ジェネレーション・ギャップ、学生の頃よく口にした言葉だ。年配者と若者の間で“コミュニケーション”がとれない状態のことだ。最近あまり耳にしないから、この問題は解消されたのかと思うと、全然違うらしい。
“コミュニケーション”の問題は、もっと深刻な事態に陥っており、世代間に限らずあらゆる関係、いたるところで、“コミュニケーション”の崩壊が起きているという。
子供をもつ母親の話であるが、「友達が数人、遊びにきたのでお菓子を出しに行ったら、個々に携帯ゲームを黙々としていたのを見てゾッとした」という。皆で遊ぶという感覚がないらしい。企業においても、一年以内に辞める新入社員の大半は人間関係でのストレスだそうで、上司や同僚、顧客との“コミュニケーション”能力の不足が原因だといわれている。そういえば、“飲みニケーション”も昔ほど盛んではないような気がする。
そこで、改めて考えてみたい。“コミュニケーション”はなぜ、必要なのだろうか。それが不足したら、何が問題なのだろうか。デヴィット・ボーム(物理学者)が、氏の名著「ダイアローグ」の中で、次のようなことをいっている。
「“コミュニケーション”とは、単に、ある人から別の人へ正確に情報や知識を伝達するというだけではない。むしろ、何かを協力してつくる。つまり、新たなものを一緒に創造するということだ」と。そして、そのためには「人々が偏見を持たず、互いに影響を与えようとするのではなく、相手の話に自由に耳を傾けられることだ」という。そして、大事なことは「話し手の双方が、真実と、一貫性のあることに関心を持つことだ」という。
確かに、人は「話が真実であるか否か、首尾一貫しているかどうかという点と無関係に、自分が維持したい、守りたい内容に捉われている」ことが多い。
ボームは言う、「偏見を持った、他人の話に耳を傾けようとしない人とは、コミュニケートするのは難しい」と。恐ろしいのは、そのような人は「非常に大切している自分の考えの中に存在している矛盾が暴かれること」を無意識に避けていることだ。
さらに、問題なのは“コミュニケーション”の向上を図ろうとして失敗すると、さらなる混乱を招くことが多いという。ストレスが高まり、理解や信頼を深める代わりに、いっそう好戦的で暴力的な方向へ進んでしまうという。
そこで、認識すべき重要なことがある。それは、「人が持っている全ての意見は、過去の思考の結果である」(ボーム)という事実。私たちは、つねに変化している環境の中で、関係性を持って生きている。何一つ固まったものはない。
“コミュニケーション”こそが、何か新しいものが絶えず生まれる唯一の機会なのだ。
(H21.4.27)