厄年については、宗教や地域によっても色々な考え方があるようです。
「厄」には「苦しい、災い、節」という意味がありますので、何か悪いことが起こるのではないかと思われている方が多いのではないでしょうか。
その反対?、違う意味で「厄」は「役」に通じるといって、必ずしも「災難に遭いやすい」ことばかりが強調されてきたわけではありません。
当社では常日頃から、「結びと節目」を大切にして神様にご奉仕し、また参拝者・祈願者にお伝えさせていただいております。
季節の節目には、春祭(祈年祭)や夏祭・秋祭・新嘗祭・大祓など、祭祀・お祭りが執り行われます。季節や時間の経過と同じように、長い人生には節目があり、肉体的、社会的にも様々な変化による区切りがあります。その節目にあたり、あらかじめ心の準備をおこたらないように昔の人は「厄年」という習わしを考えたのです。
さて、厄年には厄災に遭う可能性が高いといわれていますが、なぜそのようにいわれるようになったのでしょうか。
これにも様々な理由があるようですが、大きな理由は二つあるようです。
一つ目は、厄年の年齢頃には私たちにとって人生の節目・転機となることが多いということに大きな関わりがあるようです。
「厄年」を「役年」とすると、男性の25歳や女性の19歳は大人として役目を担う中でも、役目を任されたり独り立ちする頃になります。男性の42歳や女性の33歳は判断を下さないといけない家の代表・家長となり、更に大きな役目を果たさなくてはならない時期です。
また、それぞれに結婚や出産ということを考える時期でもあったでしょう。
男女の61歳は晩年として、人を育てる役目を果たしていく時期であったはずです。
ともに大きな役目を担っていく時期であったのです。
二つ目は、そのような身の回りの生活環境が変わったり、体調に変化が起きてくる時期でもあったということです。
女性ホルモンの変化というと、女性の方は月経やお肌の調子などで日々感じられて、気をつけておられる方も多いでしょうが、男性ホルモンも変化していきます。病気というものだけでなく、ホルモンバランスの変化が知らない間に体の中で起こっています。
最近はあの時のように仕事や遊びが出来なくなった、何かが違う、というのは加齢というものとそのような身体の根本的な変化があるのですが、なかなかそのことを認められない。そんなことはありませんか??
厄年は、そんな変化の兆しがあることを知らせてくれているのです。
中には、厄年なんて関係ない、悪いことなんか起こらなかったという方もいらっしゃると思います。
中学生の時は小さかった友達が久しぶりに会ったら見上げるぐらい背が高くなっていた、同窓会に出席した際にあの人老けたな〜とか、若いな〜ということは‘あるある’ですよね。また風邪をひきやすいという人もいれば、インフルエンザの予防接種もしないし風邪なんかひきません!っていう人もいるでしょう。理由は様々ありますが、つまり身体にも個人差があるということです。
厄年は散々だったという人もいれば、何も起こらないばかりか良いことだらけだった、という人もいるでしょう。
しかし、人は生まれて、そして必ず死にます。時期は異なっても必ず変化は起こります。
厄年は厄災に遭うというよりは、そのような体調の変化や、役割を担う大切な時期ということをどんな人にでも知らせてくれる節目であり、そのことを自覚して生活しないことで、体調を壊したり仕事で失敗してしまったりと災厄に遭うということだと理解した方が良いのではないでしょうか。
厄除祈願は、そのような厄年・節目を迎えることの自覚と決意、そして神様にご奉告申し上げると共に神様のご守護を願うものです。
当社に限らず、そのような人生の節目をしっかりと刻むために、神前に進んでみてはいかがでしょうか。