前回のテーマであった仮説と対の概念である“検証”について考えてみたい。


 私たちの事務所では、毎年この時期に、給与改定(年俸制)のための個別面談を実施している。そこで、自らの一年を振り返っての自己評価諸表を提出してもらっている。いわゆる、成果に対する自己“検証”である。


 プロ野球の契約更改みたいなもので、来年以降の自らの処遇(年俸など)が決定付けられる大切な一日であるはずである。しかし、準備不足というか、甘い。しっかり戦って、好条件を勝ち取るという気迫が足りないと思う。


 例えば、「自己申告表」というものがある。次年度年俸の要求額を明示するものであるが、そこに一年間を通して担った仕事の量と質についての5段階評価の項目があるのだが、中間位の「適量・適当」の欄に安易にマルをつけてしまっている人が多い。「なぜ、そうなのか?」と評価の基準を聞いてみると、案の定、明確な答えが返ってこない、曖昧なのだ。


 つねにチャレンジし続けた一年であれば、自ずと「多すぎる・難しすぎる」という最高位にマルがあるはずだ。もちろん、その根拠も具体的に説明できるはずである。これに関連して、小さなコメント欄がある。一年間の出来事をまとめるには余りにも小さすぎるスペースであるにもかかわらず、収まっているのもおかしい。別紙を添付するぐらいの真剣さが欲しいと思う。加えていうと、最後に上司のコメント欄があるのだが、白紙。「後押しの一つぐらいやってやれよ!」と気合を入れたくなる。


 仮説(目標)を立てるのに、かなりの時間を費やしているにしては勿体無い話だ。原因は“検証”の拙さであろうと想像がつく。仮説と“検証”が連動していないのである。


 “検証”のタイミングには、二段階がある。第一段階は、仮説を立てた時点。これは、仮説の実行可能性の視点から行う“検証”で、必要なデータを収集し、分析する手法であるが、他の人も混じってもらい、徹底したディスカッションで行うとより効果的である。これは実践への意欲を駆り立てることになる。


 第二段階は、結果の“検証”である。仮説を実行した結果、思い通りにいったのか、そうでなかったのか、差異の原因の“検証”を行うのである。この“検証”は、次の仮説を構築するためのフィードバック機能を働かせるために極めて重要である。また、“検証”の精度を高めるためには、実行プロセスの忠実な記録が要求される。


 「仮説と“検証”は対概念である」と冒頭に述べたが、確かに、仮説力に優れている人は“検証”が実にうまいし、その重要性を強く認識している人でもある。


 “検証”は、「仮説~実践~検証」のサイクルをまわす要だといえよう。

(H21.12.28)