経営計画を立てることの本質は、一言でいうと“熟慮”である。計画を策定するプロセスで、あらゆることを想定して、どれだけ深く考え抜くことができるかどうかである。


 広辞苑で“熟慮”を引くと、「よくよく考えること。十分に思いめぐらすこと」とある。そして、“熟慮断行”という言葉が並べてあるので、”熟慮“の前提に実行があるといえよう。つまり、決断実行するための“熟慮”である。


 政治家がよく、出処進退を決意し、会見発表するときに“熟慮”という言葉を使うが、どうも胡散臭い。


 しかし、経営の意思決定において、“熟慮”は極めて重要である。経営者の中には常人に理解し難いような大胆な決断を平気でやってしまう人がいるが、相当な“熟慮”の期間があったに違いない。


 うちの事務所では、「将軍の日セミナー」を毎月2回定期的に開催しているが、一度参加して頂くと二回目以降は実費(弁当・諸資料代)のみで何度も参加して頂けるようにしている。それは、本人が得心するまで、何度も何度も計画の練り直しをしてもらいたいからだ。


 ソフトバンクの孫正義氏は、「事業計画は、100パターン考えろ!」と指示を出すそうだ。担当者が楽観プラン・中立プラン・悲観プランの3パターン程度のものを持っていこうものなら手厳しく怒るという。過去のデータを分析して、予測するような分析的アプローチでは、“熟慮”したことにならないからであろう。「100パターン考えろ」というのは、かなり無理があると思うが、過去の経験を捨て、洞察・創造的にならざるを得ないという意味において理に適った注文である。


 さらに氏は、ソフトバンクグループの売上目標に対しての300年計画をつくるように指示したという。これもまた、常識外れだが、理に適った注文だ。なぜならば、自分の時空に対する過去の物差しを捨てざるを得なくなるからだ。つまり、人間はだれでも、時空の中で生きている。しかし、その時空をどれくらいのスケールで考えているのかというと、一人ひとり違うのである。それは、その人の身につけたパラダイム(=思考の物差し)によって縛られているからだ。


 このように考えると、自分のパラダイムや常識の範囲でいくら考えたとしても、それは“熟慮”したことにならないといえよう。孫氏のように、桁外れに大きな数字を目標にして考えてみるとか、行動のパターンを変えてみるとか、異質なものを受け入れてみるのも必要だろう。また、対話で衆知を集めるのもいい。


 “熟慮”は大事だ。しかし、同次元の“熟慮”を重ねても真の“熟慮”とはいえない。

(H21.5.18)