銭径:25.2㎜、厚:2.7-2.8㎜、重:9.27g

 

※スキャナー画像では人物がやや不鮮明のため、以下の拡大画像は即売品としてでていた写真を加工して掲載

 

先月か先々月の入札誌で入手したままとなっていた『夢雲泉帖 橋弁慶 橋合戦』を開封し眺めていたタイミングで、『【絵銭】 蕪手 橋合戦 母銭 古鋳 (美品)』として即売品にでていた今回掲載の絵銭をみつけました。

 

入札誌で売れ残ったものが即売品になったのかもしれませんが、図柄が比較的明瞭で、初鋳のものかもしれないと思い、購入しました。

 

 

商品が届くまでの間、「橋弁慶橋合戦」をひと通り読みました。

昔「橋弁慶」と言われていた絵銭が大正期に「橋合戦」となったが、著者ご自身は「橋弁慶」が正しいと考えられているといったことが全106ページの中に纏められています。

 

 

100ページを超える「夢雲泉帖 橋弁慶 橋合戦」をブログですべて紹介することはできませんが、個人的に興味を持ったのは、橋合戦となるキッカケとなったやり取りが紹介されている箇所です。

 

 

 

①飛び上がった牛若丸とする方が弁慶とする方より大きく描かれている

②二人とも(頭を丸めた)僧のようにみえる

③牛若丸は児子姿のはずだが弁慶と同じ鎧を着ている

ことから、

橋弁慶ではなく平家物語の橋合戦より着想した図であるとして、橋合戦が正しいとなったとあります。

 

反対意見もあったようですが、古銭界における当時のパワーバランスのためか、「橋合戦」となったようです。

 

 

また、「橋弁慶は、京五条の橋の上、牛若丸と弁慶の出会いの場面」、「橋合戦は平家物語の宇治の橋合戦」ですが、現在では、「牛若丸と弁慶の橋合戦」とふたつがごちゃまぜになった表現もあり、絵銭関係の書籍として有名な「日本の絵銭」でも、橋合戦、橋合戦・異の解説欄に「同じ橋合戦でも、こちらのほうにはなぜか牛若丸だけで弁慶の姿が描かれていない」と混同した表現がみられるともあります。

 

 

今回の掲載品をみる限り、拓本では判断がつきませんが、牛若丸は鎧ではないようにみえますし、個人的には「橋弁慶」の方が適切だろうと考えます。

 

 

なお、『夢雲泉帖 橋弁慶 橋合戦』の巻末に載っているボストン美術館所蔵の「橋弁慶図鐔」をネットで検索して拾ったカラー画像を以下に転載します。