前回、人生の「夢・目標」はもったほうがいい、という話をしました。

ただし、何がなんでももたなくてはいけない、というものでもないと思います。

 

この間、こんな話を聞きました。ある親御さんの話ですが、

「小学校の授業で、「夢・目標」を書きましょう、と言われた子供が悩んでしまった。」というのです。

そして、

「そこまでして、決めなくてはいけないものなのでしょうか?」

と半ば、文句に近いことを言っていました。

 

先生も、子供たちの将来を考え夢をもってもらいたい、とそのような授業をしたのでしょう。何をテキストにしたのかわかりませんが、おそらく自己啓発系のものがベースにあったのではないでしょうか。

 

先生の考えもよくわかります。

しかしながら無理やりまでするのはどうかと思います。

 

私の好きなEXILEに「もっと強く」という歌があります。2010年にリリースされた、バラード調の、心に沁みる歌です。

その歌の最後に、次の歌詞があります。

”必ず夢を持つとか 背負わなくていい

ただ生きよう

その中でもし希望の光が見えたなら

ずっとずっと信じていて

いつの日か僕らはもっと強くなれる

愛を知るために もっと強く生きていこう”

 

 

 

わかりやすくいえば、無理に夢を掲げることにより、それがプレッシャーとなり苦しくなってしまう。

そうではなく、ただ日々を一生懸命生きていこう、ということでしょう。

 

世の中、作用があれば、必ず反作用というものが生まれてきます。

このような考えも、人によってはありだと思います。

 

それでも私としては、「夢・目標」をもったほうがいいと考えてます。

 
「夢・目標」は、いってみれば「一寸先は闇」のこの世界において、遠くで照らしてくれる灯台のような役割をはたしてくれると思います。
その光がなければ、どこに進んでいいかわからなくなってしまいます。
たとえどんなにかすかな光でも、遠くに灯っていれば、それは希望の光となってくれるでしょう。
有ると無いとでは、まったく違った世界になると思います。
 
では、「夢・目標」がない人、何を「夢・目標」のしていいかわからない人は、どうすればいいのでしょうか?
 
「夢・目標」には、2つあると考えてます。
「夢・目標」というと、何か壮大なものを思い浮かべます。それはそれでいいのですが、もうひとつ、小さな目標というのもあります。
わかりやすくいえば、「長期の目標」と「日常の目標」がある、といったところです。
 
「長期の目標」は、人生の「夢・目標」です。何年後、あるいは何十年後に、自分はどうありたいのか、というビジョンです。
それは具体的に、○○の仕事をするとか、○○円を稼ぐとか、あるいは抽象的でも○○のような人になる、ということです。
「日常の目標」は、明日○○をするとか、来週までに○○をする、といったものです。自分のできる範囲のことで結構です。
 
人によって「長期の目標」が考えやすい、という方もいれば、「日常の目標」なら思いつく、という方もいるでしょう。どちらでもいいと思います。
 
このようにとらえれば、「夢・目標」は考えやすいのではないでしょうか?。
 
(続く)
 
最後まで読んでくださりありがとうございます。
少しでもお役に立てれば幸いです。