クラブならポルトかナポリ、代表ならベルギーかコートジボワールでしょ!
お久しぶりです。
中途半端に物事を書くのができないことを思い知らされています。僕が経済学やメディア論について書いたところで、世の中にはもっと中身の詰まった内容を書く人がいるので。本じゃなくてブログの世界にも腐るほど。
ただ、それなりに書けそうなものが見つかったので書きます。
コンフェデレーションズカップ始まりましたね。プレワールドカップとも呼ばれるこの大会が僕は非常に好きです。コンフェデは「本気の練習試合」といったところです。どのチームも親善試合よりも本気ですが、ワールドカップ本番ではないので、割とオープンな試合展開になります。ワールドカップでいうところの3位決定戦くらいの感覚。
前回大会とか超面白かったです。なんならワールドカップより面白い(笑)
ということで、サッカーをテーマに書きます。サッカーの戦術的なところやプレーについても言いたいことはいっぱいあるのですが、今回はそれはおいときます。
より広く、日本における(大学生と)スポーツを「広告的に」見て気になることがあるのでそういう視点で書きます。
サッカー(というかスポーツ)全般が人気ですよね。特に若者に。サッカー日本代表の試合があるたびに、twitterのタイムラインはサッカー一色になります。渋谷のスクランブル交差点での騒ぎは最早風物詩です。
日頃から試合を見ているヘビーユーザーもいれば、代表戦をみんなとみるライトユーザーまで、実に多様な人がいて、多様な楽しみ方がありますね。
僕は、小さいころからサッカーをやっていたこともあってサッカーはやることも見ることも好きです。
中学生のころから夜更かしができるようになったので、ヨーロッパ(特にプレミア)のサッカーはメッチャ見てました。好きなチームはアーセナルです。黄金期にファンになったのではなく、セスク、フラミニ、フレブ、ロシツキーが輝いていたころに好きになりました。(最近のアーセナルのていたらくっぷりには言いたいことが山ほどあるのですが自重します。)
言いたいことは二つあって、「①コンテンツ化」と「②ナショナリズムの代用」です。
①コンテンツ化
コンテンツ化というのは、定義が難しい言葉です。(コンテンツって訳すると「内容」とか「中身」だしね。たしか。)
「手に触れられない無形物の情報が、可視化できる『もの』として軸になり、それを起点に様々な枝葉が発生し、全体が消費されること」って感じなのかな。やべえめっちゃわかりづらいw
アイドルとか映画とかの文化的なものに使われることが多いですよね。(「コンテンツ」については理解が浅いのでもう少し調べます。)
例えばサッカー選手が書いた本がベストセラーになるということがありますね。(長谷部の「心を整える」とか長友の「上昇思考」とか。)
とにかく、サッカーという本筋から離れたところがクローズアップされすぎていると思います。もちろん一昔前に比べれば、「国民的」関心を集めることができるのは素晴らしいことです。単純に盛り上がるし、経済効果もあるし。もちろん多くの人の人気を得ることはいいことです。でも、「コンテンツ」として消費されるだけのシロモノになっていないか?と思います。
②ナショナリズムの代用
これはサッカーだけじゃなくて、野球のWBCなどにも言えます。Jリーグや欧州リーグなどの、日本代表以外の「サッカー」自体に興味ある人がどれだけいるのか?WBCに興奮した人は、プロ野球の今の順位を知っているか?統一球問題にどれだけの関心があるか?
日本人はスポーツという、ナショナリズムを移行しやすい媒体を使って、日本を感じている。
日本代表の姿に、日本を見ている。(いやそりゃ当たり前なんだけどさあ)
これが一概に悪いとは言えないけど、なんか体が痒くなる感じがします。(僕はひねくれているので僕が悪いんだと思います。)
スポーツバーとか渋谷のスクランブル交差点で騒ぐのが悪いわけではないです。というか僕もスポーツバーでオーストラリア戦見たし、スクランブル交差点めっちゃ行きたいし。ああいうのをとにかく「けしからん」って批判する人は、人生楽しめなくて可哀そうだなとも思います。
だから騒ぐこと、楽しむこと自体には大賛成なんです。ただ、そこに「日本万歳!」的な感覚が生まれることが苦手なんです。しかもそれをスポーツという媒体にのせることに気持ち悪さを感じてしまう。もちろん右翼の街宣カーよりはましですが。。。でも、ナショナリズム「的なもの」をインスタントに補って「消費」してる感じが否めない。「偽善」って感じがします。いや、そうじゃない人の方が多いですけど。
このへんの感情は、もう少しうまく言語化して、突き詰めたいです。
(「スポーツとナショナリズムの関係」とかちょっと卒論っぽい。卒業できないけど。)
もし僕が極右の政治家だったら、間違いなくスポーツを利用します。笑
今、本田が参議院選挙に出馬するといったら当選するのか?恐らく、圧倒的多数の投票で当選すると思います。(本田は日刊スポーツで政治について素晴らしい意見を述べています。見た人も多数いると思いますが。)
まあスポーツ選手などを政治的に使うってのは昔からあることで。もちろん本人がやりたいってこともあるんだろうけど。パッキャオとか絶対に投票するもんなー。
いや、スポーツ選手が政治なんかするなってことを言いたいのではないです。それは本田も言うようにおかしい。非政治的職業人の政治的活動はとてもとてもとても大事です。
真意としては、それだけの利用価値が「消費者」によって作られてますよ。ってことです。だから今後、メディアによってますます利用されるんじゃないかなあ。サッカーに関してはマスとネットの親和性高いですしね。消費者はどちらも同時に使うし(TV中継見ながらtwitter使うってこと。)、政治問題にあるような意見の対立もあまり見られない。
とにかく「日本代表」という代用品を使ってナショナリズムを可視化していること、それを暗黙の内にしていることが怖いなと。
ナショナリズムが悪いのではなく、それが勢いで、インスタントに、消費されていることが怖いです。
考えとっちらかっているので駄文になりました。書き殴りのメモみたいなもんですね。ひどい。
まあとにかくそんなことを(特にオーストラリア戦らへんで)考えてました。「国民的一戦」と「国民的アイドル」って響きが似てますね。その「国民」って誰を指してるんでしょうね。結論は、メディアって怖いってことですかね。笑
なんか「大学生」カンケーなくなってしまった。本当は、大学生は運動しない!とかスポッチャオールが人気ですとか書くべきなのに。それはまた今度書きます。
次は近いうちに、大学生×留学(英語)を書きます。教育改革についてちょっとは勉強します。。。近いうちに。
今野はボランチで使うべき。以上。
