【 平安京が、現代に蘇るかも🦆!?高陽院(かやのいん)発掘調査が始まります。 】


〜『平安京左京二条二坊十町(高陽院跡)』〜


2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」。 

皆様、ご覧になっていますか!?


吉高由里子さん演じるまひろ(紫式部)を主人公に、ソウルメイトの藤原道長をはじめとする濃厚な人間模様が描かれています。


 和歌や漢詩、習俗や有職故実など平安時代らしいエピソードもふんだんに盛り込まれ、アートや古典文学の愛好者を喜ばせている様です。


そんな時に京都市内で、時あたかも平安時代にタイムスリップでもするかの如く高陽院(かやのいん)の発掘調査が始まりました。


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調査場所:京都市中京区竹屋町通堀川東入る     (番地の詳細は不明ですが、付近の施設     として、二条城があります。地図参照)


調査期間:2024年(令和6年)

     5月20日〜6月28日(予定)


調査団体:特定非営利活動法人 平安京調査会

     京都市北区上賀茂狭間町9番地3号室


電話番号:075-334-5680(添付 写真参照)


担 当 者:吉崎 伸 様 090-1906-0619


『何かございましたら、担当者携帯まで連絡ください。』と看板(写真)に表示されています。


※ 事前に担当者まで連絡すれば、見学することは可能です。と担当者から伺っています。(修)


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【スポーツサイクル  ヤマネ(隣接するお店)】

住所:〒604-0075   

   京都市中京区竹屋町通堀川東入る503番地

    (竹屋町通油小路西入る西竹屋町503番地)


代表者:山根 一人(やまね  かずひと)


TEL :075-231-3347

FAX :075-231-8155


ホームページ    http://www.sc-yamane.com


定休日:木曜日


※ スポーツサイクル  ヤマネ 店主の山根さんは、明治35年創業の第四代目の店主で自転車🚲を扱う方ですが、歴史に関しても造詣が深く、高陽院(かやのいん)の発掘調査が始まったことを大変喜んでいらっしゃる様ですので、地域に於ける歴史的な事象をお聴きすることが出来るかも🦆知れないです。

知らんけど。(笑い😁)


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投稿日時:2024年(令和6年)5月25日(土)

     午前9時50分


投 稿 者:京都府亀岡市 斎藤 修(おさやん)


現場は、『堀川丸太町通』の交差点、堀川の東側道路(南側行きの一方通行)、二筋目👀の東側行きの一方通行道路を利用して伺うことが出来ます。











この道路は、一方通行(東側方面行き)となっていますので、ご注意願います。

写真撮影年月日及び時刻は、
2024 年(令和6年)
5月24日(金)
午後17時52分の状況です。

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【 参考資料 】高陽院(かやのいん)

※ 以下、インターネットから検索しました。


高陽院(かやのいん)は、平安京にあった里内裏のひとつ。賀陽院(かやのいん)ともいう。

西洞院大路の西・大炊御門大路の北に位置する、南北4町の大規模な邸宅だった。

沿革当初は桓武天皇の第七皇子・賀陽親王の邸宅で、中御門南、堀川東にあった。その後所有者は転々とした。


保安元年(1021年)摂政 関白・藤原頼通は、この地を大いに気に入り、敷地を倍に広げて豪華な寝殿造の建物を造営した。

『栄花物語』によれば寝殿の四方を池に囲まれたつくりだったといい、藤原実資の日記『小右記』にもその豪華絢爛なさまが描かれている。

『駒競行幸絵巻』には万寿元年(1024年)に後一条天皇の行幸をあおいで催された競馬の模様が描かれている。頼通はここを拠点に長期政権を運営したが、宇治平等院に引退した後は、その所有権は摂家当主に継承させるものの、邸宅自体は里内裏として提供することとした。


これを受けて後冷泉天皇以後5代の天皇がここに居住し「累代の皇居」と呼ばれた。

鳥羽上皇の皇后となった藤原泰子(頼通の曾孫にあたる摂政関白・藤原忠実の長女)に「高陽院」の女院号が与えられたのも、ここに居住していたことに由来する。

その後、長暦3年(1039年)、天喜2年(1054年)、承暦4年(1080年)、天永3年(1112年)に焼失したがその都度再建された。

鎌倉時代に入ると後鳥羽上皇が院御所として院政の拠点とし、承久3年(1221年)に承久の乱につながる謀議を行ったのもこの高陽院だった。

承久の乱後の貞応2年(1223年)放火にあい焼亡、以後再建されることはなかった。今日では丸太町通堀川東入ルにあるマンションの一角にある「高陽院邸跡」の銘板がわずかにその名を留めている。

発掘調査昭和56年(1981年)から数次にわたって京都市埋蔵文化財研究所による発掘調査が行われた。その結果庭園内の池の北岸と南岸の州浜が確認され、南北約140mという平安京では最大規模の巨大池だったことが明らかになった。


・・・と、以上の様に記述されています。