前回の「龍安寺石庭」記事に多くの反響が
あったので、関連して書きたいと思います。
いきなりですが、質問です。
禅とはなんでしょうか?
禅というと、寺にこもり、座禅を組むなど
厳しい修行をするお坊さんの姿が
思い浮かびます。
そして、頭から雑念をなくし、心を
空にして、悟りを得ることを目指します。
といっても悟りを得たという方は、ほとんど
聞いたことがありませんよね。
それほど困難な道、といったところでしょう。
となると、私たちとはほとんど縁遠い存在に
なってしまいます。
そんな禅ですが、
思っているほど難しい話
ではない、
と聞いたことがあります。
それが、冒頭のクイズです。
どういうことでしょうか?
人間は何かにつけて物事にとらわれる生き物
です。
お金を稼ぎたいと必死に努力して、その結果、
目標達成すればハッピーになりますが、
しばらくすると物足りなくなり、またお金のことが
気になりはじめます。
身近な例でいえば、評判のラーメンが
食べたいと遠くまで出かけ、長蛇の列を並び、
ようやく食べて満足します。
ところがすぐにまたラーメンのことを
考えはじめ、頭がいっぱいになります。
こうしたことは、禅でいえば、
「心がとらわれている」
「ものごとに執着している」
から起こるというのです。
もちろん執着がいけないことはありませんが、
あまりに執着した結果、不幸な人生になって
しまったという話は、よく耳にしますよね。
では、どうすればいいのかです。
「執着するな」といわれても、
なかなかできるものではありませんよね。
それを禅では、面白い表現をしてます。
"心を丸くしろ"というのです。
心は本来自由なものであって、それなのに
目の前のことに、とらわれてしまう。
人間関係がこじれると、
すぐに
「あの人はこうだ」
とか、
何かことが起これば、
「これはこうに違いない」
と決めつけ、
その事にとらわれてしまう。
その結果、自分で自分を苦しくして
しまいます。
そうではなく、
心を自由にして、あるがままに
物事をとらえなさい、
というのです。
それが"心を丸くしなさい"
という表現です。
クイズの答えをいうと、
「こころコロコロ」
です。
「執着するな」
というと、難しい気がしますが、
「こころコロコロ」
というと、
なんかできそうな気がしてきませんか?
前回記事の龍安寺石庭の、
「観る人が、庭の魅力を引き出す」
にも通じる考え方ですね。
もちろんいつでも簡単にできる、という
ことではありませんが、
"日々の心の指針"
にはなりそうです。
このような心持ちで、生活したいものですね。
本日の話が、少しでも皆さんのお役に立てれば
幸いです。
コメント、感想などいただけるとうれしいです。