心の循環型社会の構築 ~ボランティア活動再考~ | 佐渡の洋食屋店長のブログ

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まず、ボランティアとは何だろう?

~Wikipediaより引用~
語源
volunteerの語の原義は志願兵であり(反語がdraft―徴募兵)、英語圏では活動自体のことではなく自発的に奉仕・労働する人のことを 指す。歴史的には騎士団や十字軍などの宗教的意味を持つ団体にまで遡る事ができる。語源は、ラテン語の自由意志「voluntas」。
言葉の用例
アメリカなどでは、日常的に使われる語である。たとえば、学校の授業でロールプレイング(役割演技)をするときに、前に出てやってくれる生徒を募るときに、先生は「Volunteer?(誰かやってくれる人は?)」と言う。
また英語圏では現在でも本来の語義通り志願兵あるいは義勇兵の意味でも使われ続けている。一部では傭兵(mercenary)の中で対価が極端に低い、いわゆるcheap mercenaryをvolunteerに含めてしまう場合もあるが一般的ではない。
動員・勧誘・強制などによる活動への参加は、本人の純粋な自由意思に基づかないので、厳密にはボランティアとは言えないが、日本では奉仕活動の同 義語、無償で労働する意味の表現としてボランティアと呼ぶ場合もある。これは語源からすると明確な誤用だが、誤用のまま定着してしまっているのも事実であ る。
このように日本では奉仕活動として受け取られているが、ボランティアは謙譲(奉仕)の精神がなく、人に対するボランティアでは相手と対等である。また「無報酬」という認識が強く、自発的でなくともボランティアと用いる場合がある(=ただ働き)。
~引用終わり~



今までの活動で「ボランティア」が多々ありました。
観光協会、商工会、青年会議所などの公共活動、春日神社能舞台のHP作成、真野宿泊同業組合HP作成、あるNPOの活動補助などもそう。これら、すべて無報酬でやっていた。費やすのはお金であったり、時間であったり、労働力であったり・・・様々な形で携わりました。
もちろん、これからもボランティア活動はします。


先日書いた日記のコメントで、私の知人であり、仲間であり、よきアドバイザーでもあり、マイミクでもあり、先生でもある方から、とても感銘を受ける言葉をいただきました。

「自己犠牲の上に他人の幸せが構築されるのであれば、苦しむ人は消えない」

まったく、その通りです。

いや、もちろん自己犠牲的活動がなければ、世の中上手く回りません。観光協会、商工会などの活動はまさにボランティア活動(任意とはいえ、半分強 制的でもある団体かもね。)の賜物であり、青年会議所やライオンズ・ロータリークラブなどは互いが多額の資金を出資しあいながら、ボランティア活動をして いるのですから。

先日の日記で「自分の為」と書きました。
自分の為というのは、悪い意味ではありません。
「自分の為」と「自分だけの為」とは意味が違います。「自分の為」というのは、結果的に他者の為になったりもします。「自分だけの為」というのは他者には悪影響があっても、良い影響は与えないということです。

「自分の為」と「ボランティア」をどう結びつけるか?
労働力に対しての報酬は決して『お金』じゃなくても良いのです。例えば、「やりがい」であってもいいし、「他人からの感謝の気持ち」であってもいいし、「自己満足」であってもいい。すべて気持ちの問題なのです。
私はこれを「心の循環型社会」の実現と名付けたい。。。

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