最終話「わかりやすく、正確に、想いをこめて」


教師として三ヶ月が経ちハイデリンでの独り暮らしに慣れたのも束の間、それは突然の急報だった。母さんが僕の元にやって来るというのだ。胸騒ぎにいてもたってもいられず、ガレスに仔細を問い質す。

ガレスの口から語られたのは思いもよらぬ言葉だった。

 

「キミのお義母様がね、ランシアの家庭教師としてレノが任命されたことを快く思ってないらしい。ついさっき知り合いの代議士を通じて問い合わせがあったんだ。キミに会わせろと物凄い剣幕で罵倒し、代議士を尻込みさせたと役人たちの間では評判になってるよ」

 

「それで母さんは今どこに?」

 

「ミグレッタの仲介でディクレアート家の屋敷に匿われてる……匿うって何だか指名手配犯みたいだね。貴婦人を冒涜しているみたいで心が痛んでしまう」

 

ガレスは胸を抑えて慈悲の心を示そうとしているが、どこまでも自己愛の強い人なんだ。

 

「どうしてミグレッタが?」

 

「驚かないでくれよ?キミの育ての母であるヨハンナはミグレッタの教育係だったんだ。それにハイデリンでも著名な教育者でね、大貴族御用達の家庭教師として名を馳せていたんだよ」

 

「ハイデリンで教師をしてたのは知ってる――」

 

以前ミグレッタの過去について耳にしていたことをふと思い出した。

ミグレッタの家庭教師って母さんだったのか。だけど気になることがある。

僕には確かめなければいけないことがあるようだ。

ガレスが用意した馬車に乗り、母の元に向かう。

ディクレアート家の屋敷についた僕たちは守衛に出迎えられ、手荷物の検査だけで中に入ることができた。

 

「やぁ、ミグレッタ。ボクの親愛なる友人レノを連れてきたよ。それとお初にお目にかかります、ヨハンナ・クルーデル夫人」

 

大理石でできたテーブルには母さんが座っている。ミグレッタが椅子に座るよう目配せした。

空気が張り詰め、僕から思考する力を奪っていく。母さんの威厳に打ちのめされそうになる。

 

「ガレス・プロシアデス様でございますね?息子が常々お世話になっているようで、王族の方々のご迷惑になっていないかと気が休まらない日々を送っておりました」

 

母さんは立ち上がり深々と頭を下げた。これが長年積み上げてきた経験と豪胆さ。王国に対する忠誠心と王族や貴族を相手にしても物怖じしない精神力。僕はこんな偉大な人から多くのものを与えられていたんだと改めて実感した。

 

「息子がランシア王女の教育係をしていると風の便りに聞きました。これは私なりの持論になりますが、あまりにも重すぎる大役は国益に沿うと到底思えません。今すぐレノ・クルーデルの教育係の任を解くべきです」

 

ガレスは苦笑いを浮かべながらミグレッタに助けを求める。

 

「あなたには感謝している。過去に教育係として残した、あなたの功績があったからこそ今の自分があることを。そしてレノはそんな意固地になっていた自分を認めてくれた唯一の存在。だからこそあなたのようなわからず屋にレノを渡すつもりはない!今すぐ故郷へお引き取り願おう!」

 

滅多に感情を表に出さないミグレッタがいつになく怒りを剥き出しにしている。

驚く反面、何故だか嬉しさが込み上げてきた。

 

「私が過去にあなたを突き放したことを根に持っているようですね。そんなあなたがどうして私を庇護しようとしたのかは分かりかねますが――」

 

「庇護したつもりはない。しかし、これ以上あなたが騒ぎ立てれば親衛隊だけでなく姫様の立場も危うくなるのだ。王国の威光を貶めようというのなら私としても手段を選ばない」

 

「軟禁してでも翻意させようというのですね、ミグレッタ・ディクレアート?」

 

ガレスが天井を眺めながら頭を掻いている。

 

「これならどうでしょう?クルーデル夫人が首を縦に振ってさえくれれば、レノの教育者としての地位を我々親衛隊が保障します。そうなれば育ての親としてクルーデル夫人に箔がつきます。姫の教育者に心血を注いだ先駆者として国中に名を轟かせること間違いない。クルーデル家にとって悪い話ではないのでは?」

 

「ガレス王子、あなたほどの高位な人物が名誉や誇りを餌に私をたぶらかそうとは身の程を知りなさい。例えあなた方が息子を擁護しようと承服することはあり得ません。教師としての責務を全うできないのであれば、息子を連れてメヌエに帰らせて頂きます」

 

話が進まない。やはり僕自身が母さんと向き合わないと解決することはないようだ。

 

「僕はここに残る。母さんの気持ちもわかるけど、姫様やミグレッタ、ガレスの役に立ちたいんだ。まだまだ未熟なのは僕が一番理解している。でもみんなの気持ちは裏切れない。それが僕の本心だ」

 

「あなたはメガラ人でありながら国教信徒エルミオンでもある。でもそれはあなたの父が兵士だったから改宗したのでしょう。メガラ人は元来反国教信徒サレミオンなのよ。それに平民風情が王族に取りつこうなどと穢らわしいとは思わないの?」

 

「思わないよ。僕は誇りにさえ思ってる。育ての親が母さんであることも、兵士だった父の下に生まれてきたことも。教え子に恵まれたことも、全部誇りだ」

 

「あなたは私に反抗するのね。私という恩人とも言える存在に対して『革命』を起こした英雄にでもなったつもり?意味も理解せず、楯突いて、育ての親を蟻地獄へと突き落とす。それがあなたの信条なのね」

 

「『革命』なんて、その時の『空気』によって結末が変わるんだよ。母さん」

 

「そこまで言うのなら説明してご覧なさい。あなたがこの三ヶ月で築き上げた成果を披露してみなさい」

 

挑発だとしても黙ってはいられない。母さんに認めてもらうための最後のチャンスだ。

みんなの想いのためにも絶対に認めさせてやる。

 

「『空気』は酸素、二酸化炭素、窒素の他いくつもの元素によって空気中を漂っている。酸素は地球を住処とする者にとってはなくてならず、二酸化炭素は植物にとっての『呼吸』に相当するもの。すなわち『空気』は持ちつ持たれつの関係にあるとも言える」

 

母さんの反応は薄い。目を瞑ったまま聞き耳を立てている。

 

「『革命』は民族、宗教、身分などを主とした対立が火種となり国家に対する要求がエスカレートし、政権崩壊や国家転覆を招く結果となる」

 

「教科書通りの説明ね、続けなさい」

 

「酸素を政権派、炭素を反政権派とした場合、反政府が勢いをつけ摩擦を起こせばいつ火がついてもおかしくない。政府への不満は火種を生み、説明責任が果たされなければ政権打倒へと動き出す。前提となる民主的手続きが機能不全に陥ればなおさら『革命』の機運は高まる」

 

「だから?」

 

「政府は国民の不満という名のを抜くため国外に不満を向けさせる。敵対している国家を名指しし、不満の原因が国外にあると声高に叫ぶ。国民感情を煽り不満が頂点に達すると『戦争』へと姿を一変させる」

 

「『戦争』の話なんて聞いていませんよ?論点をずらすなんて教師として失格ね」

 

「『戦争』も上手くことが運んでいくとは限らない。戦況が悪化すれば政府は八方塞がりになる。国民が暴徒化し政権が倒されれば新たな政権が生まれる。それが民主的な政権か、独裁色の濃い政権かは国民に根差した国家観によって決する」

 

「もう終わり?」

 

「――ずっと母さんは心の底から僕のこと理解してくれていると思っていたんだ。でも間違ってたよ」

 

「私は子供を授からなかった。それにあなたは兵士になるのを拒んだ。だから私はあなたを自分の子のように、立派な教師にしようと手塩にかけて育ててきたのよ」

 

ミグレッタが咳払いをする。母さんの視線が僕から離れた。

 

「窒素は穏健派といったところか。これなら地球上を循環することが現状変更を好まない窒素の性質だと考えれば腑に落ちる。穏健派と政権派は長いものに巻かれる者たちの集まりだからな」

 

「な、何ですか急に!?知ったような口を――」

 

ミグレッタに面食らった母さんはガレスにも追い討ちをかけられる。

 

「二酸化炭素やアルゴンは無党派かな?彼らは自分たちの利益にならないと見なしたら立場をコロコロ変えたり、非難の矛先を向けられそうになると存在感を消せるからね」

 

「あ……あなたまで一体なんのつもり!?」

 

「まだわからないの?今まで母さんが僕に与えてきてくれたものじゃないか!」

 

「!!」

 

「『あなたがすべきことは学んだことを反芻し、それをわかりやすく、正確に、想いをこめて伝える』。母さんが教えてくれたんだよ。勉強は自分のためだけじゃない。周りの人間のためでもあるって。ノートを写すことに集中するな、時間を無駄に積み上げるな、これ全部母さんが教えてくれたんだ」

 

「わ、私は……あなたのために人生を捧げて……」

 

「違うよ。母さんはこれから自分のために人生を使うんだよ。僕はもう一人じゃないから。母さんの言葉があればみんなが助けてくれるんだ……だから……もういいんだ」

 

肩に力が入っていたのか、額から雫が滴り落ちる。

自分がどんな表情をしているのか分からない。頭の中はぐちゃぐちゃ。目頭が熱く、不思議な感覚だ。

 

「泣いているのか?レノ?」

 

ミグレッタが頬を擦る。

 

「えっ……?」

 

「ボクはやっぱりキミの人となりが好きだ。ロマンチストな部分に惹かれるよ」

 

ガレスが優しく微笑む。

僕は必至に涙を拭った。恥ずかしさはある。でも自分の想いは吐き出せた。

 

「そうですか……あなたは既に『空気』の一部なのね、私もそう」

 

「えっ……?」

 

「でも漂い続けてるだけでは、ただの『空気』で終わってしまう。あなたの成すべきことは『空気』を教え子たちに正しく教授し、教え子たちからも理解した証を書き留めさせるのです。それが私たちが生きるために必要な『呼吸』なのだから」

 

「それって……?」

 

「私はメヌエに帰ります、夫が帰りを待っていますので。あなたはランシア・プロシアデス様が一人の女性として自立するまで、身を粉にしてでも尽くしなさい。魔が差したりでもして『革命』なんて起こしてみなさい。故郷の地を二度と踏ませませんから」

 

「母さん……!」

 

「それと餞別としてレノに教えなければなりません。あなた、ランシア王女に『歴史』とは何かを説いたそうね?」

 

「一言一句覚えられるまで母さんの寝室に入って聞き出したくらいだからね。誰かに話したくなるぐらい好きなんだ」

 

「『歴史』を『糸』で表現した話を私が教えたのは言うまでもないわね。でも『糸』が束ねられて『絆』になる話をしたのは――あなたの生みの親であるフランソワ・クルーデルよ」

 

「!?」

 

「親子は似るのね。『絆』を大切にするクルーデル親子らしい。級友としても一人の友人としても素晴らしい人格者だった。欠けがえのない私の理解者――あなたにもたくさんいるのね」

 

「そうなんだ……僕が母さんたちから教わったのは友情で結ばれた『絆』思い出だったんだ……」

 

「さようなら、レノ。今度から私にも手紙を寄越しなさい。あなたの近況を知るのも親としての務めですから」

 

「わかった。ありがとう、母さん。それと謝らなければならないことがあるんだ。あの時見送りに来てくれたのに、母さんたちの気持ちも知らずに酷いことばかり言ってごめん。父さんにも伝えて下さい」

 

ガレスが馬車で母さんを送迎してくれた。僕も帰ろうと思ったが、ミグレッタに引き留められた。

夕陽が沈む。辺りが静けさに包まれる。

ミグレッタがハーブティーを注いでいる。香りが屋敷中に充満し頭がぼんやりとしてきた。

 

「騒々しい一日だったな。疲れただろ?」

 

「ミグレッタには感謝しないと。色々と迷惑かけちゃったから」

 

「迷惑などと思ったことはない。あれは私の本心だ」

 

「そうなんだ……えっ?」

 

「親衛隊はランシアを支えるための組織だ。レノには今後より一層、親衛隊の手足として働いてもらうぞ」

 

なんだ、そういう意味か。僕が勝手にフラれたみたいになってしまった。

 

「どうした?恋の相談ならいつでも聞くよー?」

 

「うげっ!?ガレス、いつからいたんだ?」

 

「今帰って来たばかりだよ。それよりランシアが屋敷ここに来てるんだ。ミグレッタとレノなら歓迎してくれると思って呼んで来たゾ?」

 

姫様が来てるのか?嫌な予感しかしない。

 

「――ミグレッタ!説明しなさい!レノを婿に迎えようとは本気なの!?」

 

「ランシア、落ち着いてくれ。一体何の話だ?」

 

「いやぁ、ミグレッタが『レノを渡さない』とか言ってたから、そのままランシアに伝えたら誤解しちゃったみたいで。テヘヘ」

 

テヘヘじゃないよ……。

どうすんだよこの状況……。

この人たち、本当に大丈夫なのか?

将来が不安になってきた。

ああ、故郷が懐かしいなぁ……。