血統転換なんて妄想、祝福なんて意味のないもの
そう気づいてからは、生活のすべてが枯れていきました。
統一教会の信仰に関係なく、私は 文字通り命がけで私を産んで育ててくれた母が大切で、母のためなら死ねると思って生きてきました。
40過ぎて一人娘の私を産み育ててきた両親だったので、「この親は私が背負っていかなきゃいけない」と思ったのは中学生の時です。
親が働けなくなったら、私がひとりで家計を担っていかなきゃいけないと思ったのは高校生の時です。
結婚なんて考えていませんでした。
だって、私と結婚するってことはもれなくこの親がついてくるんですから^^;
でも、祝福で結婚することになりました。
もう軽度の認知症を発症していた母を父ひとりに任せて家を出なくてはならなかった。
本当は、私の地元で家庭を持ちたかったけど、舅は長男である主人には地元を離れてほしくない思いがあり、主人にもその勇気はなかったので・・・
正直、もうそれだけで主人や義両親には軽く恨みがあるわけです。
それを「祝福のため」「み旨のための供えもの」として押し殺し、無理やり感謝して主人の地元で家庭を持ちました。
それが、何の意味もなかったとなれば・・・私は一体何のために親を捨てたのか?
私はなんでここにいて、この人たち(子供も含む)のご飯を作って、掃除をして、この人たちの服を洗濯して・・・ってやっているんだろう?
もし、祝福でなかったら、私の地元で好きな人と結婚できたかも・・・
そしたら、親も捨てなくて済んだ。両親に寂しい思いをさせずに済んだ。
母を一人で孤独に死なせずに済んだかもしれない・・・
いやいや、どうなってたかなんて実際はわからないけれどね。
たぶん、今でも独身だったんだろうなぁ~(笑)
自分でも驚いたのは、子供たちへの愛情まで冷めてしまったことです。
私って冷酷な人間なのかな・・・って思いました。
母親になる資格なんてなかったのかも?って。
こんな私に育てられる子供たちって可哀想じゃない?
本当に悶絶に次ぐ悶絶。
すごい葛藤の連続でした。
・・・続きます。