何事もそうだと思うが、“基本”をおろそかにしたまま、我流に走って大成することはないと考える。


 所内で行っているIG活動での話であるが、「人間の本質は成長によって新しい価値を生み出すところにあります。・・・・・二十代の時と三十代の時とが全く同じでは成長が止まっていることになる。四十代になると、そこで止まってしまう人もいる。仕事をするけれども成長できないという、こういう状態は一番問題なのです。・・・・・」という人間学講座の一節を聞いて、非常に危機感を覚えたという。


 確かに、仕事を通して成長し続ける人と、そうでない人がいる。その差は、何から生じるのだろうか?それは、その人の身につけている“基本”の差だと考える。


 では、仕事の“基本”とは何だろう。仕事の「仕」も「事」も「つかえる」と読む。仕事とは重ねて「つかえる」こと、つまり、「世のため人のために尽くすところ」に本質的な意味があるといえよう。このように考えると、仕事の“基本”とは「相手の立場に立つこと」であり、仕事を通して関わるすべての人に対する「思いやり」の心、その心を通して形成される使命観だといえる。


 そう、「相手の立場に立つ」、「人を思いやる心」こそが、仕事における“基本”の“基本”なのだ。これがしっかりと確立されていないと、職場で行うあいさつ訓練などのマナー研修や5S活動、報・連・相の徹底、ありとあらゆる知識の習得などもテクニカル的なレベルで終始し、決して相手の心に感動的に伝わることはないだろう。


 「社会人になると、仕事が成長の糧になる」とよく言われる。仕事に必要な専門的な知識やスキルの習得のための努力や経験が成長の糧かと思いがちだが、そうではない。それは、枝葉にすぎない。仕事を通しての人や環境などの様々な「出逢い」、これが私たちに成長の機会をつくってくれるのである。


 つまり、人間は出逢った相手によって成長させてもらっているのである。このように考えることができるならば、そこに感謝の心が生まれる。その心が、「いずれ自分も世のため人のために働けるような人間になりたい」という成長欲求や使命観を駆り立てることになるだろう。


そうとなると、仕事の“基本”である「相手の立場に立つ」「思いやり」を根底で支えているのは、あらゆる出逢いに対する「感謝の心」ということになるのだろうか。かように考えると、仕事に自己都合や慢心、傲慢さが入る余地など何処にもないのである。


 なぜ、“基本”はそれほどまでに大切なのか?それは、私の中で首尾一貫してやり続ける力を支えているのが“基本”だからである。

(H21.7.27)