クラブならポルトかナポリ、代表ならベルギーかコートジボワールでしょ!

お久しぶりです。

中途半端に物事を書くのができないことを思い知らされています。僕が経済学やメディア論について書いたところで、世の中にはもっと中身の詰まった内容を書く人がいるので。本じゃなくてブログの世界にも腐るほど。

ただ、それなりに書けそうなものが見つかったので書きます。

コンフェデレーションズカップ始まりましたね。プレワールドカップとも呼ばれるこの大会が僕は非常に好きです。コンフェデは「本気の練習試合」といったところです。どのチームも親善試合よりも本気ですが、ワールドカップ本番ではないので、割とオープンな試合展開になります。ワールドカップでいうところの3位決定戦くらいの感覚。
前回大会とか超面白かったです。なんならワールドカップより面白い(笑)


ということで、サッカーをテーマに書きます。サッカーの戦術的なところやプレーについても言いたいことはいっぱいあるのですが、今回はそれはおいときます。
より広く、日本における(大学生と)スポーツを「広告的に」見て気になることがあるのでそういう視点で書きます。


サッカー(というかスポーツ)全般が人気ですよね。特に若者に。サッカー日本代表の試合があるたびに、twitterのタイムラインはサッカー一色になります。渋谷のスクランブル交差点での騒ぎは最早風物詩です。
日頃から試合を見ているヘビーユーザーもいれば、代表戦をみんなとみるライトユーザーまで、実に多様な人がいて、多様な楽しみ方がありますね。

僕は、小さいころからサッカーをやっていたこともあってサッカーはやることも見ることも好きです。
中学生のころから夜更かしができるようになったので、ヨーロッパ(特にプレミア)のサッカーはメッチャ見てました。好きなチームはアーセナルです。黄金期にファンになったのではなく、セスク、フラミニ、フレブ、ロシツキーが輝いていたころに好きになりました。(最近のアーセナルのていたらくっぷりには言いたいことが山ほどあるのですが自重します。)


言いたいことは二つあって、「①コンテンツ化」と「②ナショナリズムの代用」です。

①コンテンツ化
コンテンツ化というのは、定義が難しい言葉です。(コンテンツって訳すると「内容」とか「中身」だしね。たしか。)
「手に触れられない無形物の情報が、可視化できる『もの』として軸になり、それを起点に様々な枝葉が発生し、全体が消費されること」って感じなのかな。やべえめっちゃわかりづらいw

アイドルとか映画とかの文化的なものに使われることが多いですよね。(「コンテンツ」については理解が浅いのでもう少し調べます。)


例えばサッカー選手が書いた本がベストセラーになるということがありますね。(長谷部の「心を整える」とか長友の「上昇思考」とか。)

とにかく、サッカーという本筋から離れたところがクローズアップされすぎていると思います。もちろん一昔前に比べれば、「国民的」関心を集めることができるのは素晴らしいことです。単純に盛り上がるし、経済効果もあるし。もちろん多くの人の人気を得ることはいいことです。でも、「コンテンツ」として消費されるだけのシロモノになっていないか?と思います。


②ナショナリズムの代用
これはサッカーだけじゃなくて、野球のWBCなどにも言えます。Jリーグや欧州リーグなどの、日本代表以外の「サッカー」自体に興味ある人がどれだけいるのか?WBCに興奮した人は、プロ野球の今の順位を知っているか?統一球問題にどれだけの関心があるか?

日本人はスポーツという、ナショナリズムを移行しやすい媒体を使って、日本を感じている。
日本代表の姿に、日本を見ている。(いやそりゃ当たり前なんだけどさあ)

これが一概に悪いとは言えないけど、なんか体が痒くなる感じがします。(僕はひねくれているので僕が悪いんだと思います。)
スポーツバーとか渋谷のスクランブル交差点で騒ぐのが悪いわけではないです。というか僕もスポーツバーでオーストラリア戦見たし、スクランブル交差点めっちゃ行きたいし。ああいうのをとにかく「けしからん」って批判する人は、人生楽しめなくて可哀そうだなとも思います。

だから騒ぐこと、楽しむこと自体には大賛成なんです。ただ、そこに「日本万歳!」的な感覚が生まれることが苦手なんです。しかもそれをスポーツという媒体にのせることに気持ち悪さを感じてしまう。もちろん右翼の街宣カーよりはましですが。。。でも、ナショナリズム「的なもの」をインスタントに補って「消費」してる感じが否めない。「偽善」って感じがします。いや、そうじゃない人の方が多いですけど。

このへんの感情は、もう少しうまく言語化して、突き詰めたいです。
(「スポーツとナショナリズムの関係」とかちょっと卒論っぽい。卒業できないけど。)

もし僕が極右の政治家だったら、間違いなくスポーツを利用します。笑

今、本田が参議院選挙に出馬するといったら当選するのか?恐らく、圧倒的多数の投票で当選すると思います。(本田は日刊スポーツで政治について素晴らしい意見を述べています。見た人も多数いると思いますが。)
まあスポーツ選手などを政治的に使うってのは昔からあることで。もちろん本人がやりたいってこともあるんだろうけど。パッキャオとか絶対に投票するもんなー。

いや、スポーツ選手が政治なんかするなってことを言いたいのではないです。それは本田も言うようにおかしい。非政治的職業人の政治的活動はとてもとてもとても大事です。

真意としては、それだけの利用価値が「消費者」によって作られてますよ。ってことです。だから今後、メディアによってますます利用されるんじゃないかなあ。サッカーに関してはマスとネットの親和性高いですしね。消費者はどちらも同時に使うし(TV中継見ながらtwitter使うってこと。)、政治問題にあるような意見の対立もあまり見られない。

とにかく「日本代表」という代用品を使ってナショナリズムを可視化していること、それを暗黙の内にしていることが怖いなと。
ナショナリズムが悪いのではなく、それが勢いで、インスタントに、消費されていることが怖いです。



考えとっちらかっているので駄文になりました。書き殴りのメモみたいなもんですね。ひどい。
まあとにかくそんなことを(特にオーストラリア戦らへんで)考えてました。「国民的一戦」と「国民的アイドル」って響きが似てますね。その「国民」って誰を指してるんでしょうね。結論は、メディアって怖いってことですかね。笑



なんか「大学生」カンケーなくなってしまった。本当は、大学生は運動しない!とかスポッチャオールが人気ですとか書くべきなのに。それはまた今度書きます。
次は近いうちに、大学生×留学(英語)を書きます。教育改革についてちょっとは勉強します。。。近いうちに。

今野はボランチで使うべき。以上。
12人の怒れる男って、神映画ですね。こんばんは。

更新がだいぶ滞っていました。書くネタはあったといえばあったんですが、なんかブログにして書くほどのことじゃねーな…。って思ってさぼってました。ごめんなさい。


ということで今日は突然ですが、アイドルを紹介したいと思います!!

そのアイドルは…

でんぱ組.inc



明日の大学生



です!

僕はアイドルが特別好きってわけじゃないです。ももクロはかなり好きだけど、AKBは曲もメンバーも主要なところを知っているくらい、モー娘は全盛期のころから全く興味ないって感じです。

でんぱ組、去年の早稲田祭でイベントに来ていた頃からちらっとだけ気にしていたんですけど、友達にめっちゃファンの子がいて、その影響でちゃんと聴いたり見たりしたらはまってしまいました。

ではそんなニワカアイドルファンな僕が、でんぱ組.incの良さを語ります。


①雰囲気がかわいい

うん、当たり前ですね。笑
顔が超絶可愛いってわけじゃないんですけど(もがちゃんは例外)、笑顔が素敵な感じですね。
僕はねむきゅんともがちゃんが好きです。なんか王道すぎてずるいけど。
なんていうかこう、ちゃんと「アイドルっぽさ」をしっかりとおさえていますね。

②楽曲のクオリティが高い

楽曲のクオリティがとっても高いです。中毒性がはんぱない。って思ってたら案の定ヒャダインが創ってる曲がちらほら。

もちろん全部好きなんですけど、僕としては

・でんぱれーどJAPAN
・Future Diver





・キラキラチューン




・でんでんぱっしょん(新曲!&神曲!)



が特にいいと思います。いや本当にどれも中毒性高い。


(これはあくまで僕の持論なんですけど、アイドルの楽曲は絶対、アイドルっぽさ、アイドルだからこその良さがないといけないです。わかりやすい例で言うとAKB48なら、「ヘビーローテーション」や「君のことが好きだから」的なアッパーチューン、もしくは「言い訳Maybe」や「10年桜」的なPOPな泣き路線が理想的です。BeginnerやRIVERは「僕としては」あまり良い曲だとは思いません。だってかわいくないんだもの。)


③パフォーマンスが楽しい

正直、歌はそこまでうまいわけではないです。(うまい子もいるけど)
でも、常に全力で生歌なところと、LIVEでの踊りがオリジナリティにあふれていて、見ていて楽しいです。
また、このパフォーマンスはでんぱ組.incだけではなく、ファンのパフォーマンスという意味もあります。
前の方の席にいる人たちのコール諸々の熱さが半端ないです。これはでんぱ組.incがいい意味でアンダーグラウンドにいることの証でもあるのかなと思います。


④キャラクターが立っている

でんぱ組.incというグループ名からもにおうように、メンバー自身が重度のオタクです。それぞれジャンルを持っています。(ネトゲ、コスプレ、声優…などなど。)
まあ僕は個人的にはそのキャラクター性にはそこまで興味がない(W.W.Dとかも確かに好きと言えば好きなんだけど、そこまでではない)です。

ただ、アイドル戦国時代の中で、「設定」ではなく、モノホンのオタクであることはすげえ強みだと思います。


ということでこの記事をみた皆様は今すぐ、youtubeで祭ってください!!!



誰か一緒にディアステージ行こうよ-。以上。
明日(正確には今日)はたのしいたのしい100キロハイクです。……うつだ。


100ハイではセルフ縛りで水分を全てレッドブルで補う、「レッドブル縛り」を考えたんですけど、予算的にできそうもありません。こんばんは。

今から4時間半後には家を出なければいけないので短めの更新にします。

100キロハイクはいかにも早大生らしいイベントです。

このイベントが終わった際には、「学生らしさ」ってなんぞや?ということを書きたいと思います。僕の中で答えは既にあるのですが、まあ100ハイの後に書いた方がなんかそれっぽいし。


薬使えないの辛いなあ。エアマックスたんは耐えてくれるかなあ。けちらないでランニングシューズ買えばよかった。



レッドブルって栄養とかなくてもフツーにおいしいから飲みたい。こんばんは。


橋本さんの発言が大きな反響(波紋と言った方がいいのか?)を呼んでいますね。

まあ賛否両論あると思いますが、僕は、二択で言えば賛成派(橋本氏に同意)の方です。まあ物事はそう簡単に二択で割り切れるものではないですが。

物事ってなんでも、二項対立で見るとわかりやすいです。それで今回の発言についても二項対立の簡単な図式で見られがちなのかなと。で、メディアがそれを加速させる。(わかりやすく説明するためには仕方ない部分もあるとは思うので、メディアが悪い!マズゴミ!みたいになんでもメディア批判をすればいいというわけではないですが。)

石原慎太郎氏が「間違ったことは言っていない」と彼を擁護していますが、僕もそれに同意です。
石原氏がどういう意図でこの言葉を使ったかはわかりませんが、「間違ったことは言っていない」という表現が、僕の考えに的確に当てはまります。そう、発言を全体的に聞けば、「間違ったことは言っていない」のです。それでも一部分だけがクローズアップされて今回の様に波紋が広がるわけですね。
僕は兵士になったことがないので、エネルギーを持て余してうんたらかんたらというのがわからないです。ただ、想像すればそれはあながち「的外れではない」のかなあとは思います。(ただここに関しては、想像しかできないので、賛成も反対もしにくいですね…。)
橋本氏の言ってることは僕は理解できるし、まあ「反対はしない」です。別に悪いこと、間違ったことは言っていない。

問題は、こういうデリケートな問題に対して発言することへの慎重さが欠けたのでは?ということです。
歴史に関係する問題は非常にデリケートです。それが戦争に関係するなら尚更です。しかも、性に関わることなんてこれまた非常に非常にデリケートな問題です。(特に女性の)誤解を生みやすいだけでなく、それへの大きな反発が容易に予想できます。
(橋本氏に反発してる慰安婦の方が橋本氏の発言を全て聞いたのか、その上で論理的に反対しているのかというのは僕にはわからないですが。)

アメリカは「ずるい」という表現だったりはよくないと思います。これだけデリケートな話をするなら、とにかく感情論だけはしてはいけない。彼の攻撃的な面が悪く出てしまいましたね。
彼のイメージは今回の件でどれくらい下がってしまうのでしょうか。
(発言の是非よりも、その攻撃的な姿勢が、今までとは一転して悪いイメージとして捉えられてしまうのでは。)

発言内容はあまり関係なくて、従軍慰安婦に関する発言をした時点で、どこかから反発の声があがるのは間違いないです。
これは例えば、「オウム真理教の言いたいことはわかる」とサリン事件の直後に言ったらどうなるのか?ということと同じことです。
サリン事件の被害者が「絶対的な悪の被害者、一般善良市民」であるように、従軍慰安婦は「絶対的な」被害者なのです。戦争関連、日本の侵略についてもそうなりがちです。(それが真実かどどうかは関係なく。)


まあそれでも、橋本氏が、自分のPR戦略をぬきに、信念を持ってこの発言をしたのなら、これくらいの反発を予想して、あえてこのデリケートな問題に突っ込んでいったのなら、それは悪いことではないと思います。
「間違ったことは言っていない」のだから、発言の撤回はしなくていいと思いますし。


色々な方がこの発言に関して記事を書いていますが、僕が良かったと思ったものを載せます。

http://synodos.jp/politics/3894 (ぶら下がり取材の文字起こし)
http://blogos.com/article/62419/?axis=&p=1
http://blogos.com/article/62387/?axis=&p=1


あと、youtubeにも動画でぶら下がり取材の様子があがっているので、それを見ればより真実に近づけるかと。


自分が政治家だったら絶対失言しまくるなー。まあ友人の友人にアルカイダはいないだろうけど。以上。

ラジオの流れてるラーメン屋っていいですよね。こんばんは。


今日は、人生で初めて治験というものを受けるために、健康診断に行ってきました。
ということで治験ルポをします。笑


今回僕が治験に応募したきっかけは、大学で見知らぬ人に配布されたチラシです。チラシといってもB5サイズくらいの小さな紙に、日付と給与、申し込みの連絡先が書いてあるくらいの簡素なものでした。ハッキリ言って怪しいにおいしかしません(笑)

が、しかし、しかしです。給与がかなり高いのです。3~4日ほど拘束されるのですが、その代わりに、大学生のアルバイト代1ヶ月分くらいは軽く稼げるのです。

最近金欠で困っている僕は、治験というものに興味があったこともあり、これに飛びつきました。(こんなことしてるから単位がとれないんでしょうね。)

さっそくメールで、「チラシにあった5月○○日の治験モニターに興味あります!」って送ります。
すると返信が返ってくるのですが、なんかこう返信もうさんくさいのです。笑
別に書いてあることは、教えてほしい個人情報についてや、検診の会場についてなんですが、明らかに友達とメールやり取りしてるのと同じような感じなんですね。一応敬語なんですけど、文がだらだらと書かれてる感じが。署名とかないし。

せめてもう少しビジネスメールっぽくしたほうが印象いいのになーとか思いつつ、会場といわれた埼玉某所の病院を調べます。
すると、そこのウェブページがひどいんです(笑)
「ゆうすけのホームページ」みたいな、(まあそこまではひどくないけど)インターネット初期のにおいがするんですねえ。


ここまででもう、色々と怪しい要素しかないんですけど、とにかく今日、事前の健康診断に行ってきました。


学校帰りの小学生がちょくちょくいて、周りは田んぼと用水路で。完全に田舎ですね。
病院自体は小さいんですけど意外ときれい。


病院内の会場に行くと、人数は僕を入れて10名弱でした。(事前の検診は今日以外にもう1日、別の日程があるそうです。)
ほとんどが20代であろう人たちです。みんなお金なさそうなオーラがありました(お前が言うなって話ですが)。派遣会社でバイトしてた頃を思い出しました。
今回が3回目というベテランもいましたが、ほとんどは僕みたいな初心者。友達同士で来ているだろう人は2人だけでした。他はみんな独りです。

さっそく、検診がはじまりました。採血やら身体測定やら心電図検査やらをしました。そして、お医者さんによる治験の説明。
この説明は案外としっかりしていて、内容説明やスケジュール、注意事項等、1時間ほどかかりました。流石に国の規則が結構厳しいそうです。
同意書みたいなやつをかなりの数、署名しました。


もし僕の体に異常がなければ、来週頃には治験を受けに入院します。wktkです。
ただ、朝から何も食べないで検診受けたから体温が35,4℃だったんだよなあ。大丈夫かなあ?
しかも、応募者多数の場合には、以上がなかった人のなかからまた選抜されて、落ちてしまったら参加できないという。。。BMIもギリギリだしやばいなあ。

と、帰り道にボンヤリと考えていたのですが、そこである重大な事実を思い出します。

お医者さん「えー、この説明書にも書いてあるように、今日から治験開始日までは、薬を服用しないでくださいね。市販薬もダメですし、湿布やかゆみ止めとかもだめですよー。まあそんな機会ないと思いますが(笑)

みなさん、今週末、早稲田大学でなにがあるか知っていますか?そう、100キロハイクです。

【100ハイについて詳しくはこちらをご覧ください】

http://100hai.mond.jp/51/
http://matome.naver.jp/odai/2133734366502081001


100ハイにおいて、湿布とバファ○ンは必須アイテムです。(僕は去年、姉の生理痛薬をバカみたいに食べました。)
が、あの難関ダンジョンを回復魔法なしに戦えと?これはある種、究極の縛りプレイなのではないでしょうか。(まあどう考えても縛りプレイの方がきついけど)

一つだけ言わせてください。マジで100ハイ出たくねえええええええええええええええええええええええええ!!!!!笑

治験ルポ【検診編】は以上です。
ということで、もし治験に参加した際には体験記を書こうと思います。
果たして続編が書けるのでしょうか!?こうご期待。笑
「大抵の単語はミスチルの曲名にすれば名作に聞こえる」みたいなスレがあってめっちゃ面白かったのを思い出しました。

ということで今回は「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」について書きます。


まず前提(というか言い訳)として、僕は村上春樹の作品を全部読んだことがあるというわけではありません。
彼ほどの作家の作品を語る上では、彼の他の作品を読むことは極めて重要です。他の作品との共通点、相違点を通して比較が可能になりますし、今作をただの作品ではなく、「村上春樹の作品」として、全体の流れの中に位置づけることができるからです。

しかし僕は、彼の全ての作品を読んだわけではない。それ故、考察が深い所までできていない部分があるかもしれません。それでも、今作を読んで感じたことを「一旦」放出してみることは悪いことではないのかなと思います。

前置きが長くなりましたが、気になった部分を書きます。

(一応のあらすじ)
多崎つくるは、木元沙羅と交際中だが、なかなか関係は進展しない。その原因として沙羅は、高校時代の友人から絶交されたことについてのわだかまりがあるのではいかと考えて、つくる自身が当時の友人たちに会って直接話をすることで、事態を打開するように勧める。
そこでつくるは、名古屋とフィンランドに住む友人たちのもとを一人ずつ訪ね、絶交の真意を知る。そのうえで、あらたに沙羅との関係を進展させようと決意する。

(これはwikiから引っ張ったやつです。でもこれはひどい…。まあ、あらすじ的なものは、自分で調べてください。僕が書くよりも、ぐぐった方がうまくまとまったものが出てくると思うので。)



まず、村上春樹を読む際に、よく言われるのが「人物がいけすかない」ということです。今作もamazonのレビューで言われてましたね笑

高尚に悩んでるけど、人間臭さが見えないというのはあります。負の感情、本来は汚いものですら美化されて書かれている。
でも、その「いけすかなさ」は割り切って読んだ方がいいと思います。

僕は多崎つくるに全く感情移入できないし共感もしないけれど、第三者的な視点で見れば十二分に面白い物語です。文章力、エンターテイメント性が抜群なのは間違いない。あくまで「物語」であることが大事。


村上春樹を語る際に、「デタッチメント」「コミットメント」は重要なテーマですね。本書では、これからの私たちの「コミットメント」のあり方について示唆されていると思います。それはいわば、「傷の共同体」とでも言えるものです。この考えは物語の終盤、つくるがかつての仲間であるクロと再会し会話する中で出てくる言葉に象徴されます。
「人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。」

この「傷」は「喪失」(これも村上春樹の作品のキーワード)がつくるものです。傷があるからこそ人の心は結びつくということを言いたいわけです。これは、東日本大震災と原発問題、(更にマクロにとらえるなら、それを含めた近年の日本の低迷)というものを受けて書かれているのかなあと思います。震災などで家族や友人を失った人がいます。それ以外にも多くの人が自分の居場所、共同体といった心のよりどころを失っています。具体的にせよ抽象的にせよ、なんらかの「傷」を受けている今の日本の人びと。それでもまだ、生きているし、希望はあるのです。(安っぽいセリフになってしまいますが。)

「私たちはこうして生き残ったんだよ。私も君も。そして生き残った人間には、生き残った人間が果たさなくちゃならない責務がある。それはね、できるだけこのまましっかりここに生き残り続けることだよ。たとえいろんなことが不完全にしかできないとしても)」というクロのセリフは非常に示唆的です。

村上春樹は東日本大震災の後、『非現実的な夢想家として』と題したスピーチを、バルセロナで行いました。そこでの一節もクロのセリフとリンクします。「我々は『無常』という移ろいゆく儚い世界に生きています。……大きな自然の力の前では、人は無力です。……しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。」

物語はこう締めくくられています。「僕らはあのころ何かを強く信じていたし、何かを強く信じることのできる自分を持っていた。そんな思いがそのままどこかに虚しく消えてしまうことはない」
失われてしまったものだとしても、つくると仲間たちの調和は本物だったはずです。過去を、傷を、受け入れて、共に未来に生きる。それが重要なんじゃないかな。


また、沙羅との恋愛も大事な要素です。つくるの巡礼が過去へ向かった物語だとすれば、沙羅との恋愛は未来へ向かった物語です。ここでは「駅」というモチーフが大きな役割を果たします。
「駅はまず作られなくてはならない。そうでしょ?駅がなければ、電車はそこに停まれないんだから。そして大事な人を迎えることもできないんだから。(中略)まず駅をこしらえなさい。彼女のための特別な駅を。」という、つくるに対するクロのセリフがあります。

この「駅」とは比喩的に「相手を迎え入れる心」という意味を持つのではないでしょうか。つくるは沙羅を手に入れることができるかはわからない。それは彼女が決めることです。ただ、彼女にすべてを差し出す気持ち、彼女を迎え入れる心の駅をつくることが大事なのだ。つくるは何かを手に入れたわけではありませんが、自分の心に駅をつくることができたのです。

物語はここで終わります。これに対しては「結局、沙羅とはどうなるのか」「なんでこんな中途半端に終わるのか」「続編があるんじゃないか」などの声がありますが、僕は、この終わり方がいい、というかこの終わり方以外はしてはいけないと思います。

なぜなら、つくるが心に駅をつくること、過去と向き合うことが重要なテーマであり、それは沙羅を手に入れることができるかできないかとは関係ないのです。結果そのものではなく、結果を目指す姿勢が求められているのです。
もし、沙羅を手に入れてしまえば、フィクションだからできるハッピーエンドになってしまうし、沙羅にふられれば、つくるの努力が全部パアじゃんって思われてしまうし。

とにかく大事なのは、つくるの内面の問題なのです。それが解決されたんだからこの本はもうこれでおしまいでいいのです。決して中途半端ではなく、この終わり方こそがベストです。
どっちに転ぶこともしてはいけないと思います。


髪切りたいなー。治験ってなにすんだろ。以上。
文をつくるは難きこと無し。こころのままに文字をつらぬれば、文はおのづからにして成るものなればなり。おもひを述べ、事を叙するといふ二いろのほかに文といふものは無し。

…法然親鸞の文、日蓮向阿の文、また遡りて伝教弘法の文、皆人を動かすあるものは、文の成るの前に既に文の在るありて、而して後に文おのづから成ればなり。

なんか擬古文ってかっこいいですよね。これは幸田露伴の言葉です。受験期に過去問かなにかで読んだ気がします。(岸辺露伴はこの人から名前をとっています。)

レポート書く度にこの言葉を思い出すのですが、それができれば誰も苦労しねーよって思っちゃいます。笑 いや、超いい言葉なんですけどね。


ということで、4月~GWに読んだ本で「アタリ」だったものを浅く広く紹介します。


◆ウェブで政治を動かす!/津田大介
→ネット選挙解禁された今だからこそ読む価値があるのでは。政治に全く興味なくても、メディア論とか広告論として楽しめる。

◆スカイクロラシリーズ/森博嗣
→詩的なんだけど、余計な文が一つもない。寓話なんだけど完成されている。矛盾した両極があわさっている感じ。あと、インメルマンターンとか厨二心をくすぐる!w

◆人はなぜ戦争をするのか/フロイト
→非常に読みやすい。普遍的な考えとしてすごく納得できる。表題は、中学校の教科書に載せればいいのになあって思う。

◆W杯に群がる男たち/田崎健太
→やっぱスポーツって人の感情に根差しているドラマだから面白いなあ。「サッカーの国際政治学/小倉純二」「サッカーという名の戦争/平田竹男」とかも併せて読むと、より裏側を知れて面白い。次は「日本は、サッカーの国になれたか。電通の格闘/濱口博行」を読みます。

◆幸福な広告/今村直樹
→最近は「コミュニケーションデザイン」に関わる立場の人の本が多いだけに、CMディレクターという「制作者」側からの視点が活かされているし、未来についても書いてあってよかった。広告の定義も共感できる。

◆アンドロイドは電気羊の夢を見るか?/フィリップ・K・ディック
→ずっと積み本になってたのをようやく読みました。文句なしの面白さ。やっぱ近未来を題材にした小説好きなんですよねー。これも厨二心ですね。あと、「感情移入が人間の証明」だなんて僕の個人的な考えとピッタリ一致していてビックリしました。


昔から今までずっと読んでて、特におすすめなのは「星の王子さま」と「月と六ペンス」です。前者は中学生の時、後者は大学1年生の時に読んですごい感銘を受けたので暇な人はぜひどうぞ。


司馬遼太郎、中島らも、ディストピア、サイバーパンクをこれから読みます。

更新が自己目的化されてる気がするけどまあいっか。以上。

こんばんは。久しぶりにandymoriにはまっています。ファンファーレと熱狂は捨て曲が本当にないです。今日みたいな穏やかな晴れた日に聴くと最高です。


さて、久しぶりに「大学生について」書きます。今回のテーマは「大学生」×「お酒」です。とっっってもデリケートな話題ですね。


「若者の○○離れ」というもののひとつとして、「酒離れ」「ビール離れ」などがよく言われますが、僕は決してそんなことはないと思います。今でも若者、大学生はお酒が好きです。
(これは僕の通っている大学の学生が飲んでばっかいるイメージがあるからかもしれない。笑)
東京の私大文系なんて、みんな飲み会で飲んで騒いで…ってことしかしてないんじゃないかってくらい飲んでるイメージ。

まあ昔の大学生がどれくらい飲んでたかわからないので比較できませんが。




で、問題はお酒そのものというよりも、いわゆる「飲みニケーション」に対してです。
最近でも明大新入生お役立ちbotの炎上とかありましたね。

飲みニケーションには賛否両論あると思いますが、僕は全面的に肯定的です。(相手への強要はしないけど。)
「ほどほどに」酔っていることでコミュニケーションが円滑になるというメリットは経験からしてすごく大きいと思っています。相手の本音が聞けるし。

よく、「飲まなきゃ話せないのはおかしい。飲まなくても話は出来る。」という意見があります。それは事実ですが、そういうことが言いたいわけではないのです。
元々印象の悪い人とはいくらお酒を飲んでも話しは進みにくいです。飲みニケーションはあくまで、相手との会話を乗数的に増加させるもの、一つの「媒介」だと思います。(要は、元々が0あるいはマイナスな相手との会話はお酒が入ったところで+にはなりません。ただ、1のコミュニケーションを10に、100にする力がお酒にはあるということです。)


お酒って人の根っこの部分が垣間見えるからいいなーと思います。(それで「こいつ…」ってなる時もあるんですけどね。)
泥酔した時に、「ありがとう」とか「ごめんね」って言葉が出てくるやつのことは好きになるじゃないですか。


僕が飲みニケーションに肯定的なのは、他の様々なものよりも、「感情」にものすごく重きを置いてるからなのかなと思います。「人は感情で動く生き物」っていうことは今まで生きてきて唯一、僕が確信をもって言えることです。
古今東西、政治にしろマーケティングにしろ、人の「感情」(のできるだけ深いところ)に根差したものが一番強いと思うのです。ヒトラーも「民衆の知性に訴えかける部分はできるだけ少なくすることがプロバガンダの要点だ」と言っていますし。

話がそれましたが、要はみんなお酒いっぱい飲んで楽しく酔って楽しく話せばHAPPYじゃん!難しいこと考えなくていいやん!ってことです。雑ですけど。
ただ当たり前のことですが、未成年の人や、体質的にお酒飲めない人や、お酒が嫌いな人に無理に飲ませるのは最低です。


このデリケートなテーマについては僕の文章力では深いところまでは書けないです…。誤解されて炎上したら怖いし。笑
極端な対比で言いますが、「飲み会とかやってらんねーわ。行かないっしょ。」とかスカしてるやつよりも、「飲むっしょーwwうぇーいw」ってやった方がいいことあるんじゃない?ってことです。まあ飲む相手によるところが大きいとは思いますが。


カッコよくお酒を飲める大人になりたいですね。以上。

「巡礼の年」を聞きながらコーヒー飲んでる大学生とか空想の話だからできるんですよ。
こんばんは。


つい先ほどまで、ニコ生で「民主党公開大反省会」なるものが放送されていました。

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「反省会」という名前通りにはいきませんでしたけど、まあこんなもんでしょ。笑

僕はこういうのは、内容はともかく、開催されることそのものに意義があると思っています。
30歳以下限定とか、ケータイから匿名でコメントするところとか、企画としては面白いです。

で、やはり気になるのがコメント欄ですね。本当にタチが悪い。(政治というセンシティヴな問題だけでなく)動画などに感情的なコメントを投稿する人の心理がわからない。とかいうと叩かれるのかなあ。
僕はコメントすること自体を否定するわけではないです。ただ、非論理的なコメントをしたところで誰も取り上げないのになあと。そもそも「代案無き否定」は最悪のものだと思っているので。
感情のはけ口にしたいのなら、自分のtwitterとかでやってほしいですね。
自分のコメントのせいで、ネットメディアが価値の低いものと見られてしまうってことを考えないんでしょうね。(逆に、このような場で少しでも建設的な話ができれば、ネットメディアの価値は高まる。)
まあネットに流れている意見(意見と呼べるかは疑問だけど)を真に受けている人はあまりいないとは思いますが…。

ただ、長時間の生放送ができるということはマスメディアにはできないことで、ネットメディアの利点ですし、マスメディアの情報加工を疑う時の、重要なソースとして機能するので、討論会や記者会見など、事実報道として情報を「たれ流す」役割としてニコ生やustreamが機能しているのはいいことだと思います。






で、やっぱ気になってしまうのが「ネトウヨ」「在日」などといった問題です。今回のコメント欄でも大半がこれに関するコメントでした。

最近、ナショナリズムに関する本をいくつか読んでいるのですが、「ナショナリズムは感情に根差しているからこれだけの力を持っている」という趣旨の考えに至りました。マルクス主義とかと違って、ナショナリズムって実体がないからどうとでも言えるんですよね。しかもそこに論理的正当性を持たせる必要がない。(日本に生まれたから日本を愛することは「当たり前」なわけで。)

僕は日本が好きだし、韓国のためでも中国のためでもアメリカのためでもサウジアラビアのためでもなく、日本のためになる行動を優先すると思います。多分。
でもそれをナショナリズムって言っちゃうとなんか違和感ある。ここについてはまだ考えがまとまっていないので、また今度の機会に書きます。

あと、その内「大学生×日本」というテーマの文章を書こうと思っているのですが、それをちょっとだけ先に述べると
・大学生は日本が好き
・でも日本のためには戦わない
っていうのが暫定的な結論です。(「絶望の国の幸福な若者たち」とまんま同じ感じになりそう…。)

ここらへんは、適当なことが言えないのでなかなか書けないのですが、考えがある程度まとまったら書きます。
(まあ「大学生」と一括りにすることへの違和感とか、「若者」と「大学生」って同じじゃね?とか色々葛藤があるのですが)


帰国子女がうらやましい。以上。
小中学生の時、委員会決めってあったじゃないですか。大概、環境委員とか美化委員って外れ役ですよね。給食委員とかは人気なんですけどね。

ということで、川口順子環境委員長の解任についてです。

これはいろんな人が論じているので特にもう書くことないんですけど…。(解任までの流れはググればすぐ出てくるのでそれを見てください。)

川口さんは会談の内容を具体的に言わないと、それがどのくらい「国益」に重要なものだったのかが証明できないよね。ただ相手が要人ですってだけではねえ。1対1でもないそうだし。

で、野党は野党で頭悪い。国民は基本的に政局のゴタゴタは白けた目で見るからね。この解任劇で「やったった!ドヤ」って思ってるなら本当に脳みそお花畑。むしろイメージ悪くしていることに気がつかないのかな。

結局、双方にとってデメリットしか生まなかったね。

まあ川口さんはなんらかの処罰を受けることは容易に想像できたはずだし、それを踏まえてでも会談したのなら自分で納得できるのでは。彼女がどれくらい外交に影響力があるのかは知りませんが。(佐藤優氏いわく全くないらしいけど)

まとめると
・会談の内容、また自分がいることの重要性をもう少し具体的に証明してほしかった
・政局のゴタゴタは野党側にとってもデメリットしか生まない(まあでも野党としては痛み分けでも攻撃できたからいいのかなw)


って感じですかね。どんなやり方であろうともルールを破っていることは間違いない。けど解任はやりすぎでしょうというのが全体の論調かな。

政治家みなさん「国益」がどうのこうのって言っていましたが、結局なにが一番「国益」のためになるのかがわかりませんでしたね。まあ僕に言えたことではないんですけど。

ねむきゅんかわいいなあ。以上。