『映画監督になりたくて芸⼤受験⼀筋も、
受かったのは佐賀医⼤だった 。』
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
URL:https://www.kyoto-shinwa.com
以下、パナシェ熊五郎様の貴重な投稿内容でございます。
ご覧頂ければ幸いです。
有難うございます。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
m3サイトは会員制で会員の方々しか見れませんが、
m3の許可を得て、特別に京都木原病院のホームページ、
木原院長のホームページ(K-method)、
木原院長のインスタで見ることが出来ます。
このブログでは木原院長の了承を得て、
この記事を公開しております。
京都】3⽉に新築移転、今後は整形外科専⾨病院に
⽣まれ変わる-⽊原俊壱・京都⽊原病院理事
⻑・院⻑に聞く◆Vol.1
スマホでは全文が読めないため、ここをクリックしていただくと、オリジナル記事をPDFをダウンロードした上 でご覧になれます。
映画監督になりたくて芸⼤受験⼀筋も、
受かったのは佐賀医⼤だった m3.com地域版
古刹「東寺」のすぐ近くに位置する京都⽊原病院(京都市)は、
脊椎脊髄疾患の治療をメインで⾏っている医療機関である。
同院は、建造物の⽼朽化に伴う修繕箇所の増加や耐震改修の
必要性などがあり、2024年3⽉15⽇に新築移転した。
同院の理事⻑・院⻑⽊原俊壱⽒は、脳神経外科医でありながら
脊椎脊髄⼿術を専⾨に⾏っている。⽊原⽒に脳外科専⾨医を
⽬指した経緯や脊椎脊髄⼿術に携わるようになった経緯、
新病院の概要や新たな取り組みについて聞いた。
(2024年4⽉15⽇インタビュー、計2回連載の1回⽬)
▼第2回はこちら(近⽇公開)
――⽊原先⽣が医師を⽬指した経緯をお聞かせください。
⾼校時代は映画監督に憧れており、⼤学受験は芸⼤⼀筋でした。
しかし、1982年に3度⽬の正直で合格したのは、映画監督科ではなく
佐賀医科⼤学医学部でした。私は特に医師になりたいという思いもなく、
ただ友達に誘われたことがきっかけで医学部に⼊学しました。
――医学部に⼊学後は、映画監督になる夢を
すっかり忘れることができたのですか。
⼊学してからも、映画監督になりたい夢は
頭の隅っこに残っていました。
しかしそれ以上に救急蘇⽣や命を救うことに魅⼒を感じ、
漠然と脳神経外科医や⼼臓外科医なればよいと考えていました。
――⼤学卒業後からの経歴や仕事内容について教えてください。
1988年に佐賀医科⼤学医学部を卒業し、
同⼤学の研修医として⼊局しました。研修医の頃は、
⼟⽇深夜関係なく24 時間365⽇ポケットベルが鳴ると
すぐに⼤学病院に⾏く⽣活でした。給料が少ないため、
週末には別の病院で救急当直を⾏うこともありました。
1991年からの1年間は聖マリア脳神経外科センターの
救命救急の現場で働きました。救命救急の現場では、
患者の命を救うために全⼒を尽くしました。
しかし、多くの場合、患者が重症の状態になると、
植物状態になる可能性が⾼く、それが家族や私にとって
苦悩の種になりました。
そして悲しい最期を迎える患者の姿を数多く⽬にし、
無⼒さと⾟さを感じるばかりでした。
1994年に⽶国カリフォルニア州ロマリンダ⼤学へ
留学しました。⽶国では、脳神経外科⼿術の7割以上が
脊椎脊髄⼿術であることに私⾃⾝が共鳴し、
脊椎脊髄⼿術に携わるようになりました。
その後脊椎脊髄⼿術の症例数を重ねていく中で、
⼿術時間が約5時間と⻑く、さらに術後の副作⽤が
多いことに気づきました。そのことがきっかけで私は、
従来の脊椎脊髄⼿術より副作⽤が少なく、
⼿術時間も約2時間短縮可能なK-method
(低侵襲頚椎椎⼸形成術)を開発しました。
1996年に佐賀医科⼤学病院へ戻りましたが、
国内には脊椎脊髄⼿術が⾏える脳神経外科施設が
ほとんどありませんでした。
1999年に私は思い切って医局を⾶び出して
⼤津市⺠病院へ⼊職し、そこでK-methodによる
脊椎脊髄⼿術の実践をさせてもらいました。
⼿術件数が1000件超えた頃には、この⼿術への
信頼度が⾼まり、その後も全国から患者がこの⼿術を
求め来院され、1万例を達成できました。
2013年4⽉には、医療法⼈新和会吉川眼科病院と
経営統合し、京都脊椎脊髄外科・眼科病院として
名称変更し理事⻑・院⻑に就任しました。
その後病院名を京都⽊原病院へ変更。
2024年3⽉には新築移転しました。
――京都⽊原病院の歴史と概要について教えてください。
当院は、2013年に京都脊椎脊髄外科・眼科病院へ
名称変更してから、2018年に眼科医の吉川太⼑夫⽒が
眼科クリニック開設により独⽴され、
京都脊椎脊髄外科・眼科病院は京都⽊原病院へと名称を変更しました。
そして、2024年3⽉15⽇に、旧病院から新病院へ新築移転しました。
現在の京都⽊原病院の病床数は47床、
診療科は脊椎脊髄外科を主に展開しています。
今後は、脊椎のみならず膝・股関節などの
⼈⼯関節を中⼼とした整形外科の専⾨病院に
⽣まれ変わる予定です。
職員数は新病院への移転に伴い増員中で、
現在は約50⼈です。
医師は常勤5⼈(脳神経外科医4⼈、⿇酔科医1⼈)、
⾮常勤は夜間当直のアルバイトのみです。
京都⽊原病院(旧病院)の脊椎脊髄疾患の⼿術実績は、
2022年度が611件、2023年度が623件です。
また2023年度の1⽇平均における患者数は外来が38⼈、
⼊院は35⼈です。
このうち京都府以外の患者割合は73%です。
――新病院の構想は、前⾝の京都脊椎脊髄外科・
眼科病院を開業された2013年当初から持っていたそうですね。
私⾃⾝、開業前は⼤津市⺠病院の⼿術部診療部⻑として
勤務しており、病院経営は未知の分野でした。
開業と同時に理事⻑・院⻑に就任した当初病院経営は
⼿探りの状態でしたが、10年ぐらい経験を積めば多くの
ノウハウを得られるだろうと考え、
そのタイミングで新たな病院を建てることを決めていました。
――新病院の特徴について教えてください。
新病院は、地上6階建てで、延べ床⾯積は
約5058平⽅メートルと広⼤な敷地を有しています。
JR京都駅から徒歩8分です。
また、院内の設計は、これまでの私の経験から 得た知識を反映しています。 その1つが、計47床の完全個室にこだわり、 その過半数を無料個室にしています。
以前の病院では⼤部屋がありましたが、 室内の温度調節やいびきなどの⾳によって、 患者同⼠の関係性に問題が⽣じることがありました。
そのため、新病院では患者のプライバシーと快適さを重視し、 完全個室を採⽤しました。
個室にすることで、患者同⼠のコミュニケーションを 妨げる要因を排除し、環境の質を向上させることができると考えました。
病室 ――広⼤なリハビリ施設も完備されたそうですね。 今後どのような計画があるのでしょうか。
屋内では、30メートルダッシュができるスペースも確保し、 プロスポーツ選⼿やオリンピック選⼿のリハビリに 対応できるようにしています。
リハビリスタッフには、メジャーリーガー・ 前⽥健太投⼿が⾏っているストレッチ「マエケン体操」を 考案した荒⽊和樹⽒を招き、現在多彩なリハビリプログラムを考案中です。
また、スポーツ栄養の指導ができる栄養⼠を積極的に採⽤しています。
リハビリ室 ――医師の採⽤については、ご苦労などありますか。 現在在籍中の常勤医師4⼈の採⽤については、 副院⻑の⻄岡和哉⽒と⾚塚啓⼀⽒は、 ⼤津市⺠病院勤務時代共に働いていた同志で、 快く当院で働くことを了承してくれました。
また岩下英紀⽒は、私と同じ佐賀医科⼤学医学部出⾝で、 脊椎専⾨医を⽬指しており、同⼤学病院の医局を わざわざ⾶び出すまでして私の病院に来てくれました。
このように、ご縁に恵まれ新病院をスタートすることが できましたが、同じような志を持つ医師に1⼈でも多く この事業に参画していただきたいと考えお待ちしています。
また、今後整形外科専⾨病院として⽣まれ変わる予定ですので、 整形外科専⾨医を現在募集しているところです。
⼀般的には整形外科専⾨医の採⽤は難しいとされていますので、 以前のように知り合いや、 出⾝⼤学の友⼈もたどっていくつもりです。
――整形外科専⾨病院へ⽣まれ変わるという 決断をされた背景にはどのようなことがありますか。
当院のような脊椎・脊髄専⾨病院で多くの患者を 診察していると、膝や股関節の悪い患者が多くいます。
そのような患者から、脊椎・脊髄を良くしてもらったので この病院で膝や股関節の痛みを治してもらえないかと頼まれます。
そういった背景から脊椎・脊髄専⾨病院に加え、膝や股関節などの 四肢運動器の治療を⾏えば、同じような症状で悩まれている 多くの患者の⼿助けができると考えました。
――現在、課題と感じていることはありますか。 当院は、京都府内の患者割合が27%(2023年度)と少ないです。
そこで、脊椎脊髄疾患の早期発⾒、予防を⽬的とした、 年1回の脊椎ドックを推奨しています。
2023年度の脊椎ドックの受診者は315⼈で、 京都府外の⽅が多かったです。
今後は、「100まで歩こう」をスローガンに 京都府内を含めた受診者が、脊椎脊髄の症状がない時から 脊椎ドックを受けてもらえるように啓発していきたいと思います。
◆⽊原 俊壱(きはら・しゅんいち)⽒ 1988年佐賀医科⼤学(現︓佐賀⼤学医学部)卒業後、 佐賀医科⼤学脳神経外科研修医⼊局。 その後、佐賀県⽴病院好⽣館脳神経外科研修医⼊局。
1989年同⼤学研修医(脳神経外科、消化器外科、 ⿇酔科、胸部⼼臓外科)。1990年有⽥共⽴病院脳神経外科⼊職、 1991年聖マリア病院脳神経外科⼊職。
1992年佐賀医科⼤学(現︓佐賀⼤学医学部)医員⼊局後、 同⼤学⽂部教官助⼿。 1994年⽶国カリフォルニア州ロマリンダ⼤学留学。 1999年⼤津市⺠病院脳神経外科医⻑⼊職。
2005 年同病院診療局⼿術部診療部⻑(兼脳神経外科医⻑)就任。
2013年医療法⼈社団親和会京都脊椎脊髄外科・眼科病院 (現︓京都⽊原病院)理事⻑・院⻑就任。 【取材・⽂=⽥中 嘉尚(写真は病院提供)】
小生は医療関係者、医療従事者ではありません。
京都木原病院の院長とは親しいため、 告知のお手伝いをしているだけです。
頸椎、腰椎、胸椎の悩み、首の痛み、手足の痺れ等、症状のある方は 直接、京都木原病院へお問い合わせください。
小生の知り合いは、 病院に直接ご紹介することもできますので、 Facebook、インスタグラムでご連絡ください。
|