私も白黒ジャッジ、好きでしたね~。
教理が『神かサタンか』『善か悪か』ってやつだったから、余計に強くなりました
サタン的な感情、徹底否定!
サタン血統で生まれた自分、完全否定!
でしたもんね(笑)
自分の存在自体、否定してきたって、今思うと恐ろしいですね
そんな私が、「グレーもOK」にできたのは
“サタンはいなかった”と覚醒してからです。
どんな自分もOK!
そう判ったら、白も黒もグレーどころか赤もピンクも黄色だってあっていいんだわw って。
今、私が大切にしているのは
どんな感情も否定しないで感じきること。
喜怒哀楽って人間である以上、どんな感情も自然に湧いてくるものだから・・・
ムカついたら、とことんムカつく。
憎しみが湧いてきたら、とことん憎む。
嫌だと感じる人がいたら、とことん嫌ってみる。
落ち込む時は、とことん凹む。とことん自分を責めてみる。
無理に笑わない。
無理に冷静にならない。
無理に好きにならない。
無理に仲良くしない。
無理に前向かない。
感じきってみた底の底に、ビックリするものが見えたりすることもあります。
あ~・・・これが根っこだったのかぁ・・・って。
自分の感情を許してるから、夫や子供たちにも
「泣いてもいいよ」
「怒っていいよ」
「イヤならそれでいいよ」って言えるようになりました。
これ続けてきてみて、自分のどんな感情も否定しないで感じきるってね、
すごく自分を大切にしてあげることなんだなぁ・・・って気づいたんです。
人間として生まれて、『自己否定』って絶対やっちゃいけないことだったんだと。
離教して、恨みや憎しみにさいなまれ続けてる人もたくさんいます。
でもね、それはそのままでいいんじゃないかなって思うんです。
結構、早くにその段階から抜け出ることができた私には、恨むことで教会に縛られててもったいないなぁ~・・・って思うけど。
いや、でも、完全に恨みがなくなったかというとそうではなくて、ふとした時に教会や教祖に対する怒りや憎しみの感情が湧いて来たりしますそんな時はフタしないで感じきるって作業をしています
せっかく覚醒できたんだから、そこに縛られないで
“今”自分の手の中にある幸せに目を向けてほしいなって思いますけどね
でも、それも無理して目を向ける必要はないかな・・・と。
教会の中でね、本当にたくさん心に傷作ってきちゃったと思うんです。
だって、自分の存在そのものまで否定してきちゃったんだから・・・
それが癒されるのって相当時間かかると思うんです。
だから、本人の気が済まないものは仕方ない。
教会の中で「良かった」ことに目を向けるのも、すごく勇気が要る。
それを認めると被害者でいられなくなるから。
被害者で居続けたい人にとっては、避けたいことだと思う。
だから、とことん“被害者”でいたらいいんじゃないかなって。
自然に「もういっか」って笑える日が来るまで、
とことん恨んで、とことん怒って、溜め続けてきた毒吐いて、
ポイって捨てられるようになれば、勝手に前向いて足進められると思うから。
もう不幸の道へ強制するものはないんだから
自由に選べる“本来の自分”に戻れたんだから
何をどう選んで生きていくかは、自分だから