夫はまだしも、子供への愛情まで冷めてしまったのは自分自身、驚愕だったし、そして苦しかったです。

自分の子供なのに、祝福に意義を見出せなくなったことで愛せなくなるなんて

最初から私は子供たちを愛していなかったのかもしれないって悩みました。

でも、これに対するハッキリとした答えを得る出来事がありました。

 

子供の幼稚園で出会ったママ友。ママ友から“友達”になれた貴重な存在の2人がいます。

その友達2人とランチしてた時、ひとりが言ったんです。

「友達や親戚の赤ちゃんを見た時、“赤ちゃんってかわいいな”って思ったけど、 自分の子供を抱いた時“自分の子供ってこんなに可愛いんだ・・・。なんて可愛いんだろう・・・”ってしみじみ思った。あの瞬間、すごい幸せだった」って。

 

この言葉を聞いた時、はっとしました。

同時に軽くショック。

 

私、その気持ち味わってない・・・

 

こうやって文章にしてるだけで涙があふれるくらい切ないです。

 

だって、分別されませんでした?

自分の子供だと思っちゃいけないって。

神様の子女だから。

祝福2世は真のご父母様の子女だから。

天の子女をお預かりして、私たちは養育させていただくだけなんだって。

妊娠中から分別してきました。

奉献式で「この子は神様の子供です」「お預かりして大切に育てさせていただきます。」って。

「私の子供だ」って思いを持たないように、自分の感情を文字通り『コントロール』して。

いつかみ旨のために献身できる天の子女に育てあげなくてはいけない。

顯進ニムをお支えできる2世としてしっかり教育していかなくてはいけない。

そんなことばかり考えながら。

 

これで気付いたんです。

私、自分の子供たちを「私の子供だ」と思ったことなかったって。

 

 

いいの?私の子供だと思って。

この子たち、私の子供として愛して育てていいの?

 

・・・いいんだ・・・私の子供なんだ。

私がお腹を痛めて産んだ私の子供なんだ・・・

 

 

もう号泣ですよ^^;

 

気付いたこの瞬間からやり直しです。

 

子供たちを一人ずつ抱きしめて

「あなたはお母さんの子どもよ」

「お母さんの大切な宝ものよ」

「お母さんのおなかから生まれた大切な大切なお母さんの子供よ」って言いました。

 

子供たちは「なに?どうしたの?」とビックリしながらも

「うん!お母さん、だい好き!」と抱きしめ返してくれました。

 

マコトノゴフボサマから、子供たちを取り返した瞬間です!(笑)

 

 

でもね、友達が言うように生まれたての我が子を『自分の子供』として

“自分の子供ってなんて可愛いんだろう”・・・って思ってみたかったなぁ・・・。

 

悔しいですね。

 

 

 

・・・続きます