gooblogが営業終了し、amebaブログに記事を写したものの、カテゴリー分けなどができていません。おいおい整理していきます。
前の記事にも書いた『憲法十七条を読む』が11月20日に刊行されました。AMAZONなどでは、19日に届いたようです。
高市首相は、所信表明演説で「憲法十七条」は日本の民主主義の元祖のようなことを述べたようですが、「憲法十七条」は愛民主義、つまり、民については、思いやってやるべき存在と見ており、政治参加などは考えられていません。また、「和」が日本の伝統だなどというのは間違いであって、聖徳太子の時代は豪族と皇族たちの対立と殺し合いの時代です。「和」を強調するのは、「和」でない状況だったからと考えるのが自然なのに、どうしてそれが分からないのか。
聖徳太子は長らく尊崇されてきましたが、南岳慧思の生まれ代わりとか、救世観音の化身だとか、勝鬘夫人の生まれ代わりとか、物部守屋を打ち破った戦いの神、四天王寺などを建てた大工・左官の元祖などといった面が中心であって、その思想の中心を「和」とみなして重視するようになったのは、ナショナリズムが高まった昭和初期からです。
「憲法十七条」を特に重視することも近代からであって、蘇我氏などの有力氏族の専横を押さえ、皇室の権威を確立しようとしたといった見方も近代なってからであり、そんなことは推古朝には無理だとして対価改新、ないし律令制以後なので偽作だとする説が有力になったのは戦後です。つまり、真作派も偽作派も、同じ前提に立って議論していたのです。
しかし、実際には、「憲法十七条」は蘇我馬子を国政を導くべき聖人とみなしていました。また、第一条の「無忤」は中国南朝で編纂された『比丘尼伝』に基づいており、第二条の三宝帰依と第十四条の嫉妬貴誌は、南朝でよく読まれていた在家向けの大乘契経である『優婆塞戒経』に基づいたものでした。三経義疏のうち、『勝鬘経義疏』が重要なところで、「憲法十七条」が引いているのと同じ箇所を引用しています。
その他、いろいろと発見が多く、推古朝頃の古代史研究は新しい段階に入ったと私は考えています。ただ、いろいろな方面の人に献本したところ、仏教学などの人はすぐ返事をくれたものの、歴史学の人達の反応は少なく、ある人が本を持つ手が震えたと書いてくれただけで、多くの人は返事無し。
しかし、「憲法十七条」に触れた古代史の論文は山のようにあるものの、この10年ほどはまともに取り組んだ論文はほとんどありません。「憲法十七条」は中国思想と仏教思想を寄せ集め、自己流に用いていますので、そうした面の素養がないと扱えないはずです。また、今回は、森博達さんが開拓した変格語法の面にもかなり注意し、訓読との関係にも触れました。また、『日本書紀』の中でどう利用されているかにも触れました。今後、「憲法十七条」について論文を書く人は、賛成反対はともかく、この本を無視して語ることはできないはずです。さあ、どうなりますか。
なお、刊行日の11月20日には、まったくの偶然ながら、仏教雑学お気楽エッセイ集である『なぜ鬼は虎皮のパンツをはくのか』(法藏館)も刊行されました(発売は28日から)。こちらは、題名が示すように意外な内容を楽しんで読めるものになっています。授業などでの雑談のネタに最適です。
#「憲法十七条」
