「“矜持”!」という言葉に、いつ頃出逢ったのだろう・・・・・。若い頃に仕舞い込んだまま、すっかり忘れてしまっていた宝物に再会したような気分である。


 去年の春、自らの母校である明治大学ラグビー部の監督に就任した吉田義人氏の次の言葉を紹介したい。「私の座右の銘は、“矜持”です。部員一人ひとりに伝統ある明治ラグビー部の一員であるという“矜持”を持ってもらいたいと思っています・・・・・」。


 “矜持”とは、「誇り・自負・プライド」という意味である。戦後の高度成長期の歪みと共に、学生運動が激化した70年代に学生だった私たちの世代は、誇りやプライドという言葉に対して、妙にネガティブなところがある。


 その背景には、自己批判や総括という言葉が流行り、その時代を否定するようなイデオロギー的な風潮があったからであろう。それに、プライドという言葉は何かエゴ的な臭いがしていたし、人を見下すような傲慢さを感じるし、下手すると慢心に陥ってしまいそうな気がしていたと思う。だからプライドに触れたいときも、一々「良い意味でのプライドが必要だ・・・・・」というような断りを、無意識に入れていたようだ。


 なぜ、宝物との再会したような気分なのか?吉田監督が座右の銘としている“矜持”という言葉は、エゴや傲慢や慢心とは無縁なような気がしたからだ。むしろ連帯感や責任観念のようなものを感じることができた。


 明大ラガーマンとしての“矜持”、日本人としての“矜持”あるいは人間としての“矜持”・・・・・いずれも自分だけではない。そこには、代々培ってきた伝統への尊敬心、そしてそれを継承し、さらに進化させていこうという自負心、次なる世代への責任観念等々。私たちが小さい頃に教えられた“矜持”には、そんな意味が込められていたのであろう。今の時代、「日本人としての“矜持”を持ちなさい」「何々家としての“矜持”を持ちなさい」という教えを誰が、何処でやるのであろうか。


 同監督がもう一つ大切にしている座右の銘は、「本物・本流・本筋」だそうだ。「つねに本物でありたい。本流を歩みつづけたい。そして、本筋を貫きたい」という。全くの同感である。また、そうでないと“矜持”を持ち続けることはできない。その意味において、これら二つは対であると考えたい。


 企業は今、大変厳しい環境にある。そのような中で、存続し続ける組織とは何か。組織構成メンバーの一人ひとりが、その組織の一員としての“矜持”をもって、「その組織らしさ」を大事にして、精進する組織ではないだろうか。

 企業人こそ、ここでいう“矜持”を熱く語る人であってもらいたいと考える。

(H22.2.22)