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きまぐれに
書きなぐります。

  日本人学校へは9時頃に予約の電話を入れた。教頭先生が快く訪問を認めてくださった。
 「生徒がいない時、門番は中に入れてくれるんですよね」

 10年前、「聞いていないから」という理由で門番が日本人学校運営委員長でもある大使館公使を追い返したことがある。
 生徒が下校していなくなると日本人学校の校庭は付近のロシア人の遊び場所になる。つまり生徒がいなくなると門番は外部者の立ち入りを止めなかったのである。

 「門番には言っておきます」という返事。

 日本人学校は金網に囲まれている。出入り口に門番がいる。
 「ズドラーストヴィチェ。ヤー ラボータル ヴ イポンスカィ シシコーレ ジェーシャチ リェット ナザート。シボードニャ  ヤー ツリースト。パズバニール ランシェ。」
 「今日は? 私は10年前日本人学校で働いていました。今日は旅行者です。少し前に電話しました。」
 門番はボックスに入って電話で確かめている。そして
 「どうそお入りなさい」
 「10年前ですか」と笑顔。
 「入り口は変わっていませんか」
 「変わっていなければわかります」
 「いや、変わっています。こちらからどうぞ」

 入り口を入ろうとすると、机があってロシア人が座っている。
 笑顔で迎えてくれる。きっと教頭先生が伝えておいてくれた門番だろう。
 
 「レモント(工事)中でごたごたしていますが」と教頭先生が親切に校舎内を案内してくださった。
 生徒数は私が働いていたころと同じ程度で100余名。10年前は2~3台だったコンピュータがたくさん並んでいた。

 その間アリョーシャは外で待機。妻はスケッチである。

      
        
     日本人学校である。もう少し左に行くと門番のいる入り口になる。
 10年前に比べると外観も綺麗になっている。     
 

        
     日本人学校はグラウンド側から見ると左右対称になっていて、これが昔の入り口。今の入り口は写真を撮っている手前側に変わった。     
 

        
     これが今の入り口。工事中で業者の車が止まっている。     
        
 

 

       
     私が指導した懐かしい作品があったので撮影させていただいた。
 下の出っ張った部分。左側が昔の出入り口。右側が今の出入り口である。     
 

        


     グラウンドである。遊具など新しく綺麗になっていた。     
        
 

   
 一番感激したのが、この校門を出た前の道。ここはデコボコで、雪解け時には大きな水たまりができたものである。


 10年前の冬の写真はこちら
 雪解けですが、溶けて水たまりがたくさんできています。

 舗装してなかったから水が溜まっているのです。


 この道、左に行くとレニンスキー・プロスペクト。
 まっすぐ行くとウーリッツァ・クルプスコイ(クルプスカヤの道)
 クルプスコを右に行くとヴェルナツカヴァ。
 クルプスコイの1本南の道はウリヤノーヴァィ(ウリヤノフの道)
 どういうわけか、日本人学校の周囲の道はレーニン一家の名前がついている。