大学生の身としては、モラトリアムと言っても良いほどの自由な時間を利用して、
各地の窯元を訪れるのも良いかもしれないが、
出不精が焼き物に触れるためには、デパートの陶磁器コーナーがやはり便利である。
そのなかで長いこと気になっているのが、美濃焼きのコーヒーカップである。
美濃焼には、織部、瀬戸、志野などの別があるが、件のコーヒーカップは織部のもの。

落ち着いた青に葡萄の装飾が施されたカップは、古くから愛されるコーヒーとジャズの素敵なカフェに似合う佇まいで、拙宅の有様には馴染まないかもしれない。
こういった器にはある種の「大人」を感じる。
私がこの器に惹かれるのは、その色合いや葡萄がコーヒーを美味しくしてくれるであろうという確かな期待もあるが、それよりも、この器を持ったときに自分が「大人」になるような仄かな期待によるものだ。
しかしその「大人」像とは、結局のところ「コーヒーとジャズの素敵なカフェ」のことで、
それは、子供の頃にタバコの形を模した駄菓子を欲しがった、あのときの気持ちとさほど変わらないであろう。
一昨日も昨日も、私は「コーヒーとジャズの素敵なカフェ」で一日を過ごした。
しかし、そこにいた私自身は、私の想像する「大人」の姿とは似ても似つかないもので。
ココアシガレットを銜えた小学生の私は、今の私を「大人」だと言ってくれるだろうか。
私はいつまで、ありもしない「大人」を追い続けるのか。
葡萄のコーヒーカップは教えてくれるであろうか。
各地の窯元を訪れるのも良いかもしれないが、
出不精が焼き物に触れるためには、デパートの陶磁器コーナーがやはり便利である。
そのなかで長いこと気になっているのが、美濃焼きのコーヒーカップである。
美濃焼には、織部、瀬戸、志野などの別があるが、件のコーヒーカップは織部のもの。

落ち着いた青に葡萄の装飾が施されたカップは、古くから愛されるコーヒーとジャズの素敵なカフェに似合う佇まいで、拙宅の有様には馴染まないかもしれない。
こういった器にはある種の「大人」を感じる。
私がこの器に惹かれるのは、その色合いや葡萄がコーヒーを美味しくしてくれるであろうという確かな期待もあるが、それよりも、この器を持ったときに自分が「大人」になるような仄かな期待によるものだ。
しかしその「大人」像とは、結局のところ「コーヒーとジャズの素敵なカフェ」のことで、
それは、子供の頃にタバコの形を模した駄菓子を欲しがった、あのときの気持ちとさほど変わらないであろう。
一昨日も昨日も、私は「コーヒーとジャズの素敵なカフェ」で一日を過ごした。
しかし、そこにいた私自身は、私の想像する「大人」の姿とは似ても似つかないもので。
ココアシガレットを銜えた小学生の私は、今の私を「大人」だと言ってくれるだろうか。
私はいつまで、ありもしない「大人」を追い続けるのか。
葡萄のコーヒーカップは教えてくれるであろうか。
