改めて“関係性”について考えてみたい。


 以前に、「問題はすべて、“関係性”の拙さから引き起こされている」と述べたことがある。仮にAとBの間に揉め事が絶えないとすれば、それはAとBの関係性が良くないからである。


 「態度が気に入らない!」「事前の報・連・相がない!」「挨拶がなっていない!」「自分の損得しか考ない人だ!」「どうも好きになれない!」等々揉め事の現象的理由を並び立てて対処しようとしても根本原因を取り除かない限り、もぐら叩きをやっているようなもので現象に振り回されるだけ。事態はいっこうに良くならない。


 改めていうが、「あらゆる問題の根本原因には、必ず“関係性”の問題がある」。この命題は、「問題解決とは、“関係性”の再構築から始める必要がある」ということを示唆している。そこで、“関係性”の再構築の仕方が問題になる。どうすれば“関係性”の再構築はうまくいくのだろうか。


 仮に、AとBの“関係性”が悪化したとしよう。その時、必ずといってよいほど、AもBも「相手にその原因がある」、「悪いのは相手。だから、変わらなければならないのは当然相手であって自分ではない」と考える。そこに、お互いの“関係性”を修復できない難しさが潜んでいる。


 なぜ、「悪いのは自分である。自分の中に、問題の元凶がある」と思えないのだろうか。それは、現代人の多くが分離思考の価値観を身につけているからだ。本来、分離して考えることができない“関係性”であるにもかかわらず、自分と他人を分離して捉え、自分の目先の損得を優先してしまう。だから、自分に不都合なことを自分の問題だと思いたくない。責任はぜったいに取りたくないと考えてしまうのである。


 でも、考えてみよう。お互いの言い分をぶつけ合うことによって、物事がうまく解決できた試しがあるだろうか?否である。お互いの“関係性”の修復どころか憎悪だけが残り、周囲にも不快感をまき散らす結果になっていないだろうか。


 このように考えていくと、“関係性”の再構築には自らの価値観を徹底して見直してみる必要がある。自分本位な考え方しかできない価値観では、他との実りある“関係性”を築くことは到底できないだろう。しかし、他との“関係性”を実りあるものにしない限り、生産的になり得ないのが人間だ。


 現代人は、分離思考的な価値観であるがゆえに、自滅的である。つまり、自己への執着心が強いゆえに、他との建設的な“関係性”を築けず孤立してしまい、非生産的な行為をしてしまっている。

(H22.10.4)