おまけ「外の平等、内の不平等」


今日は姫様に講義をしなければならないのだが、敷地内に足を踏み入れるといつもと違う雰囲気を感じ取った。

景観が変わったのかと思って細部まで見渡すが、特に気になるような変化はないようだ。花壇の手入れはいき届いていて、噴水の水は底が見えるぐらいの清らさが保たれている。花壇も噴水も使用人の抜かりのない働きによって精錬されており、見るもの全てに安らぎを与えてくれるようだ。

 

「姫様、おはようございます――なっ!?」

 

僕は姫様のいる部屋の扉を開けると度肝を抜かれた。

 

「クルーデル先生、おはようございます。びっくりさせちゃってごめんなさい。どうしてあたしがこんな所にいるのか不思議に思ってるんだよね?」

 

そりゃ思うだろ。教え子のナタリー・フィリーヌが姫様の部屋にいるなんて想像できるはずがない。

まさに風雲急を告げる。

関係者以外の人間を王宮内に立ち入らせるなんて警備はどうなっているんだ?姫様の身に危険が及んだら誰が責任を負うんだ?バカ王子か?

 

「早くお座りなさい。ワタクシが訳あってナタリーを招待したのです。前もってレノに伝えなかったのは申し訳なかったと反省しています。ですが、伝えたとしても反対されたでしょう?」

 

「教師という立場を鑑みれば建前であっても反対します。姫様と教え子は同列に語ることはできませんし、王宮内に関係者ではない人間を立ち入らせたとなれば王族の権威を失墜させることにもなりかねません。ご自身の立場を考えて私情に左右されるような言動は慎むべきと僕なら警告します」

 

「胸に深く刻み込んでおきますわ。それとナタリーを招待した理由なのですが、レノの教師としての働きを知るため話を伺いたかったのです。ワタクシとしてもレノの資質や人物像を知るには教え子の方に直接聞くほうが有益だと思いました。そのためにお呼び出しして……」

 

何度も?聞き間違いじゃないよな?

姫様の声が遠くなっていく……目眩もしてきた。

 

「クルーデル先生の顔が真っ白になっちゃった!?」

 

ナタリーが手を口に当てて驚いてる。姫様は素っ頓狂な顔で僕の顔をのぞきこんだ。

 

「ランシア様の家庭教師がクルーデル先生だったなんて凄いです!」

 

「ナタリー、その呼び方はよろしくないと言いましたわ。様を付けて呼ばれて喜ぶのは器の小さい貴族だけです。ワタクシには重苦しいだけですのに」

 

「歳は同じでも姫様の名前で呼ぶなんて、メガラ人とトリスタ人のハーフで平民のあたしなんかでも罰せられたりしないのかな?」

 

「名前を呼んだくらいで罰しようなんて時代錯誤も甚だしいですわ。昨今は『平等』が商人や平民の間でも叫ばれる時代です。身分や人種で棲み分けしようなら身分議会も黙っているはずがありません」

 

平等か。姫様は自らを反面教師にして僕に矛盾点を指摘させようと仕向けているのだろう。いや、もしかして本当に気づいてないのかもしれない。

 

「レノ、ワタクシが間違っていると言うのなら、いつまでも寝てないであなたの得意な説法でワタクシたちを説き伏せてみなさい!さあ!さあ!」

 

姫様は僕を嘲笑うかのように小躍りしている。

 

「未だに王族、貴族、商人、平民などと区分されている以上、今日の王国を一般論としての『平等』と呼ぶのはいささか不自然と言わざるを得ません」

 

ナタリーが耳を尖らせ首をひねる。

 

「産まれたときに身分が決まってしまうから、正しい意味での『平等』とは言えないのはあたしでもわかるよ。でもクルーデル先生が考える『平等』は普通の人の『平等』とは違うのかな?」

 

乙女たちの会話を端から見ていると、僕が二人に下劣なことを吹き込むふしだら男みたいじゃないか。

使用人がいつ来てもいいように態度だけは崩さないようにしないと。

 

「国民が究極的な『平等』を突き詰めれば突き詰めるほど歪で凸凹とした『不平等』が生まれます。例えばお酒やタバコを子供が接種すると将来身体に大きな影響を及ぼすと分かれば、年齢によって制約を設けることで青少年の健康を守り健全な育成環境を保全することができる。このような『不平等』のことを合理的差別なんて言ったりします。但し、合理的差別は『不平等』の一部であっても社会に馴染んだ合理的差別は『不平等』に含まれない場合があることに注意が必要です」

 

「屁理屈ですわ。大人の勝手な事情で子供たちを縛ろうなんて、合理的だとしても差別は差別です」

 

「ランシア様……じゃなかった。ランシアの気持ちもわかる気がする。あたしたちだったら年齢関係なく中身で判断してほしいって思うから」

 

「年齢によって規制がかけられているのは婚姻年齢、選挙権と被選挙権、働くことのできる年齢などのその他諸々あったりしますが――」

 

「何なんですか一体!?全部子供の権利を縛るものばかりではないですか!」

 

「う~ん、クルーデル先生なら子供だからこそ得することもあるって言いたいんだよね?」

 

ナタリーはホント物分かりがいい子だなぁ。

 

「子供が得するかどうかは分からないけど、一定の年齢まで刑事裁判にかけられない法律や死刑を執行できない年齢を定めた少年法などが挙げられる」

 

「何なんですか一体!?まるで子供たちが罪を侵すこと前提ではないですか!」

 

異常なほどの感情表現で喚く姫様は見るに堪えない。今日の姫様は僕を殺しにかかっているようだ。

 

「確かに法律の観点から見れば子供を大人たちの思惑で制限しているようにも見受けられます。しかし、現実では交通機関の利用する際大人より割安になったり、子供がいる家庭に給付金を支給する制度などがあります。更に学業で支援を受けられる奨学金や税金の優遇を受けられる猶予制度など様々な恩恵がありますよ」

 

「それもそうですね。一概に差別だの『不平等』と一括りにするのは早合点というものですわ」

 

どうしてナタリーに怒ってるんだ?姫様は情緒不安定なのか?

 

「そしてそれは子供だけでなく大人にも言えることです」

 

「大人なのに『平等』ではないもの?あたしには思いつかないなぁ」

 

「ナタリーには難しいでしょう。ワタクシならわかりますわ。王族と貴族には爵位や財産の世襲が認められています。ですが商人や平民は爵位や世襲とは無関係でしょう。身分によって予め決められているのです!そうでしょう!」

 

「違います。姫様の答えは合理的差別であって『不平等』ではありません。そもそも身分による封建的特権は王国が誕生した時から存在するものです。爵位や世襲は国民に周知されていて、法律にも定められているのならそれは既に『不平等』の域から外れています。もし国民が『不平等』だと実感しているのなら、選挙を通して議会に訴えかけ法律を変えれば良いのです」

 

姫様は唇を震わせ今にも泣き出しそうだ。どうしてこんなにも感情が不安定なんだろうか?

ナタリーがソワソワしだす。

 

「で、でもランシアの言いたいことはわかるよ。なんて言ったらいいかわからないけど、爵位とか世襲っていうのは多分いい事だらけとは限らないし、その人にしかわからない責任感みたいなものもあるはずだから自由に生きている商人や平民に比べて『不平等』な部分もあるんじゃないかなってことだよね?」

 

ナタリーの模範解答には、もやは手を加える必要もない。姫様は素晴らしい友人を持ったようだ。

何故か長年家庭教師を勤めたポンテさんの気持ちになってしまった。

 

「それでは最後に僕が大人だからこそ感じる『不平等』を述べます。それは『一票』です」

 

「えっ……?」

 

「一票というのは選挙ですわ。ワタクシたちには投票権がありませんから、実情に疎いのは当然です。レノならわかりやすく説明してくれるでしょう」

 

恐い。急に姫様が素直になった。晴天の霹靂にならなければいいが……。

 

「代議士を選ぶためには有権者が票を投じなければいけません。そして有効投票数のうち当選するために必要な票を獲得すれば、代議士として身分議会に法案を提出する資格を得ることになります」

 

「法案の是非を問うのも『一票』が不可欠ですわ。裁決という過程を経なければ民主主義とは言えませんもの」

 

「現実の問題としての我が国では小選挙区制を採用しております。決められた選挙区から代議士を一人選ぶ方式です。そして注目すべき点が『一票の価値』」

 

ナタリーが固唾を呑んで見守る。姫様は真剣な表情で僕の瞳を覗き込む。

 

「例えば一方の選挙区の投票権を持つ人が千人とします。他方の選挙区の投票権を持つ人が一万人いるとします。どの選挙区も半分の票を取れれば代議士になれるとすれば……?」

 

「半分だから五百票と五千票を獲得できればいいんだね」

 

「選挙の原則は多数決ですわ。過半数を占めていれば当選するのはワタクシやナタリーでもわかります」

 

「ですが一方が五百票で当選できるのに、他方は五千票を獲得しなければ当選できないとなると『不平等』だと思いません?」

 

「ほ、本当だ!?十倍も違う!?」

 

「『一票の格差』と言いたいのでしょう。ですが格差が問題だと言うのなら裁判所に訴えれば良いのでは?」

 

「裁判所が選挙を憲法違反として無効と判断すれば選挙はやり直しになります。そして肝心なのが裁判所と議会の関係です。我が国には三権分立によってお互いの権力の暴走を抑止し、監視し合っています」

 

「立法権、行政権、司法権だよね」

 

「立法権は議会、司法権が裁判所ですわ。王立中等教育学校の生徒なら知ってて当然でしょう」

 

「しかし、のが、この問題の肝なのです」

 

「『一票の価値』が『平等』じゃなくても選挙はやり直しにならない?」

 

「何故です?格差が起きている以上、選挙をやり直すのが正しい民主主義なのではないのですか?」

 

「それがそうとも言えないんです。お互いの権力を抑止しし合うということは、積極的に介入することを控えるとも言い換えられるんですよ。裁判所が選挙を無効にすると議会は機能不全に陥ります。しかも再選挙となると税金が使われ国民に負担が大きくのしかかることにもなります。なので裁判所は『一票の格差』による憲法違反を認めつつも選挙は有効であると判断を下すのです。そして政府に対して早急に対策するよう促し、格差是正の取り組みをさせることで積極的介入を控えることができるのです」

 

「裁判所がおかしいよって指摘することで、国の間違いを正すために働きかけていたんだね」

 

「何度も選挙をやり直すことは民意を反映しやすくなる反面、国民に重い負担をかけてしまう結果を招いてしまうのですね。国政が滞ってしまうのも好ましくありませんもの」

 

「人口の変動や環境要因によって選挙区内の当選に必要な獲得票数は上下します。微々たるものであれば格差は許容できますが、『一票の価値』が二倍を超えてしまうと、もはや政府の怠慢と言わざるを得ません。逆に『一票の価値』が他の選挙区と比べということでもあるのです。一見『不平等』と思われるものでも、一票そのものは国民に付与されます。表面上は『平等』でも内側を覗けば『不平等』でもある。それが大人になって痛感する抗うことのできない『一票』という名の『不平等』なのです」

 

姫様とナタリーは相槌を打つと沈黙してまった。テーマが難しかったかもしれない。わかりやすくしようとすればするほど、言葉が難解になってしまう。僕の悪い癖だ。

 

「レノ、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」

 

姫様が静寂を破った。

 

「ずっと気になっていたのですが、どうしてレノはワタクシとナタリーとでは説明口調が変わるのですか?」

 

……えっ?

 

「嫌と言うわけではないのですが、ナタリーには飾り気なく接するのにワタクシとは一定の距離を取ろうとしているようで気持ちが揺らいでしまうのです」

 

「もしかしてランシアの機嫌が天気のようにコロコロ変わってたのって、あたしに嫉妬してたから?」

 

「そ、そ、そんなわけありませんわ!ワタクシとレノは王族と家庭教師の身!そう、天と地ほどの差があります!レノの教え子に嫉妬なんてするわけありません!」

 

妬いてたのか、姫様は。心の内が見れてちょっとホッとした。

 

「ですがレノがワタクシとナタリーを区別していたのは事実。これは……合理的差別ですわ!」

 

「ぐっ……面目ございません」

 

そこにあろうことか名物王子が転がり込んできた。

 

「やあ、レノ。今日はランシアだけでなくキュートな教え子まで抱き合わせて授業を行うとは、終わった後は両手に花を添えて王宮デートでもしちゃうのかな?」

 

「うっ、ガレス。不埒な王子め、何しに来た!?」

 

「人によって態度を変えるゥー!それって愛情?それとも合理的差別ゥー?」

 

人を指さしながら身体をクネクネさせるな!バカ王子!

ガレスの強烈な個性を目の当たりにしたナタリーは冷ややかな視線を僕にも浴びせた。何故だ……?