第五話「王立中等教育学校」


遂にこの日がきた。僕の教師人生の第一歩がここから始まるのだ。心臓の鼓動が一段と速くなる。不安や焦燥は今だけ。日常に慣れてしまえば、どんな雑務も苦に感じなくなるはずだ。

王立中等教育学校はハイデリンで唯一の進学校だ。受験に合格した十才から十五才までの子供たちが通っている。王族や貴族の子供が大多数を占めているが、近年商人や平民の競争力向上に伴い、エリートへの道は狭き門となっている。

そして僕は激しい競争を勝ち抜いた生徒を相手に授業を行う。

教室に入ると埃臭さが鼻を通り抜ける。普段使われていない教室を割り当てられるのは新米教師への洗礼だと自分に言い聞かせた。

授業は生徒が単位を取るために必須なのだが、選択制となっており人気の授業は争奪戦となる。

僕はと言えば……。

恐る恐る辺りを見回すと最前列に座る男女がいた。

 

「二人だけ……初日だから誰もいないよりかはましか」

 

「あっ!?クルーデル先生が来たぞ!」

 

「は、初めまして!」

 

二人は僕を見るなり立ち上がりヒソヒソ話を始めた。

 

「僕の自己紹介なんていらないか。始業式の日に授業案内を一読しているはずだから」

 

「先生、オレたち二人しかいねぇけど大丈夫なのか?」

 

「ちょっとマルク!挨拶が先でしょ!あたしはナタリー・フィリーヌ。隣にいるのは幼馴染のマルク・リンドブルム。よろしくお願いします」

 

眩しいほど元気な子供たちだ。少しだけ力が湧いてきた。

 

「オレの両親はメガラ人なんだけど、先生はメガラとトリスタの混血ハーフなんだよな?」

 

マルクが僕の顔を覗く。

 

「ああ、そうだよ。父がメガラ人で母がトリスタ人だ。産んでくれた母さんはもうこの世にはいないけど、代わりに僕を育ててくれたもう一人の母さんはプロシア人だよ」

 

「あたしと一緒だ。でもパパがトリスタ人でママがメガラ人なの。先生は『差別』とかされたことはあるの?」

 

やっぱりきたか。人種に関する疑問が。

ナタリーの問いに僕はありのままを答えた。

 

「差別はなかったよ。メガラ人が多い村だったから。でもやっぱり都会から来た人たちの視線は痛かったな。同じ人間とは思えないような言動をされることもあった。それでもメガラ人の境遇を理解してくれる人もいた。嫌なことより嬉しかったことの方が多かったかな」

 

「先生は凄いよなぁ。メガラ人なのに教師になれて。オレ、先生がメガラ人だから先生の授業を選んだんだぜ」

 

「人種を気にしてるのはマルクだけよ。あたしはクルーデル先生が優しく教えてくれそうだったから」

 

僕を選んでくれた理由なんてどうでもいいんだ。それよりも大事なことがある。プロシアデス王国の根深い人種間の闇について二人に知ってもらわなければならない。

プロシアデス王国の人口は三つの人種で構成されている。

プロシア、トリスタ、メガラだ。

プロシアとトリスタは元が同じ民族であり、一つの国を形成していた。百年前の戦争で隣国のメガラを侵略し併合した。

そういった経緯もありメガラ人の中にはプロシア人とトリスタ人を嫌悪している者が大勢いた。百年前に比べてメガラ人の感情は和らいだとはいえ、人種間の小さくない火種は今もなお燻り続けている。

 

「百年も前のことなんてオレにはわからないのにオヤジは酔っぱらうとプロシア人の悪口を言うんだぜ?『あいつらは侵略者の子孫のくせに自分たちの方が優れていると思いこんでやがる』とか言っちゃってさ」

 

「マルクのパパってプロシア人を心の底から嫌ってるよね。クルーデル先生はプロシア人のこと悪く言わないでしょ?」

 

言えるわけがない。僕はプロシア人に世話になりっぱなしだからだ。姫様、ガレス、ミグレッタは生粋のプロシア人。姫様たちは人種によって不当な扱いをせずに対等に接してくれていた。平民だと馬鹿にされもしたが、僕はあまり気にならなかった。

 

「先生は『現代史』をオレとナタリーに教えてくれるんだよな。先生に一つ聞いてもいい?」

 

「答えに困る質問はするなよ。まだ授業すらしてないんだ」

 

「へへっ、先生だったらきっと完璧な答えを出してくれるに決まってる。オレたちに『差別』について教えてほしいんだ」

 

「マルクは先生をからかっているだけよ。気にしないで」

 

その質問を教師にするか……。頭を抱えたくなる問題だ。地球上の問題とも言える。

こんな繊細な質問を片手間で答えたら首が飛ぶこともあり得るだろう。だが、二人は教師としての僕ではなく、メガラ人の一人の人間として問うているようにも見えた。

 

「『差別』の正体は『雪だるま』だと思うんだ」

 

「ゆ、雪――」

 

「だるまぁ?」

 

二人はポカンと口を開いたまま硬直している。ふざけたわけではない。姫様にしたように二人にも僕なりの考えを伝える。

 

「例えば小さなきっかけで誰かを恨んでいるとする。小さな恨みは雪の結晶となり自らに降りかかり足場を白く染める。この『雪』は時間が経てば自然に溶けてしまうので、恨みも薄らいでいき最後には忘れ去られてしまう」

 

「なぁ、ナタリー?先生は授業を始めちまったのか?」

 

「違うよ。先生はちゃんと『差別』について説明してるの。最後まで聞こう?」

 

「しかし、雪の結晶は場所によって大きさ、成分、性質は異なる。『差別』とは溶けにくく積もりやすい雪の結晶とも言い換えられる」

 

「でもよぉ『雪だるま』は自分で転がさなきゃ作れないぜ?」

 

「それもそうよ。『雪だるま』はみんなで作って遊ぶものでしょ?」

 

「『差別』の問題は無意識に『雪だるま』を作ってしまうことだ。もし両親や教育者がプロシア人やトリスタ人を貶める教育を右も左もわからない子供にすると、その子供は潜在的に敵対感情を植え付けられてしまう。子供は成長するにつれ偏見や先入観を含んだ『差別』という名の『雪』を転がしてしまい、それは取り返しのつかない巨大な『雪だるま』を自らの手で生み出してしまうことになるんだ」

 

「ようは頭でっかちな大人が悪いって話だろ?」

 

「先生、『雪だるま』ができちゃうと『差別』は消えないの?」

 

「そんなことはない。『差別』はあくまで『雪だるま』なんだ。根本が見えてくれば対処のしようはいくらでもある」

 

「でっけぇ『雪だるま』なんて簡単にどかせねぇし、溶かすのも大変だしなぁ」

 

「あたしわかる!『雪だるま』は雪の結晶が集まったものだから、色んな人の考えで温めていけばいつかは溶けるってことだよね?」

 

「そう。できれば正しい歴史観と倫理観を持った人が感情に流されず丁寧に『差別』を持った人たちの心を解きほぐしてあげてほしい。周りの優しさ、気遣い、思いやりの熱で溶かしていけば人は心改めるもの。すぐには難しいかもしれない。それでも根気よく心に問いかけ続けていくことが『差別』を根絶させる近道でもあるんだ。でないと偏見や憎悪が猛吹雪となって我が身に襲いかかってくるかもしれないから」

 

「優しくて気遣いができて思いやりがあるって、まるで先生のことみてぇだな。お世辞だけど」

 

「『差別』に接する側が悪意を持ってたり憎悪を煽ったりすれば、別の『差別』が生まれてしまうってことね。受けとる側、教える側が『差別』を単純に捉えてはいけない。お互いを知ることと尊重することが大切ってことでいいのかな?」

 

「ナタリーは先生になれる素質がある。心の中に雪の結晶はないみたいだ。それに比べマルクは誤解を生む言動がある。注意深く観察させてもらうからな」

 

ナタリーは頬を赤くさせ喜びを表現している。

マルクは机にうつ伏せになり死んだふりをし始めた。

まだ授業すらしてないんだが……。