第六話「武器とお金」


教師二日目。

教室に入るとマルクとナタリーがいた。

 

「結局二人しか来ないってことか」

 

まあいい。一人だろうが百人だろうが教え子にはかわりない。普段通りにやろう。まともに授業してないけど。

 

「じゃあ先生、今日は――」

 

「マルク!挨拶が先!おはようございます、クルーデル先生」

 

ナタリーはマルクに手を焼いているようだ。一介の教師が二人の関係性についてとやかく口出しすることはない。

僕は二人のやり取りにむず痒くなった。

 

「ナタリーは先生に聞きたかったことがあんだろ?」

 

「えっ、でも先生の授業の邪魔になっちゃうかもしれないから終わった後でも」

 

ナタリーからの質問なら真っ正面から受けなければ教師失格だ。

 

「個人的な質問じゃなければ構わないよ」

 

「へへっ、それでこそレノ・クルーデル大先生だぜ」

 

「じゃ、じゃあ先生にとって『戦争』とは何か聞いてもいい?」

 

うっ……。

頭が……。

 

「先生!?どうしたんだ!?」

 

「顔色が真っ青だよ!?マルク、誰か呼びに行こう!」

 

「い、いや大丈夫だ。前世が兵士だった頃のことを思い出して発作が出たんだ」

 

「……あのさぁ、先生。オレたち真面目に聞いてるんだぜ?」

 

「冗談だったの?良かった、先生の気を悪くしちゃったわけじゃないんだね」

 

ナタリーに笑ってもらうつもりが、おかしな空気になってしまった。ぼくには教師に必要な滑稽さが欠けていたらしい。

だがマルク、お前の人を嘲笑う顔だけは忘れないからな!

『戦争』は『現代史』を教える教師として避けては通れない。真っ向から教え子たちにぶつかるしかない。

 

「えー、ゴホン。ナタリーの質問に答えようか。『戦争』に必要なのは二つ。『天秤』と『磁石』だ」

 

「全然わかんねぇ、ナタリーはわかるか?」

 

「う~ん、昨日の先生の説明からしてイメージはできるけど、二つもあるんだ……」

 

「まずは『天秤』。『戦争』が起きる原因の一つとして軍事力、経済力の差が挙げられる。この差が広がれば広がるほど戦争になる確率が上がると仮定して話をしよう」

 

「軍事力って喧嘩が強いってことでいいのか?」

 

「経済力はお金持ちかどうかってことよね?」

 

「軍事力と経済力のイメージは二人に任せる。『天秤』は両端の皿に質量のあるものを載せることで物体の質量の差を測ることのできる器具だ。そして片方に軍事力を、もう片方には経済力を置くとする。どちらか一方の傾きが極端に大きいと戦争になる確率が上がっていくんだ」

 

「じゃあ軍事力の方がと『戦争』になるってこと?先生はオレたちを馬鹿にし過ぎだぜ」

 

「マルクは軍事力しか見てない。経済力も目を瞑っちゃ駄目ってことね」

 

「マルクの喧嘩の強さも大切な情報だが、ナタリーの目線が『戦争』を知るヒントになってるんだ。軍事力だけ強力でも、それを維持するためには莫大な経済力が必要になる。つまりお金がなければ武器を買ったり、新しい武器を作ることができないってことだ」

 

「お金さえあれば喧嘩が強くなくてもいいってことか?それじゃあ舐められるぜ?」

 

「そうね。お金のある国に侵略して『戦争』を起こすなんてこともあり得るかも」

 

「『天秤』が一定に保たれれば周りの国が警戒するほどの軍事力を持つ必要性はない。そして一国でも自立できる経済力を持っていれば国民は政府を信頼し、政府も国民を守ろうという互恵関係が築ける。こういった国は攻めにくいし攻めようとも思われにくい。むしろ良好な関係を築きたいと申し出てくる国家が出てくるかもしれない。そうなれば国家同士の結びつきも生まれ、より平和で安定した世界に繋がるんだ」

 

「先生は国同士の力の部分しか見てないぞ。民族対立とか宗教紛争とか『戦争』の原因は他にもあるじゃんか」

 

「マルクの言うとおりだと思う。権力で国民を弾圧する独裁者が周辺の国を脅かすことだってあるし、民族同士の対立を煽る人たちもいるよね」

 

「二人は忘れてないか?『磁石』がもう一つのポイントだ」

 

「『磁石』は引っ張ったり離れたりするアレだろ?」

 

「くっついたり離れたりするのは国ってことよね?どういうこと?」

 

「人間は好きな人と一緒にいたいと思う反面、苦手な人を遠ざけたいと思う身勝手な生き物だ。これは国家にも言えることで宗教が同じだから仲良くしたいと思う国があれば、あの国には嫌いな民族がたくさんいるから仲良くしたくないと考える国はある。二人だってそういう人が一人や二人はいるだろう?」

 

「まぁそりゃいるけどさ」

 

「宗教が違くても同じ民族なら仲良くなれたり、同じ宗教でも民族が違うから喧嘩しちゃうこともあるね」

 

「国家にも言えることで仲良し国家と軍事力でお互いの領土を守る約束を結ぶことを『同盟』。そして多種多様の国家と同じ目的を持ち、協力関係を結ぶことを『安全保障』と呼ぶんだ。『磁石』の引きつける性質にあたる」

 

「なら嫌いな国を遠ざけるのは『磁石』の反発する力が働いているってことか?」

 

「先生、嫌われた国はずっとひとりぼっちになるの?なんだか可哀想」

 

「そうとも言えない。嫌われた国は一つとは限らないから、嫌われたもの同士で結びつくことがある。そうすれば二つの対立構造が形作られるんだよ」

 

「好きもの同士と嫌われもの同士の二大陣営か。なんか映画みてぇだな」

 

「先生、もう一つわからないことがあるの。二つの陣営がぶつかって『戦争』になったら世界中が大きな戦争に巻き込まれるじゃないの?」

 

「ナタリーは最初にした話、忘れちゃった?」

 

「ああそうか!『天秤』にかければいいんだ!」

 

「『天秤』に好きもの同士、嫌われもの同士を載せてみるってことよね?」

 

「軍事力と経済力が安定すれば『戦争』が起きにくくなる。それなら好きもの同士の国力と嫌われもの同士の国力を載せて『天秤』を釣り合わせればいい。この釣り合った状況を『勢力均衡』と呼ぶんだ。但し『天秤』はいつ均衡が崩れてもおかしくない。外か内から刺激を与えれば当然、衝突は生まれる。そのことを権力者たちは念頭に入れ国家運営の舵を取り、国家間の均衡を保たなければいけないんだ」

 

「孤独だと誰かに虐められるかもしれない。でも相手を好きになれなきゃ『同盟』って結べないしなぁ」

 

「嫌われものでもいいじゃない。みんなの力が合わさればどんな敵がきても怖くない。必ず助けに来てくれる。そうでしょ、マルク?」

 

なるほど。マルクは虐められていたナタリーを助けたのか。二人が親友になった経緯はわからないが、なんとなくそんな気がした。

 

「本来なら『勢力均衡』は『戦争』を回避する選択肢になり得ない。何故なら『勢力均衡』は『戦争』を前提とした一つの安全保障政策でしかないからだ。軍事力がなければ『戦争』は起きない。しかし、軍事力がなければ国民を守れない。だから経済力と軍事力はなくてはならないし、平和を語る上ではどちらかが欠けていてはいけないんだ」

 

「お金と武器は人間にとって必要ってことはオレでもわかるぜ。でも争いに利用されるならゴメンだな」

 

「そうね。大人が一生懸命働いて稼いだお金を『戦争』に使われるって、やっぱりおかしいよ」

 

「政府が国民に理想を語り、国民は政府に現実を突きつける。いつの時代も変わらない。『戦争』の根源は一つ一つ取り除いていくしかない。そのために政府が平和のための努力をして、国民は『戦争』を知る努力をしなくてはいけない。知らんぷりをすれば自分自身に苦しみや痛みとなって返ってくることをマルクとナタリーには覚えておいてほしい」

 

僕は授業に切り替えようと教科書を開いた。

 

「あっ、先生!オレ用事を思い出したから帰るぜ!ナタリー、行くぞ!」

 

「せ、先生……ごめんなさい!」

 

二人は僕を置いてきぼりにして帰っていった。

 

「クルーデル先生、お見事!」

 

聞き覚えのある声……げっ!?

 

「教鞭に立つ姿が様になっている。緊張や不安があるようにも見えない。及第点と言ったところか」

 

ガレスにミグレッタ……いつから教室にいたんだ?

奥の席に座って授業風景を評価していたのか。油断ならないな、この二人は。

 

「何で教室にボクたちがいるんだって顔してるね。理由知りたい?ヌフフ、教えなーい」

 

「様子を伺うついでに連絡事項がある。レノ・クルーデル親衛隊教務部長の『現代史』を選択した生徒はだ」

 

三人?

聞き間違いじゃないのか?

 

「ランシアの家庭教師だけでも大変なのに、クラスを受け持つなら人数を絞った方がいいと思ってミグレッタが提案してくれたんだよねぇ?」

 

「我々としても配慮したつもりだったが、マルク・リンドブルムとナタリー・フィリーヌの様子を見て安心した。レノ・クルーデルには役不足のようだな」

 

「今、三人って言った?もう一人来てないんだ」

 

ガレスはチラッとミグレッタを見る。

 

「あはは、あの子はしょうがないよねぇ。ボクたちも手を焼いちゃうぐらいだから、あとは任せるよ、クルーデル先生!」

 

ミグレッタは溜め息をつき立ち上がった。

 

「すまないが、もう一人の生徒について話すことはない。明日、必ず出席するように伝えておく。以上だ」

 

ガレスとミグレッタが出ていく。

僕は黒板が真っ白になるまで二人の似顔絵を書いて時間を潰した。