矢切の~渡し~という歌詞の矢切の渡しは誰もご存じですが、高崎市の上佐野町にも烏川を渡る佐野の渡しが有ったようです。上野国郡村誌 という資料によると、下佐野村 “東南部の字川籠石(かわごいし)と川久保(かわくぼ)辺りの烏川は川幅20間・深さ4尺ほどで、対岸根小屋村との共有の舟2艘があり、佐野渡とよばれた(郡村誌)。”とあります。

それ以前の事なのでしょうが、船をたくさん浮かべて橋のかわりにした船橋というものが有り、この船橋をめぐる悲しい民話が伝わっていますが、ここでは割愛します。

その物語を歌った歌碑が残されています。

 

 

 

近くには、佐野の渡し駅もあり、今では、このような歩行者専用の橋が有ります。

 

 

近くを児玉街道が通ってます。

私は知らなかったのですが、川越から中山道の高崎市新後閑町までの街道で、旅を急ぐ人は中山道ではなく、こちらの街道を多く利用したようです。

 

 

車がすれ違えない位の道ですが、当時は賑わったのでしょうか。