第三話「教育係の矜持」


(あなたは自分さえ理解できていれば勉強せずとも試験に合格するとでも思っているの?)

 

そんな当たり前のことを聞くなんて母さんはどうかしてる。

 

(いいレノ?勉学というものは、聞いたもの見たものを誰かに伝えてこそ理解力を高めるというもの。あなたは誰かに勉強を教えた経験がある?)

 

気兼ねなく話せる友達が少なかったから人に教えようなんて考えもしなかった。だから何だっていうんだ?

 

(あなたが積み重ねてきたものが他人と同じとは限らない。ノートを取るだけで積み重なっていくのは時間と割に合わない知識だけよ。あなたがすべきことは学んだことを反芻し、それをわかりやすく、正確に、想いをこめて伝えるの)

 

そう言うと母さんは額に手を押し当てた。

 

「――起きろ!」

 

う、うん?母さんが僕の額をノックしている。

 

「いつまで寝ているんだ、レノ・クルーデル」

 

あ……ああ。僕は寝ていたのか馬車に揺られながら昔の夢に囚われていたらしい。それにしても懐かしい夢だった。目の前に座るミグレッタが僕の額を何度も叩く。

 

「迎えに出向いたと思えばフラフラとした足取りで馬車に乗り込み、挨拶もなしに眠り込んでしまったんだ。覚えてないのか?」

 

「情けない……徹夜で王族の歴史を読み漁っていたなんて言い訳にならないよな」

 

「書物を読み込んだところで参考にならないだろう。姫様は一週間前の対面でレノの人となりをだいぶ理解したはずだ。気がかりはレノだ。目の下に隈を作った顔を見れば姫様が同情するとでも思ったか?」

 

「同情してほしくて徹夜したわけじゃない。どうすれば姫様が心を開くか考えていただけだ」

 

「ならば親衛隊教務部長レノ・クルーデル、本日付けで姫様ことランシア・プロシアデス様の家庭教師に任ずる。任用期間は……姫様次第だ。以上」

 

ミグレッタが任命書を拝読すると馬車は僕を置き去りにして去っていった。

眼前に聳え立つ閑静な邸宅。王宮といわれても首をもたげたくなるほどの威厳のなさは現代が平和な証しでもあるのだろう。

自由な経済を求めた国民の不満の矛先は議会や政府に向いていくものだ。王族にとって政府は切っても切り離せない腐れ縁みたいなもの。募りに募った不満は政府や議会だけでなく王族にも向けられる。

虚しいかな。結局、割を食ったのは国民の象徴として君臨していた王族、そして忠誠を誓っていた貴族だけなんだ。

国民のために飴と鞭を使って良好な関係を築いていたのにも関わらず、平和な時代が続けばこんな仕打ちが待ってるなんて酷い気もする。

 

使用人に案内され姫様がお待ちになる部屋に辿りついた。チャンスは今日を含めて三回しかない。これで合格を頂けなければ教師としての資格まで奪われてしまう。それだけでなく故郷への強制送還なんてことにもなりかねない。

なんとしてでも姫様には心を開いてもらわなければ……。

震える手で扉を開けると姫様がこちらを見ていた。

 

「さあ、こちらにお座りなさい」

 

「は、はい!」

 

これじゃあどっちが教師かわからない。振る舞いには気をつけないと。とりあえずギシギシと音を立てる古ぼけた椅子に座る。

 

「そ、それでは始めますね。まずは数学から――」

 

姫様は突然、僕が開いた教科書を上から叩いた。指が挟まれ驚きと痛みでひっくり返りそうになった。

 

「なっ、何で叩くんですか!?」

 

「今日はそんな気分じゃありません!ガッカリしましたわ。あなたは教師として仕えてるのにも関わらず、教え子の気持ちも読めないのですか?」

 

「僕は姫様の力になりたい一心で、この神聖なる王宮へ参りました。しかし、僕は聖職者でもなければ超能力を使えるわけでもありません。姫様は何がそんなに不満なのですか?」

 

「もう結構です。ワタクシは一人で『国家』の成り立ちに関する書物でも読んでいますわ」

 

「姫様は『国家』に興味がおありなんですか?」

 

「あ、あなたには関係ありません。さっさと故郷にでもお帰りになった方がよろしくて?」

 

僕は姫様の一瞬だけ見せた動揺を見逃さなかった。

絶好の機会が訪れたと僕は確信する。教育係の卵として矜持を見せつける千載一遇のチャンス。ものにしないわけにはいかない。

 

「姫様にとって『国家』って何ですか?」

 

「しつこいですわ!何度も申し上げております!」

 

「大事な質問です。国王の血を引く姫様が答えられないとなると臣民に示しがつきません。ましてやプロシアデス王国の歴史の中に教養のない人物がいたとなると貴族や豪商が黙っていないでしょう」

 

「そんな脅しに屈するとでもお思いで?そこまで言うのならあなたが答えなさい!ワタクシの首を縦に振らせるぐらいの模範解答を期待致します。ですが前回のあなたの思考や論理は脳裏に焼きつけております。あなた自身の言葉でなければ簡単に首を振りませんわ」

 

「わかっています」

 

本来の王宮教員採用面接では『国家』に対する質問が用意されている。ということは受験者は予め回答を用意しているということだ。だが、今回の面接官は姫様だ。一筋縄ではいかない。しっかりと自分の考え、思いを伝えなければ僕の首が故郷に送り届けられることになるだろう。

 

「僕が考える『国家』とは『動物の皮を被った人間』です」

 

「まさか虎の威を借る狐とでも申し上げたいのですか?」

 

「半分は正しいですが、半分は違います」

 

「では何だというのですか?」

 

「『国家』は一つ一つ形が異なり、大きさも人口も千差万別。これを人間に例えると『国家』というものは様々な顔を持つことがわかります」

 

「そんなことは肌の色や言語でわかることです」

 

「そうでしょうか?肌の色が違っても同じ言語を話す人や同じ宗教観を持つものはいます。逆に肌の色は同じでも会話が通じない人や価値観が合わない人もいます」

 

「何が言いたいのです?人間なのだから思想や主義が合わないのは当然でしょう?」

 

「それは『国家』にも言えるのです。『国家』にも自我や理性がある。『国家』は顔を持ちます。相手はその顔を見て接し方を決めるのです。例えば今の姫様が僕を都合のいいようにこき使って、飽きたら故郷へ送り返そうと望んでいる。それが『国益』。つまり国家の利益なんです」

 

「ワタクシが悪者にされた気分ですわ」

 

「『国益』は僕にもあります。姫様の心を開かせたい。開くまではここを動かないと」

 

「ですが立場を考えればあなたが不利。ワタクシの一存であなたの首が飛びますわ」

 

「『国家』同士の交渉において顔は立場を明確にする上で重要な材料になります。国の立場が上なら下の国に大きい顔をして過度な要求をしたり、脅したり、最悪武力を用いて要求を飲ませるかもしれません」

 

「ありえますわ。現実にそういう『国家』があると聞きますし」

 

「ですが、立場の低い国も黙っているだけではありません。動物の皮を被る、とりわけ獅子の皮を被り強く出るのです」

 

「獅子の皮を被れば相手が怖じ気づくとでも?フン、聞いて損しました」

 

「獅子の皮を被った相手では並の交渉は通じません。ならこちらも動物の皮を被るのです」

 

「狐の皮でも被って獅子を出し抜こうとでも?」

 

「その通りです。外交というものは国家同士の化かし合いでもあります。利害調整する国もあれば、国益のために他国の主権を脅かす国もある。そうやって動物の皮を取っ替え引っ替えしながら国益を守っていく。多くの動物の皮を持つことが『国家』を生き長らえさせるコツなんです」

 

「一つ疑問があります。『国家』は常に自分を大きく見せたいはず。獅子や虎の皮を被る国ばかりになってしまうのでは?」

 

「姫様は大事な部分を見落としています。動物の皮を被っているのは人間なのです。人間は自己の利益を優先して動きます。自分が弱い人間だと自覚すれば強いものに頼りたいと思う。ならば猫の皮を被ってでもすがりたい。相手も猫ならば脅威にならないと侮り、多くの猫を味方にすれば獅子をも倒せる戦力になる。猫からみれば、こんな美味しい立場はないのです」

 

「漁夫の利を得る。まさに泥棒猫に相応しい振る舞いですわ」

 

「小動物の皮を被れば経済支援や軍事援助を引き出させることもあるかもしれませんしね」

 

「でしたら独裁国家は悪魔の皮を被っているとでも?」

 

「悪魔の皮を被ったつもりが、気づけば悪魔に肉体を乗っ取られたと考えれば独裁者と呼ばれる理由に合点がいきます。さすがに天使の皮までは被れませんが」

 

「天使の皮を被ったら神の怒りに触れて『国家』がひっくり返りますわ」

 

「革命が起きたらハイエナ国家に食べられちゃったり?」

 

「フフフ」

 

「ハハハ」

 

「……はっ!危うく口車に乗せられそうになりましたわ!」

 

姫様が立ち上がると部屋の中にガレスが入ってきた。

 

「今の話聞かせてもらったよ。やはり君は見込んだ通りの腕前だ。親愛なるレノ・クルーデル先生」

 

「い、いやぁ。先生なんてそんな――」

 

「お兄様!いきなり入ってきて失礼ですわ!ここはレディの聖域!即刻出て行って下さい!」

 

「ランシアはもう少し素直になった方がいい。豚の皮を被って文句ばかり言っていたら本当に豚さんになっちゃうぞぉ。ブヒーブヒー」

 

バカ野郎!なんてことを言いやがるんだ、この人は!

 

「な、な、何を仰っています!?女性に向かって豚とはいい度胸をしていますね、お兄様。もう二人とも出て行って下さい!!」

 

せっかく築きあげた姫様との信頼関係を台無しにしやがって、この人は本当に妹を大事にする気があるのか?

はぁ、先が思いやられる。

とりあえず一歩前進したと思って切り替えよう。

明日はまた来る。


続く。。。