平和問答編2「自由と希望を乗せて」

マルクとナタリーが壇上に立つ。二人の間にしばし沈黙が流れる。
舞台の幕が上がるのを待っているかのようだ。演劇でも始まるのかと疑いたくなるような静けさの中、ソレルは訝しげに二人を見ている。

「……うん?」

「ねぇ、マルクが喋ってくれないと私何もできないよ」

なんだと……マルクが段取りを把握してなかっただけだったのか。僕とソレルは席からずり落ちてしまった。

「アハハ!わりぃわりぃ、ソレルが怖ぇ顔で睨んでくるから内容が飛んじまったぜ」

「ソレル君は関係ないでしょ。普通に忘れたって言えばいいのに」

「えー、エッヘン。気を取り直してオレたちが考える『平和』とは『繭(まゆ)』でーす!」

「ち、違うよ!?『蛹(サナギ)』だよ!!」

なんというグダグダっぷり。ソレルが笑いを堪えている。程良い緊張感がすっかり緩んでしまった。

「あっ……そうそう。『蛹』だ『蛹』だ。まあ『繭』も似たようなもんだし大して変わりねぇよ」

「もう先生たちが飽きちゃうから私が進める。『蛹』は幼虫が新たな進化に入るため過程の一つです。そして『蛹』になるために自身の糸を身体中を覆うように巻きつけ殻に閉じこもります。私たちはこの状態を保ち続けることが『平和』を実現するための必要不可欠な手順と考えます」

「でも『蛹』は自分の意思では動けないし、逃げられないから鳥とかに襲われる危険があるんだ。一応『蛹』は自分を守るために周囲に擬態して敵に襲われないようにしてるんだぜ。あとは次の進化まで襲われないことを祈るしかないんだけど……えーと、何か質問とかある?」

マルクは突然問答を求めてきた。ソレルは忽然とした態度で指先を突きつける。

「『蛹』の中身が外から見えないということは『蛹』を国家に例えた場合、外から見るには直接割ってみるしか確認の方法がありません。それは武力による恫喝や干渉によって他国を従わせるという発想になると思います。ですが、それ以前にこの『蛹・平和』論を是とした場合、問題が二つあります。クルーデル先生はどうお考えですか?」

「二人に聞いてみたらどうだ?興味深い答えが返ってくるかもしれないな」

僕は確信した。ソレルは二人に誘導されている。マルクとナタリーはしっかり勉強してきたようだ。二人の自信に満ちた表情が物語っている。

「それでは一つ目。『蛹』は外敵から身を守るための防衛本能でもあります。しかし、外敵が襲ってこなかったとして必ずしも成虫に至るとは限りません。『蛹』は振動に弱く中身は休眠状態でありドロドロとした液体だと書物で読んだことがあります。一見、矛盾しているように見受けられますが、『平和』と密接に関係するという根拠を述べてもらいたいです」

マルクは飄々とした佇まいで鋭い眼光をソレルに向けた。

「要は『蛹』になって閉じこもっても中身が伴わなきゃ使いようにならねぇって言いてんだろ?それなら幼虫の時だって同じなんだぜ」

「……同じ?」

「幼虫も周囲に擬態するような身体の模様をしていたり、外敵が襲ってきたらツノを出したりニオイを放つ種類もいる。でも幼虫は『蛹』が持っている盾は持ってないの」

「ナタリーの説明によれば幼虫は矛を持っているが盾を持たない。『蛹』は盾を持っているが矛を持たない。二人が考える『平和』は力の正しい使い方と身を守る術を多く持つことで攻撃する側、防衛する側の均衡が保たれ、戦争抑止に繋がるというわけですか。それならもう一つ、ご説明してもらいたいことがあります――」

「なぁソレル、いつもみたいに突っかかってきていいんだぜ。そんな偉そうな口調で話されたら身体がむず痒くなっちまう」

「僕を血の気の多い野蛮人みたいに言わないでほしいね。今は問答の時間だ。クルーデル先生だってこの問答で僕たちの評価を恣意的に改竄する口実を探してるかもしれない」

解せぬ。バカ王子と一緒くたにされるのは心外だ。

「それでソレル君の二つ目の疑問って何?」

「えっ?……ああそうだ……」

ソレルが珍しく動揺している。普段マルクとナタリーに勉強を教えていたからか、立場が逆転し困惑を隠し切れなくなっている。これもまた勉強だ。いい薬になるだろう。

「二つ目は『蛹』は平和を実現するために必要不可欠な手順だと力説していました。それなら必ずしも『蛹』である必要はないと僕は考えます。幼虫の持つ矛だけでも平和は実現可能という結論に至ってしまうからです」

「チッチッチ、ソレルはとんでもない勘違いをしてるぜ」

「な、なに……!?」

「『蛹』が平和を実現するために必要不可欠な過程だとしたらそれは『仮の平和』に過ぎないってことなの。だってそうでしょ?いくら武器や盾を沢山持っていても、戦争が起きる可能性をなくすことはできないから。だから私たちは『蛹』が外からの脅威に逃れて、『蝶』へと進化して自由に空を羽ばたくことができたなら、それを『真の平和』として位置づけてもいいんじゃないかって考えたの」

「『仮の平和』から『真の平和』へと進化するだって?幼虫、蛹、成虫の手順を踏むことで平和を実現するための手段を模索し激しい生存競争を生き抜く術を会得する。そして自由と希望を翅に乗せ、蝶は『真の平和』を新天地に求める。それはまさに昨今の人類にも言えること――」

ソレルはうつ向き考え込んでしまった。頭の中は容易に想像できる。恒星の周りをグルグル回転する惑星のようになっているに違いない。

「問答はこれぐらいで十分だろう。それじゃあ僕から総評を述べさせてもらうとしよう」

僕は教壇に戻り、三人は席に着いた。

「まずソレルが提示した『家・平和論』とマルクとナタリーが提示した『蛹・平和論』には共通する点がある。それはどちらも外部の脅威から身を守る手段や方法を用いる点、そして内外の干渉を受けず姿形が保全された状態を維持できれば『平和』であるという点だ。『家』が頑強であれば砦にもなるし簡単には破壊されない。防犯機能も兼ねれば隣人トラブルの抑止にもなる。『蛹』なら相手に危害を加えることはできないから、火種を撒くことはない。ただ蛹のままでは非常に不安定であるから安全な場所で羽化できなければ、平和そのものを容易く破壊される可能性があるのは否めない。次に二つの論の違いは『家・平和論』が平和を実現するための手段と方法を述べているのに対して、『蛹・平和論』は平和を実現するための手順を重視していることだ。差異こそあれど方向性は概ね一致している。三人とも良く勉強してきた。僕から教えられることはもうないか」

三人は納得していない。でもいい表情だ。知的好奇心を掻き立てられている、そんな顔つきだ。

「クルーデル先生は起承転結の意味を履き違えてます。僕の性格を嫌ってほど知り尽くした君なら僕の言いたいことがわかるだろう、マルク?」

「『次に』が来たら『最後に』があるはずだよな?ナタリーに聞かなくても、先生と同じメガラ人のオレなら最初からわかってたぜ」

「でも私たちに『次』はないんだよ。だって今日がみんなが揃う『最後』の授業だから――」