組織で働く者はすべて組織のメンバーとしての“役割”をもっている。そして、その“役割”のすべてに達成すべき成果と責任が伴う。今回は、組織における“役割”について考えてみたい。
“役割”とは、組織の中で割り当てられた役目のことで、ある目的に応じて果たすことを求められている事柄である。
もうずいぶん前の話であるが、演劇で身を立てようとしていた青年が、親の商売を継がざるを得なくなって、悩んでいた。酒を飲んで、愚痴っていると、演劇仲間がこういったという。「演劇だって同じだよ。やりたい役でなくても、一生懸命に演じてきたじゃないか。お前ほどの役者だ。役回りだと思って、その役を演じ切ったら、どうなのだ・・・・・」 その後、その人はその役回りを演じ切って、立派な社長になったという。
私の父が裁判官だった頃、「人が人を裁けるのか?」と訊ねたら、「裁けるわけがないだろ。裁くのは仕事だ」といった言葉と重なり、よく覚えている。
組織で働く者は、組織での“役割”がある。場合によっては、一人で二役、三役ということもあるだろう。もちろん、好きな役回りばかりとは限らない。むしろ、そうでないケースの方が多いだろう。“役割”への好き嫌いは二の次。先ずは、その役を演じ切ってみることだ。
役を演じるときに留意すべき点が二つある。一つ目は、あらゆる“役割”に、あるべき姿があるということだ。そして、役を演じ切るということは、「あるべき姿とは何か」を常に探求し、そこへ近づけるように思考し、行動することである。
二つ目は、“役割”は分担化されており、他の“役割”との関係性において全体的価値を創造していくことになる。つまり、“役割”を担う者すべてが、お互いの“役割”を理解し、協力し、切磋琢磨するとき、もっとも生産的な関係が生まれるのである。
日々、仕事に追われ、忙しくしている人が多いと思うが、暫し手を止めて考えてみよう。自分の“役割”のあるべき姿は何か?現状との差はどれくらいあるのだろうか?その差をいつまでに縮めようとしているのか?
また、他の者が担う“役割”との関係性についてはどうだろう。どんな協力関係が存在しているのだろうか?それは常日頃から、確認し合いながら、お互いの“役割”を演じてきたのだろうか?
誰もが“役割”に対して、十分な認識を持ってなかったとしたら、大根役者揃いの一座と同じで、客は呼べない。興行が成り立たないことになる。
“役割”という視点から、改めて組織と自己との関係性を考えてみたい。
(H23.6.13)