“主人公”とは、小説や映画などのストーリーの中心となる人物のことで、その役割を演じる者を主役という。
学生の頃、オールナイトが流行って、高倉健主役の番外地シリーズなどを一晩で数本続けさまに観ると、少し異様な感じだが、映画館を出るときには全員が健さんのなりきっていて、肩で風を切って歩いていたのを思い出す。
人間だれもが“主人公”願望を持って生きていると思う。だからこそ、小説を読んでも映画を観ても、その中に登場する“主人公”に同化するのだろう。一人ひとりが自分の人生を生きているのだから、そう思って生きるのは当然だと考える。そこで、考えてみたい。人生の大半を占める仕事においてどうだろう?どれだけの人が「仕事の“主人公”は自分である」と考えて、日々仕事に取り組んでいるのだろうか。
意外と、受身になっている人が多いような気がする。「給料が低い・・・・・」「くだらない仕事が多すぎる・・・・・」「面倒な仕事だ・・・・・」「残業が多すぎる・・・・・」等など、やらされ感が強く、上司や他人のせいにしている。
仕事の“主人公”が自分であるならば、日常的な仕事の中身を変えて、そのような不満足要因を取り除くのは自分自身でなければならないはずだ。環境要因(=衛生要因)に振り回されて、文句ばかりをいっているようじゃ、“主人公”としての自分の役割を果たしていないことになるし、それじゃ成長もできない。
仕事の“主人公”であり得るかどうかは、一言でいうと、その人の自覚に尽きる。先ずは、「仕事の“主人公”は自分である」と自分に対してどれだけ強く言い聞かせることができるどうかである。
それから、仕事に取り組む姿勢として、主体性が求められる。主体性とは、仕事の場における強力な存在感である。つねに目的から物事を捉え、成果に対して全体と部分との関係性を構築していくパフォーマンスだといえよう。
さらに、仕事の“主人公”として大切なことは、他人をひきつける魅力だろう。つねに共感性の高い仕事の仕方をしているだろうか。
ある禅僧の話であるが、主体性を喪失していないかを確認するために、毎日、自分自身に向かって「“主人公”」と呼びかけ、自ら「ハイ」と応えたという。
私たちも毎日、「仕事の“主人公”は自分だ!」と自らに呼びかけ、主体性を自覚させることは大切なことだと思う。やらされ感で仕事をしていては、手抜きになる。それでは、いつまでも絶対に成長できない。もったいない話だ。
仕事の“主人公”とは、つねに満足要因に目を向けて仕事をしている人をいう。
(H21.8.3)