確かに、私もカルトにはまっていった理由は機能不全家庭だったのもあるだろうなぁ・・・と思います。

私の両親も、毎晩ケンカしていました。

怒鳴りあうのは当たり前だったし、物が飛ぶこともしょっちゅう。

別室にいても、トイレにいても、お風呂に入っていても、大きな声が聞こえたり物音がすると“ビクッ”っとなって思考停止、全身固まっていたのを覚えています。

私の父が診断はされていないのですが、たぶん発達障害があります。

こだわりが強く、違いを受け入れられない。自分の心のコントロールができない。学習障害は明らかにあるので、知的な判断力が乏しいし感情的になりやすい。

毎晩、晩酌しながらちょっと気に障ることがあると、すぐに大声で怒鳴り散らし、食卓にある食器を片っ端から投げて割る。

家の中に原因がなくても、仕事での鬱憤を家庭の中で当たり散らして気を晴らす。

それが、天地正教の先祖供養で激減したもんだから『本物だ』と思っちゃったんですね。

原理を学んでからは、家の中が不安定でも『真の父母』という存在が現れたおかげで精神的な逃げ場ができたので、私はラクになりました。

蕩減をいう教理によって、この悲惨な家系の因縁を私が断ち切らなければならないって使命感に燃えましたし。

 

母は、私を大切にしてくれていたのは嘘ではないけれど、父がそんな状態だったし、経済的にも苦しい家庭だったので心の余裕がなくて。(いや、父は稼いでたんですよ。でもギャンブルで生活費まで使いこんじゃって家計はいつも火の車)

学校のこと、友達のこと、何か困ったり悩んだことがあっても母に相談できる雰囲気は家の中にはありませんでした。

それに、お金のことや言いにくいことを父に話さなきゃいけない時など、私を盾にしていたのも事実で。母が直接話すよりは、私が言った方が怒りにくいから。でも、地雷踏んだら怒られるのは母じゃなくて言った私なんです。

子どもながらに「お母さんずるいな~」と思ったこともあります。

 

「母のようなお母さんになりたい」

とも思ってきたけど、

「母とは違う育て方をしたい」

というのも本音で。

なんか矛盾してますね(笑)

ただひとつ、私の育った家庭にはなかった平安が今の私の家庭にはあります。少なくとも罵声・怒声が飛び交ったり物が飛ぶことはないので^^;

それだけでも、子供たちは私よりは幸せかな・・・と。

子供たちは学校や幼稚園であった楽しかったこと、イヤだったこと、どーでもいーこと、次々話してくれて毎晩私は聖徳太子状態なので(笑)

3人の子供たちのどうでもいい話を毎晩聞けるくらい私の心には余裕があるというだけでも、子供たちにとってはいい環境だと思います。

 

虐待や愛情不足は連鎖すると言われていますが、本人の気づきと意識の持ち方でその連鎖は切っていけるんだろうな・・・と。

もちろん、私の周りには親に育てられたようにしか子供に接することができない人もいるし、私自身もふとした時に母にされたイヤな対応を子供にしてしまうこともたくさんあるけれど。

いつでも再出発はできるんですよね。