横取りしなくてはならない情勢に追い込まれて無理をした、というのが文科省天下り問題を産んだ構造であろう、と小塩丙九郎は推測します。

 

http://www.koshiodatabank.com/101-1-16-graphs.html#item-102 

 

つまり、文科省官僚は、日本経済の発展のために必須の大学、大学院教育の充実ということについてきちんと計画的に取り組まず、産業界やあるいほ多くの国民から大学教育について高い評価を受けることなく、結果社会の有力者からの支援を得られずに公共事業予算や社会福祉予算の充実のために予算を割かれ続けたために、自らを困難な境遇に追い込んでしまったのです。だから、今回の問題は、官界全体から見れば自業自得なのですが、文科省官僚は官邸を逆恨みしたという次第です。

 

こうして、文科省は官僚の厚遇についての社会の不満のガス抜きの材料にされてしまいました。そしてマスコミも多くの有識者たちも、天下り批判が自分の身近に及ぶことを事前に防ぐことに成功したという次第です。

 

官僚の最大の目的は、自分たちの生涯所得を大きく保ち、かつ企業経営者についての優越意識を保ち、富裕な社会エリートとして生涯を終えることです。そしてそのためには、その環境を提供する現在の社会の基本構造を一切変えないでおけるように、日々の業務に賢明に取り組むのです。

 

それが、1780年に田沼意次〈たぬまおきつぐ〉がつくった官僚主導の特権商業者と連携した市場管理体制を守り続ける官僚の基本的あり様が140年間にわたって変わらないできたことの原因の説明です。

 

イギリス(当時はイングランド)で最初に発明された機械は靴下編み機で、1589年にウィリアム・リーがつくりました。リ―は、国王エリザベス1世とジェームズ1世の2人に特許を申請しようとしましたが、二人ともこれを拒絶しています。リーの靴下編み機が多くの人々から仕事を奪うということを恐れたのですが、それより王たちが脅威に感じたのは、技術革新が政治権力をも刷新するおそれがあったということなのだ、と『国家はなぜ衰退するのか』(2013年)の中でアメリカの政治学者のダロン・アセモグルらは書いています。

 

現代日本の官僚たちのマインドや考え方は、16世紀のイングランド王たちのそれから一歩も前進してはいない、ということです。彼らは、世界史の観点から見ると5世紀以上にわたる沈滞の中に留まっているのです。

 

最後に、日本の官僚が徳川時代以降ずっと、重大な歴史の転換点において、改革することについての提案を何ら行えず、それを外部の人間に丸投げにしたという歴史の例を挙げて見ます。

 

最初の例は、18世紀初頭、幕府財政が大赤字状態から抜け出せずに困窮を極めたときです。このときは、御三家の2番目の序列にあった紀州藩から徳川吉宗を招聘〈しょうへい〉して、彼の指揮に委ねています。

 

2の例は、幕末に幕府政権が崩壊の危機を迎えたとき、御三家ですらなく後三卿の一つである一橋家の当主であった慶喜〈よしのぶ〉を将軍職につけ、彼にその指揮を委ねています。

 

3の例は、太平洋戦争に負けて早急な経済復興策をつくることが必要なときに、経済官僚たちの誰ひとりとして動くことはなく、東京帝大経済学部の主流から外れたところにいた(マルクス)経済学者に復興案の策定を委ねています(もっともその案が学者の机上の空論であったことは、6月21日付ブログ『戦後復興策を書いたのはマルクス経済学官僚だった』〈下記URL〉で説明したとおりです)。あるいは戦後のハイパーインフレの収束については、結局アメリカの強権にすべての権限を委ねています。

 

http://ameblo.jp/koshioheikuroh/entry-12281826026.html

 

 こうして、日本が危機に至った時に無能と無責任を発揮し続けた日本の官僚たちは、いま日本が大経済破綻を迎えようとしているときに、そのことが起こらないような真実に反する見通しを経済学者と連携して日本国民にもたせ、自らは困難な社会・経済構造の改革にはまったく取り組まない姿勢を見せているのです。

 

これで、今回の連載、『日本の官僚が政策を改革できないワケ』を完結します。

 

この他、次回ブログでは、番外編として、文科省の官僚のあり様が、文科省官僚自身やマスコミが伝えるものとは程遠いものであるということを報告します。